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渡米27日目 ラビリンス・オブ・シネマ〜映画の迷宮

「パパ大丈夫?」

朝、起きると不覚にも鼻血が出た。疲れが溜まってくると昔から鼻血が出やすくなる体質で、昨日は遅くまで今日の脚本クラスで課された課題をこなしていたので、睡眠不足もあったのだろう。次男が少し心配している。妻は朝早くから子ども達に持たせるお弁当を作っている。

「明日が来ないようにしてほしい」

今日は子ども達の二日目の登校日。そう願っていた長男の思いも虚しくやはり朝は来てしまった。ブルックラインでは、先週の金曜日から朝は10度台前半まで気温が下がるようになった。マンションを出ると雨が降っていることに気づいた。次男が心配して僕を傘に入れてくれた。今日は雨が降っているだけに体感温度がより冷たく感じる。妻と一緒に徒歩5分のところにあるリンカーン小中学校まで長男と次男を見送った。雨のせいかその道のりは実際よりも長く感じられたが、長男はもっと長く重く感じていたかもしれない。

帰宅後、明日の監督クラスに向けて、一昨日読み終えたふたつの長編脚本のうちの一つである「Pariah(パライア)」についての叩き台となるエッセイのドラフトを書き、オンラインと対面でライティングのネイティブチェックを受ける。エマーソンには学生向けにエッセイなどを修正してくれるライティングセンターが用意されていて、登録すれば無料で指導を受けることができる。

英語はやはりまだまだ完璧には程遠いし、学ぶべきことは沢山ある。それに月曜日と火曜日に一時間ずつライティングを見てくれることになったエリンはライターでもあり、表現の引き出しが多い。また月曜日は対面なので、色々と最近身の回りで起きたことを共有する中で僕も自然と話すことが以前よりもすんなりとできていることに気がつく。

そして、自分が書いたエッセイについてやり取りをしていると説明が足りていない箇所に気づき、そのキャッチボールの中で新たなアイデアが生まれてくる。僕はこういう作業が好きだ。

16時にエリンとの一時間のセッションが終わると、すぐさま別のビルの中に入っている教室に移動する。留学生向けに開かれている留学生向けの無料のアカデミックライティングクラスに申し込んだのだ。到着するとすでにクラスは始まっていて、しかも二週目に突入していたため、僕はクラスのみんなに自己紹介を求められた。クラスには15人ほどが参加していたが、その大半がなぜか僕のいるFilm and Media Artのクラスメイト達でしかもそのほぼ全員が中国人だ。今年は中国人留学生がとても多い年らしいが、彼らもやはりとても真面目なのだろう。とにかく今ここで利用できる機会を存分に活かそうという気概を感じる。できないことをできるようになるには場数を踏むしかない。とにかく機会を作ることだと今は自分に言い聞かせているが、彼女達も同じ思いなのかもしれない。

18時、いよいよ脚本クラスの二週目が始まる。現役バリバリの脚本家でもあるオーエンの授業は、実際にその場で思いついた話を教えるテーマにそって即興で展開していき、オーエンが一人でいくつもの役をこなしながらそこでコントのようなやり取りが展開されていく。それはエンターテイメントそのもので、まるで舞台かライブそのものを見ているかのようだ。

やはり映画そのものへの造詣が深く、実際の映画を引き合いに出しながら、話をしてくれるのでとても理解しやすい。そして急速にフル回転で登場人物の会話を展開させながら、

「主人公がいかに障壁を乗り越えて、本当の自分の一面に気づき、変化していくか」

そのプロセスを描くことの大切さを巧みに教えてくれる。話を聞いているだけでも面白い。だからそんな彼が描き出すストーリーはやはり面白いのだろう。それが脚本家という人種なのだと改めて感じる。自分も彼のようなストーリーテラーになれるだろうか。ひとまず毎日物語を発想する時間を設けることが大切だと感じる。

「脳内の中のバウンサー(用心棒)に仕事をさせるな」

忙しい日々の中で、例え10分でもいい。いつも新しい曲を生み出すときにそうしているように、どんなくだらないと思えるアイデアでも生み出す時間を積み重ねる。そのことが次へと繋がっていく。濃密な4時間近い授業の中で圧倒的な物量の情報を受けとるが、それ以上に伝わってくるのは、創作そのものへの熱気だ。

「もしログラインを書いてみて、それでなんだかその話が面白いと感じられないのならば、そこには物語を語る上での何かが欠落している」

今日のクラスでは、基礎的な脚本のスタイルやログラインについて学んだ。「ログライン」とは、ストーリーをたった一行で描写する説明文のこと。どんなに長い脚本でもプロデューサーやインベスター(出資者)の目に届かなければ意味がない。この脚本を読んでみたいとまずは思わせること。そのための一文はまさにタイトルと同じく、作品の顔そのものでもある。まずは日々、ログラインを書くことから始めてもいいのではないかと感じる。2週間後には自分の短編作品の提出が控えている。どんな作品を生み出すことができるのか、戦々恐々とした感もあるが、まず何よりもゼロから1を作り出すこと、そして作り続けることが大切だと感じる。

オーエンが大林監督の第一作「HOUSE」のことを優れた映画の一例としてふと例にあげ、僕が大林監督の晩年に密着していたことを話すと、オーエンと、クラスメイトのケーシーがとても興味を持ってくれて休み時間に声をかけてくれた。大林監督の処女作「HOUSE」はやはり海外でもとてもファンが多く、ホラーファンタジー映画の監督としての印象が濃いが、実はその後の作品はそれほど知られていない。それはパリのある国際映画祭に招かれたときに現地の観客と接していても感じたことだ。大林監督は生前、44本の作品を世に送り出している。映画監督になったのが40歳前後だったので、一年に一本以上のペースで作品を撮り続けていたことになる。

「もしもこの週末、その中から一本だけを選んで観るとしたら、どの作品をお薦めする?」

僕は迷いなく最後の作品となった「ラビリンス・オブ・シネマ」(邦題「海辺の映画館 シネマの玉手箱」)を勧めた。映画の歴史、日本が経験した戊辰戦争から太平洋戦争、そして現在へと繋がる150年の戦争の歴史を描いた一代スペクタクルで、大林監督のまさに遺言のような作品そのものだからだ。「人は生きているうちに走馬灯を見せることができるのか」と出演した常盤貴子さんもよく話していた。

22時前、授業が終わり、なんだかまだ帰るのが名残惜しくて先週と同じくオーエンに話しかけると、「その後家族はどう?」とその後のことを気にかけてくれて、僕は子ども達が学校に通い始めたことや長男が明日が来ないでほしいと昨日話していたことなどをシェアした。最寄りのボイルストン駅まで話は尽きず、来週、クラスが終わったら飲みにいく約束をした。

DAY27 202309月182D1510ー3D0717ー0728

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