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渡米28日目 ついに保健室から電話が・・・

(今週はまさにいつも以上にまさに怒涛の1週間だった。今土曜日の朝を迎えて、ようやく4日目前の火曜日のこの日を振り返っている。)

昨日から一点してとても天気の良い一日。天気が良い日には、空の青さがとても深く澄んでいてとても気持ちがいい。これもこの街が海に面していて大西洋の風が流れ込んでくることと関係があるのだろうか。朝夕の寒暖の差が激しく、また晴天と曇天の日の落差が激しい。これもニューイングランド地方特有のことなのかもしれない。

朝7時40分に家族全員で家を出て、子ども達をリンカーン小中学校まで見送った。長男は昨日に続いて頭痛がして、今朝はお腹も痛いという。何かあるとすぐにお腹が痛くなるタイプで、日本では妻はそんな時カイロを持たせてあげていたのだという。こちらでもどこかでカイロ売ってないかねと妻と話しながら帰宅した。

帰宅後、妻は徒歩30分の道のりを歩いて、ブルックライン中心部のクーリッジコーナーまで買い物と、先日処方してもらったものの受け取れていなかった咳止めをもらいに向かった。僕は今日午後の監督クラスに備えて、さらにもう一度脚本を読み直して、エッセイをブラッシュアップしようと思っていた矢先、学校から9時過ぎに電話がかかってきた。保健室のメアリー先生からだった。長男が保健室にやってきたものの、全く英語が話せないので代わって欲しいという。

「どうした?」
「頭が痛くて」
「大丈夫?」
「わからない」
「どうしたい?」
「ちょっと休みたい」
「今、保健室?」
「うん」
「ベッドはある?」
「たぶん」
「わかった、じゃあ保健室の先生に代わって」

長男との会話の中で、彼が「帰りたい」と言うのではないかと懸念したが、彼の口からまず直接その言葉が出なかったことに少し安心した。僕は長男の状況を手短にメアリーに伝えた上で、もし保健室にベッドがあるなら彼を少し休ませてあげて欲しいとお願いした。

「多分今の頭痛は精神的なところからきていると思います」
「ええ、とてもよくわかります。慣れない環境の中で、言葉もまだうまく話せなくてとても大変だろうなと私も察しています。この後、どうしますか?」
「家も近いですし、もちろん例えば彼をピックアップ(迎え)に行くことはとても簡単なことなのですが、でも僕は親として、あえてそうしたいとは思いません。長男も今、きっと慣れない環境の中でも頑張ろうとしているんだと思いますし」
「私もそれがいいと思います」
「もしアスピリンのような頭痛に効く薬か何かあれば、飲ませてあげてもらえますか?」

僕はそのようにお願いした。メアリーも決してピックアップに来てほしいと言わなかったことに安堵した。メアリーは、アスピリンはないがよく子ども達に飲ませている頭痛薬があるのでそれを飲ませてもいいかと尋ね、僕はそれをお願いした

「その上で、もう一点お願いがあります。長男は今7年生で授業ごとにクラスが代わって、決まった席もないため、先生が何を話しているか全くわからないそうです。もし日本人の生徒が近くにいたら、彼の近くに座らせてもらえませんか?」

メアリーは必ずそうしますと言ってくれた。長男にもう一度代わってもらい、しばらく休んでから教室に戻れそうなタイミングで戻るといいよと伝え、LINEでもメッセージを送った。「ありがとう」と短い返信があった。その後、さらに僕はスクールカウンセラーのビビアン先生と英語クラスのフェリ先生にも同様のお願いをメールで伝えた。

さらに出先の妻から薬局での処方箋のピックアップやATMでの現金の引き出し方について何度か電話があった。そうこうしているうちに、課題をこなすために空けて時間がまさにバッテリーの残量がなくなるみたいに50%ほど消費されてしまった。妻が帰宅するまでの間に、僕は、さらに脚本を読み込んでなんとか監督クラスのライティングの課題をこなし、さらに残りのリーディングを済ませた。

帰宅した妻が、次男に仲がいい友達ができて彼らが地元のサッカーチームに入っているらしいとの情報を得て、なかなか学校だけだと友達もできにくいかもしれないとのことで、それでもチームに入れるか連絡をとり探ることにした。すぐにチームの運営を司るブルックラインレクリエーションに電話したところ、「もうすでに今季の受付は定員に達していて終了している」という。コーチの連絡先を聞き、教えてもらったアドレスにぜひ次男をチームに入れて欲しいと嘆願のメールを送って、僕は14時過ぎに急いで大学へと向かった。

16時、第3週目となるFiction Film Directing(フィクション映画監督クラス)が始まると、まず授業の冒頭に一枚の紙を渡された。

「あなたの人生の中で、最も記憶に残っている瞬間をここの紙に描いてください」

担当教授であり、現役映画監督でもあるジュリアはそう言った。一体、なんの意図があるのだろう。それに48年も生きているとたくさんの瞬間がありすぎて、その中からひとつだけを選んで描き出すなんて至難の業だ。しかし、その選択に時間をかけている猶予はない。僕の心の中にパッと浮かんだのは、3歳のときの記憶だった。

それは3歳年下の妹に人生で初めて対面したときの記憶。妹が生まれるまでの間、一つ年上の姉と僕は、当時僕たち家族が暮らしていた横浜から遠く離れた母の実家の和歌山の高野山近くにある実家に預けられていた。正確には覚えていないが、その期間は数週間だったかもしれないし、2、3ヶ月だったかもしれない。まだ幼かった僕たちにとって母と離れて暮らすその時間は永遠のようにも感じられた。

妹が12月に生まれて、ようやく父が和歌山に迎えにきてくれて、横浜の団地の家に戻った。もう夕方か、夜に近い時間だっただろか。玄関の重いドアを開けると、家の奥の方から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。その瞬間に玄関の入り口から見た景色が今でも鮮明に脳裏に焼きやきついている。

僕は10分間の間に、まず玄関から見た景色そのものを描いた。それは僕の主観的な映像なので、そこには当時の我が家の玄関先の景色があるだけで家族はどこにも映っていない。もちろん僕自身も映っていない。それでは流石に第三者が見た時に何の景色なのかわからないだろうと思い、そこに家の奥の方でまだ赤ん坊の生まれたばかりの妹を抱いた笑顔の母の姿を描き加えた。さらに、手を伸ばして母の元へ向かおうとしている幼い姉と僕の姿を描き加えた。そっして、本当はその時背後でドアを開けてくれていたはずの笑顔の父の姿も僕たちの目の前に描き加えた。

「これは物語を伝えるときに、監督としてどういった視点でそれを再構築して伝えるのかを考えるトレーニングです」

ジュリアがそういった。晩年の大林監督は常々、「映画とは記録ではなく、記憶を伝える、風化しないジャーナリズムだ」と語っていた。なるほど、確かに監督の仕事のとても大切な部分は、自分の中にある記憶や景色をいかに再構築し、ヴィジュアライズして伝えるか、そのことに尽きるかもしれない。

「幼い頃タカヤが見た景色、きっと当時3歳だと自分自身がどういった状況に置かれていたのか、その背景を理解できる手がかりも限られていたのでことでしょう。今大人になって、様々な社会的な状況がわかって、そうしたコンテクストを理解したあなたが再構築することでより物語を深く伝えることができる可能性が広がる。純粋に子ども時代の記憶だけで描くか、それともそこに今の大人としての視点を加えるのか。そこに正解はありません。でも誰の視点でいかに物語を語るのか。それが監督としての選択であり、常にのそのことが問われています」

ジュリアはそう語った後で、それぞれの映画監督が実際に映画を撮る前の段階で、プロデューサーや出資を募る際に用意するポートフォリオを見せてくれた。そこにはこの映画がどういうビジュアルイメージを使って何を表現しようとしているのかが、詳細に示されていた。

アメリカで映画をとっていく際に、よほど大きなバジェットがあらかじめ動いているような映画でもない限り、監督にはプロデューサーとしての仕事も同時に求められるのだという。まずは自らが映像化しようとしている作品のイメージとなる写真を集めること、このことが来週の課題にもつながっていく。

4時間の講義が終わった後も、僕はジュリアと駅まで歩きながら、こちらは先週以降の家族の現状を共有し、ジュリアはインディペンデントの映画監督としてやっていく上で求められるプロデューサー的な役割について共有してくれた。実際にプロデューサー的な役割もこなしながら、これまで監督して映画をとってきた彼女に対して、僕は尊敬の念が尽きない。そして話も尽きなかった。

帰宅中にようやくメールを確認すると、長男の件でヴィヴィアン先生から丁寧なメールが届いていた。

「私はようやく念願の日本語のProfessor(教授)に出会うことができました」

ヴィヴィアン先生からのメールはそのような文面で始まっていた。長男は昼休みが終わるまで保健室にいたらしく、中学高校時代に日本語を習っていたヴィヴィアンが長男に片言の日本語と翻訳を駆使しながら、話しかけてくれて、長男に教えを乞う形で、ボストンに向かう飛行機の中での時間をどう過ごしたのかとか、最近行った日本食レストランの話などを聞き出してくれたのだという。英語が全く話せない長男のことを敢えて「私の日本語のProfessor(教授)」だと言ってくれてれて、ずっと日本語を勉強したかったから長男に会えて本当に嬉しいといってくれる。そこには様々な配慮と思いやりが感じられて、そんな彼女の限りない優しさを感じざるを得なかった。

また保健室のメアリー先生や英語のフェル先生からもメールが届いていた。そうした先生たちの文面から、とても誠実かつ謙虚に子ども達に向かい合おうとしてくれている先生たちの姿勢を感じて、僕は何だか心がじんわりと温かくなるような思いを感じていた。

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