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60代でまさかの移住。リノベーションした古民家で心の診療所を開業|先輩移住者file.5

先輩移住者ドキュメントfile.5 田村毅

  • 生まれ:1957年東京大田区

  • 移住タイプ:Iターン(※父親の実家がお隣の四万温泉のため、二世代で繋げると北群馬へのUターンとなる。)

  • 以前の住まい:東京都大田区

  • 移住時期:2019年(現在4年目)

  • 家族構成:妻と子ども3人。子ども3人は既に自立し、それぞれ九州、東京に暮らしている。

  • 仕事:精神科医。高山村の「田村毅こころの診療所」を拠点とし、実家の大田区大森にも「田村毅こころの相談室」を設置。週3日、渋川市の病院にも勤務している。

高山村のとある古民家に魅せられ移住を決めた精神科医の田村さん。その古民家を、村内外の人達の手を借りながら快適な住まいにリノベーションしました。そこで、家族療法という日本では珍しいアプローチで治療を行う診療所を開きます。広々とした古民家、里山の豊かな環境を活用し、合宿スタイルでクライアントと向き合うというユニークな治療法を実践しながら、新しい土地での生活に馴染みつつあるようです。しかしながら、リタイアを目前とした60代での移住では、地域との関わり方に戸惑うことも。「移住は異文化体験」と説明する田村さん自らの心の旅にフォーカスしました。

薬を使わない「家族療法」を行う精神科医として活動。50代で開業、60代でまさかの移住。

 大学院を出て精神科医になってから、30歳の時にイギリスに留学をし「家族療法」を学びました。「家族療法」は日本では聞きなれないワードかもしれません。ざっくり説明すると、心の病気は身体や脳に問題があるのではなく、ネガティブな家族関係をはじめとする人間関係の中で生じるという考え方のもと、治療にあたるという療法です。特徴としては、薬を使わない。薬ではなく、心の病の原因になっている人間関係をネガティブからポジティブに変えていくことで、苦しい状況を改善していきます。僕は、この家族療法に基づいて診療を行っています。
 53歳の時に教授をしていた大学を早期退職し、東京の西麻布に診療所を開業しました。定年を迎えてから開業するのは年齢的にしんどいだろうと思い、早めの50代で開業する選択をしました。そして、その先もそこでのんびりと仕事を続ける未来をイメージしていました。移住をすることになるなんて、ましてや定年を超える年齢になった今、古民家で薪を割りながら生活しているなんて、1ミリも想像していませんでした。

冬は薪ストーブで暖をとるため、移住後は薪作りが日課となった。

東京で暮らす必然性を失い、風船のように漂い、そして高山村に漂着した。


 高山村に移住したのは、明確なきっかけや目的があったわけではないんです。開業後、私は一人目の妻を亡くしました。そして、両親二人も見送りました。三人の子ども達は成長し、それぞれの道を歩み始めました。それは、私にとって東京で生活しなくてはいけないという必然性を失ったことを意味していたんです。それで、まるで風船の糸がプツンと切れたように、何か新しいものを求めて漂い始めたのです。
 実は、父親の実家が中之条の四万温泉でした。子どもの頃からたびたび四万に訪れていて、楽しい思い出がたくさんあります。さらに、趣味のスキーをするために草津町やみなかみ町にも縁があり、群馬の北部への移住というアイディアが浮かんできました。

 東京・有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」に相談に行き、群馬の各市町村の移住コーディネーターに助けてもらいながらの物件探しがスタートしました。前橋市、沼田市、渋川市、中之条町などの色々な物件を見ていくうちに、古民家に心惹かれるようになりました。ある日、高山村の移住コーディネーターから今のこの家を紹介してもらい、購入を決心。こんなに立派な古民家ですが、土地を含めた売値は400万円でした! 安いでしょう。でも、古民家は購入後が大変です。まずは、家の中の大量の荷物のお片付け。これは、移住コーディネーターの呼びかけでボランティアが30名ほど集まってくれて、みんなで2日がかりで綺麗にしました。業者に依頼したら相当な金額になるそうなので、とても助けられました。この時の人と人とのつながりには、とても感動しましたね。

高山村の村内外からたくさんの方が駆けつけた「古民家お片付け大作戦」のイベント

大規模なリノベーション。古民家が居心地の良い場所に生まれ変わる

 お片付けが終わると、次はリノベーションです。今でこそ大工仕事を自分でもやるようになりましたが、当時はまったくの素人。プロの工務店の力を借りて、大掛かりなリノベーションを行いました。
 キッチン、リビング、寝室、バスト、トイレなど、生活の中心となる部分は間取りから一新して、床をすべて取り替えました。高山村の冬は厳しいので、土間には薪ストーブを置いて、さらにリビングキッチンには床暖房も入れました。バス・トイレもフルリノベし、窓も新しく作って、柱も一部取り替えています。天井からすすが落ちてくるので、キッチンの天井には板を貼っています。
 大規模なリノベーションになったので、費用もそれなりに掛かりましたよ。自分でやってみて分かりましたが、古民家リノベーションの費用はどこまでこだわるか、どこまでやるかによってピンキリですね。結構、自分でやっちゃう人もいますよね。そういう人はかなり費用を抑えることもできるはずです。

オーダーメードのキッチン。壁をくり抜いて窓を設置した。
玄関を入ると広い土間空間が広がる。薪ストーブでしっかりと暖まる。
土間スペースは来客用のスペースにもなる。
2階部分は、診療所のホールとして利用。床をすべて張り替えた。
広い窓からの自然光を浴びながら、家族療法のグループセッションが行われる。

古民家で行う家族療法「田村毅こころの診療所」を開業。泊まり込みの合宿スタイルが好評。

 こんな山の中にある診療所ですが、クライアントさんは県内外から訪れてくれます。最近では、2泊3日でこの古民家に泊まり込み込む合宿スタイルの診療が好評ですよ。畑で採れた食材を使って、妻が美味しい料理を作りながらクライアントさんをホストしてくれています。自宅で妻の料理を食べながらという環境なので、僕自身もリラックスできる。それが参加者にも伝播して心地の良い空間が出来上がっていると感じます。参加者さんにとっては、この合宿は異文化体験になります。東京の人が東京で診療を受けるのとは少し違いますね。普段の自分の生活圏から離れることで、自分のことをより客観的に見れるようになる。そうすると、診療内容もより深いものになっていきます。

合宿参加者が寝泊まりする部屋
家の隣にある畑。手前の木は栗。

移住も異文化体験。はじめは楽しくても必ず苦労があり、そして必ず回復がある。

 移住してからの暮らしは、なかなか楽しんでいますよ。薪割りもだいぶ板についてきました。今はDIYで小屋を建築中です。畑で野菜を育てて、敷地内に栗と柿の木があるので、もうすぐ収穫できるのが楽しみですね。
 実のところ、大きな悩みや困りごとはないんです。僕は高校の時と30歳の時に海外に留学して異文化体験をしているのですが、移住も一種の異文化体験と捉えています。異文化へのU字カーブ適応(「Uカーブ仮説」とも言う)という現象を知ってしますか? 異なる文化に入り込んだときに、人が経験する気持ちの変化を説明する理論のことです。

※画像は北海道大学のサイトからお借りしました


 初めは「ハネムーン期」と言って、全てが新鮮で楽しいと感じるフェーズ。次に訪れるのが、現実が見えてくるショック期。時間が経つにつれだんだんとマイナス面を知っていき、こんなはずじゃなかったと落ち込む時期ですね。その後に異文化への適応と回復が訪れ、最終的に安定期に入ります。ショックを乗り越えて、本当の姿を受け入れていく段階です。この段階に入ると、自分なりの居場所やライフスタイルが確立できて、心地の良い人間関係や人との付き合い方が見えてくる。だいたいハネムーン期は半年くらいで終わって、3-5年くらいかけて安定期に入るという感覚です。移住をして最初は楽しくても、現実が見えてきて落ち込む時期が必ずきます。それが普通ですし、そういう時期が必要でもあります。大切なのは、落ち込んだあとにどうやって回復していくかというところ。移住後に落ち込んで、他の場所に行ってしまう人もいますが、実はその時こそが頑張りどきだった、というケースもありますね。

戸惑いもある地域活動。自分なりの関わり方を模索中。

 僕の住んでいる地域では、室町時代を起源とする「役原獅子舞」という伝統文化があります。今年は僕が世話人として、獅子舞の練習から本番までサポートさせて頂くことになりました。これが想像以上に大変。8月の中旬から2週間、毎晩7時から10時まで3時間の練習に立ち合っています。今週末はいよいよ本番ですので、仕事を休業して3日間まるまるフォローに回ります。今、僕の生活は獅子舞一色です(笑)地域に貢献したいという気持ちがある半面、正直戸惑いも隠せません。しかも、人口減少のため来年も再来年も世話人役になるという可能性もあって……そうなるとなかなか、大変ですね。
 一方で、こういう地域のイベントは移住者が村の生活に馴染むための大きなきっかけになることも理解できます。特に若い世代や、子育て世代にとっては、地域の人と関わりこれから地域の中枢を担っていくプロセスとしてとても大切だと思います。また、この役原獅子舞は、踊り手である中学生が村の中に入っていくための通過儀礼としての役割もあると思います。でも僕の場合はもう60代で、子育ても終わってこれからリタイヤする世代です。地域の中枢から退いていくフェーズの人間にとって、こういう行事にどう関わっていけば良いのかというのは、今、模索しているところです。きっと、踊り手の中学生と同じように、村の人々と一定の時間を共にすることで、地に足の着いた関係ができて行くんでしょうね。そう考えると、僕はまさに今、Uカーブ適応でいうところの「適応」の段階にいるのかもしれません。これから自分なりの地域への関わり方を築いていきたいですね。

●田村毅こころの診療所
https://tamuratakeshi.jp/

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●先輩移住者ドキュメントの連載について
移住にあたって一番知りたい、でもどんなに検索しても出てこない情報。それは、その地域の「住みにくさ」や「閉鎖的な文化の有無」、そして「どんな苦労が待っているか」などのいわゆるネガティブな情報です。本連載では、敢えてその部分にも切り込みます。一人の移住者がどんな苦労を乗り越えて、今、どんな景色を見ているのか。そして、現状にどんな課題を感じているのか……。実際に移住を果たした先輩のリアルな経験に学びながら、ここ群馬県高山村の未来を考えていきます。



2021年に夫と0歳の娘と高山村に移住。里山に暮らしながら、家族でアパレルのオンラインショップ「Down to Earth 」を営む。山中ファミリーの移住の様子は「移住STORY」へ。日々の暮らしやお仕事のことはinstagramへ。


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