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サルでもわかるnoteの使い方

いや、サルがわかるわけないやん!

サルやでサル!

まぁほんまにサルがnote書いてたら、腰ぬかすけどね!

それよりも「サルでも」って言ってる時点で、サルにめっちゃ失礼でしょうが!

サルを何やと思っとんねん。

そして数々の「サルでもわかる〇〇」を理解できなかった人間の俺は、サル以下ですか?

ハムスターですかね!

もう二度と「サルでも」なんて言うんじゃねぇよ!

うわぁい。サルサルサルサル何回も書いて読んでたら、ゲシュタルト崩壊してわけわからんようになってきたー


それよりも俺の精神が崩壊していることが、非常に問題である。

と自分でツッコミを入れまくって正気に戻ったところで、始めましょう。

初心者さんも絶賛!

「サルでもわかるnoteの使い方」です!

言うてるやん。

さて、noteは一体どのように使えばいいのでしょうか?

それは知らんがな。

なんて冷たい人間なのでしょうと思われるだろうが、本当に知らんのだ。

なぜならnoteは自由すぎる。できることが多すぎる。

使い方は無限大。

誹謗中傷など人を傷つけたり迷惑をかけなければ、何をやっても許される場所なのである。

書きたいことがあれば、素直に書けばいい。

書き方にルールは無い。

正解も不正解も無い。

思ったことをそのまま書けばいい。

長文でも1行のつぶやきでも、何でもいい。

誰も止めやしない。

誰も読みやしない。

読まんのかい。

いや、読まれなくてもいいじゃないか。

俺のように誰とも絡まない変人でも、隅っこでこっそり書くことが許される。

それがnoteだ。

ある意味、無法地帯なんだよ!


大声で言うことでもなかったね。ごめんね。

ちなみに俺は書きたくなった時だけnoteでエッセイを書き、それ以外はnoteを家計簿として使用している。

家計簿のアプリを使った方が便利なのかもしれないが、俺はnoteを使う。その方が落ち着くからだ。

他にも俺は絵を描くのが好きなので、イラストやマンガも投稿したいが時間が無い。とにかく時間が無い。

だからたまに心の整理をするために、こうやってnoteでストレスを発散しているのだ。

学生時代は文章を書くことが大嫌いだった。

エッセイという言葉すら知らなかった。

なのに今は、書くことが好きでたまらない。

というより、悩み多き大人は書かないとやってられないのだ。

なぜこんなに書きたくなるのかは、自分でもわからない。

そしてnoteでたくさんの人が記事を投稿していることに驚く。

こんなにも書くことを楽しんでいる人がいるなんて。

俺はnoteを初めて3年半が経ったが、最近ふと思った。

この文章は、一体誰のために書いているのかと。

過去に何度か「自分のために書く」と書いたような気もするが、それでも「読まれたい」「評価されたい」という気持ちがあった。

でも今の俺には、そんな気持ちは無くなってしまった。

ところで俺は、スキがキライだ。

最初は大好きだったスキ。

でも今は嫌いだ。

「スキしてみて」に対抗して「スキしたら地獄に落ちるわよ」ハッシュタグをつけたいぐらいにね。

初心者の頃はスキの通知がくると、めちゃくちゃ嬉しくてテンションが上がった。

やる気が出た。

この快感は言葉にできないぜ。

でもある日、読まずに押される「スキ」があることを知った。

スキのお返しが欲しいから、フォローして欲しいから押されるスキも存在する。ただの営業活動だ。

なんだよそれは。

そんなスキに何の意味があるんだ。

読まずにスキを押すなんて失礼じゃないか。

俺の純粋な心は傷つき、腐っていった。

いや別にそこまでじゃないけど、スキの価値がわからなくなった。

スキが多い記事を見ると、人気があるように見える。

面白い記事なのかな?と思ってしまう。

でもそうとは限らない。

その記事はただ単にスキの数が多い記事であって、面白いか、役に立つかはわからない。

もしその記事のスキが、手当たり次第にスキを押しまくって、お返しをもらって得ただけのスキなら、それに何の意味があるというのか。

時間の無駄ではないか。

も、もうワイ我慢できない。

ずっと前から思っていることを叫んでしまおう。

どれだけスキをもらっても、スキが多くても、文章力が上がるわけではないんやで!


目を覚ますのだ。

承認欲求が強くなってしまうと、書くことよりも、スキやコメントをもらうことが目的になってしまって危険なのだ。

スキやいいねに取り憑かれると確実に病む。病んでいく。

なに?自分は大丈夫だって?

ふん、じゃあなぜ貴様は頻繁にnoteの通知をチェックしているのだね?

いいか、奴らは友達のふりをして近づいてくる悪魔なのだ。

そもそも、ちょこざいな営業活動なんてしなくても、おもしろい記事、価値のある記事にはスキが集まるもんなんや!

きっと誰かがどこかで見ていてくれる。

認めてくれる。

応援してくれるもんなんやで!

さっきから誰に言うてんのかな。

って俺のこの前の投稿は、スキがゼロやったわ。ズコー。

フフフ、こんなことを書いても許される世界。それがnoteである。

俺はnoteで音声配信もやっているが、はっきり言ってまったく聴かれていない。

他の音声配信アプリを使った方がよほど聴いてもらえることはわかっているが、でも俺はnoteを使う。

聴かれたいのではない。読まれたいわけでもない。

じゃあ何のためにやっているのだ。

自分に問うてみる。

それは知らん!

ただの趣味や!

それが答えだった。

やりたいことをただやってるだけ。

趣味ってのは、他人には理解できないことが多い。

そんなことに時間やお金をかけて何になる?

と思うようなことが、その人にとっては幸せなことなのである。

だからnoteが趣味なら、誰にどう思われようと自由に使えばいいのだ。

俺がルールだ。俺が法律だ。の精神でいこうじゃないか。

俺には「読まれないから寂しい」とか「スキやコメント少ないから落ち込む」とか、そんな概念は存在しない。

フォロワーだって増やしたいと思わない。

noteを使って創作する。

ただそれが楽しい。面白い。嬉しい。

そこに理由はない。

好きなのものはどう転んでも好きだし、なぜだか書くことが楽しい。

趣味は、自分が楽しければそれでいいのだ。

趣味だから、読まれる記事を書く必要はないのだ。

人に良く思われたいから、評価されたいからといって、何かを趣味でコレクションする人なんていないだろう。

いや違うな。

そうでもないな。

俺はお洒落が趣味だが、カッコイイと思われたい。

お洒落ですねって言われてモテたい。

モテたいよ!

でも今の俺はお金が無いから、オシャレできない裸族なんだよ!ちくしょう!

なんてこった。

俺はとても理不尽なことを書いている。

いつも矛盾して間違ったことを書いている。

バカなのか。アホなのか。スタンド使いなのか。

でもそれでいいじゃないか。

人間だもの。

完璧じゃないのが人間なんだよ。

なんて便利なことばなんだ「人間だもの」

そういうわけで、俺はこれからも間違ったり矛盾したことを、noteの端っこでこっそり書いていくのだろう。

誰も読んでいないのに、ある意味自己紹介のような記事を積み重ねていく。

マニアックなアニメや映画の話を、狂おしく神がかって書いていく。

自分のために、自分を笑わせるために、自分にとって面白い記事を書いていく。

そう、誰も読んでくれなくてもね。

何度考えても、やっぱりこの考え方はおかしいよね。

そういえば、人を笑わせたいってのが俺のnoteのテーマだったような気がする。

でも笑わすどころか、周りには誰もいなくなってしまったよ。

ファンです。って伝えてくれたあの人は、どこ行ってしもたん?

どこで何を間違ってしまったのかな。

こんな俺でも、頑張っていれば、いつか認められる日が来るのかな。

まぁ深く考えるのはやめよう。

好きで続けている趣味なんだから。

noteはとても広大で、とても深い。

だからたまにはこんな変人が書くエッセイがあっても、いいんじゃないかな。

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