創#591「社会人として、仕事をする上でもっとも必要な能力はコミュニケーション能力です。喋ったことのないクラスメートと喋る努力をする高校生とかって、明らかに少ないですから、まあ、やったもの勝ちだろうって気がします」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー328」

「追手門の近くに、一杯、千円の高級珈琲専門店ができたらしい。ちょっと高いけど、行ってみると、何か得るものがあるかもしれない」と、まりさんが切り出した。
「知ってます。友だちの親戚がopenした店です。珈琲だけじゃなく、手作りのケーキもセットで千円です」と、S子は補足した。
「ケーキ込みでも、千円は高い」と、私が言うと
「圭一は、相変わらずケーキやクッキー、マフィンや羊羹などは口にしないと思うけど、それで、本当に珈琲や紅茶、緑茶を極めることができるの?」と、まりさんが訊ねた。
「私のバーテンの師匠のYさんも、ケーキやクッキーは食べませんでした。マフィンなどは、名前すら多分、知らなかった筈です」と、私が言うと
「それは、圭一の師匠がバーテンダーで、カクテルを作る人だったからよ。カクテルと、珈琲、紅茶、ココア、あとチョコパフェ、バナナサンデーなどを次々に学習するとかって、カリキュラム的に、そもそも無理だって気がする」と、まりさんは指摘した。
「珈琲にはショートケーキ、紅茶にはクッキー、抹茶には羊羹が、やっぱり必要だって気がします」と、S子もまりさんの発言をフォローした。
「珈琲には紙巻き煙草、紅茶にはパイプ煙草が一番、相性が合ってるという説もあります」と、私が言うと
「圭一だって、煙草はもうほとんど吸ってない筈。世の中、これからはどんどん禁煙社会に移行して行く。日本には南蛮貿易が始まるまで、煙草は存在してなかったって、前に圭一は言ってた。もともと、なかったものが、いつまでも続く筈ないわよ」と、まりさんは、反論した。
「アルコールは、適量を飲めば、百薬の長かもしれませんが、煙草は、百害あって一利なしです」と、S子もまりさんに加勢した。適量のアルコール、適量の煙草と、幾分過度のスイーツとを比較すると、どう考えても、過度のスイーツの方が、百害あって一利なしだという気はしたが、人それぞれの嗜好の問題だし、議論をするつもりはなかった。
「千円の珈琲は、おそらく、お金を持っているという、一種のステイタスを現すために、見栄を張って飲んでいるんだろうと私は想像しています」と、私は千円の珈琲に立ち返って言った。
「千円の価値はないってこと?」と、まりさんが訊ねた。
「Gの珈琲は、モーニングセットを付きで、200円です。もっとも、自分が勤めていた店ですし、悪口は言いにくいんですが、Gの珈琲は、美味だとは言えません」と、私が教えると、
「確かに。砂糖とミルクをそれなりの量使って、ごまかして飲むみたいな珈琲だったような気がする」と、まりさんが記憶を辿りながら言った。
「あたしは高1の時、Gに行ったことがあるんですが、圭一先輩は、三階のカウンターにいて、何か気後れして、三階には上がれませんでした。三階って、常連さんばかりで、制服の女子高校生が、気楽に入って行けるフロアーじゃなかったような気がします。高2になって、勇気を出して、三階に上がってみたんですが、圭一先輩は、多分、受験勉強をしていて、もうGではバイトしてませんでした」と、S子は説明した。
「でもまあ、一階で珈琲を飲んだことはあるわけだね」と、私が言うと
「あります。インスタント珈琲よりは、いいかもって気がしました」と、S子は正直に返事をした。
「一階は、お客さんが多いので、珈琲は常時、保温してある。湯沸かし器のお湯だって、保温してる。明らかにこのお湯は不味い。その不味い95度くらいのお湯を使って忙しい時は、珈琲や紅茶を急遽拵えたりする。が、そうしないと客が捌(さば)けない。お客さんが多いと、どうしても要所要所、手を抜くことになる。お客さんはspeedyなサービスを求めているし、まあそれもやむ得ない。結論を言うと、珈琲でも、紅茶でも、カクテルでも、店ではなく、自宅で時間をかけて拵えた方が、美味だと言える。飲食店というのは、アルコールを出す酒場に限らず、コミュニケーションの場だと思う。客同士がコミュニケーションをしたり、店の人とお客さんとが会話を交わしたり」と、私はS子に説明した。
「社会生活をする上で、一番、必要なものは、やっぱりコミュニケーション能力ですか?」と、S子が私に訊ねた。
「自分の世代は、『不言実行』みたいな生活哲学を上の世代に、叩き込まれたけど、喋らないよりは、喋った方が、やっぱりいいと思う。まりさんぐらい喋れたら、もうほぼ無敵だって気がする」と、私は、まりさんを持ち上げた。
「それって、調子のいいお世辞じゃないの。圭一は、時として、必要なコミュニケーションをまったくしなかったりするけど、結構、それで得をしたり、楽をしたりってこと、いっぱいあるんじゃないの?」と、まりさんは切り込んで来た。
「聞かないフリとかは、確かに、しょっちゅうしてます。あとまあ、余計なことも、基本、言いません。喋らなくて、こいつ頼りないなと判断された方が、余分な仕事が回って来なくて、結果として、確かに楽ができます。人に関わることは、嫌いってわけではないんですが、そう積極的に好きだとも言えないです。そういう中途半端な姿勢だから、モノゴトperfectに仕上げられず、ほぼほぼなとこで、手を引いてしまうってとこも、まああります」と。私は冷静に自己分析しながら言った。
「圭一は、何ごとも承知の上で、言わば確信犯として、手抜きなどもしてる。他人に迷惑はかけてないけど、リップサービスというか、お世辞など絶対に言わないし、笑顔も見せない。嫌われるタイプを演じようとしているから、望み通り、人に嫌われたりしてる。S子ちゃん、圭一を見習ったりしちゃダメ。圭一は、どうあっても図太く生き抜いて行ける自信があるから、こんな風に好き勝手に自由にやってるんだから」と、まりさんは、S子に忠告した。

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