創#330「難しい問題は、あっさり捨てて、解ける問題を丁寧に確実に解いて行けば、合格点に届きます」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー330」
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------  S子さんへ(追伸)
 お父さんのケアをしてあげたいので、医学部を目指すという動機が、間違っているとは言えないし、殊勝で立派な心がけだと、ある意味、リスペクトすらしてしまう。
 私は、二度入院したことがある。一度目は、3、4歳の頃。病名は、確か腎臓炎。三ヶ月間、市民病院に入院してた。病気だという自覚はまったくなかった。毎日、太い静脈注射を打たれた。この注射の意味も、まったく判らなかった。塩辛いものはダメだと言われ、やたらと味の薄い病院の給食を毎日、食べていた。正直言って、不味い給食だった。が、美味なものを食べず、不味いもので我慢するという習慣はついたような気がする。
 二度目は、J中の中二の終わりから中三の初めにかけて。二度目も入院期間は、三ヶ月ほどだった。3、4歳の頃は、入院していても、正直、何が何だかさっぱり判らなかった。看護婦さんやお医者さんの言うことを、唯々諾々と素直に聞いていたような気がする。
 二度目は、中2だったので、この入院は、ほとんど無意味な入院だと、救急車で運ばれて、集中治療室で目が覚めた時から、理解していた。
 中2の頃は、もういろいろ賢くなっていた。入院する必要はまったくないのに、大人たちの都合で、入院させられているといったことは、ざらにあると、承知していた。自分自身に不利益がなければ、病院にいて、本を読むのも、悪くはないと判断した。
 当時、母子寮で生活していて、そこの寮母さんが、時々、見舞いに来てくれたので、寮母さんに頼んで、談話室にある宮沢賢治の全集を、少しずつ持って来てもらって、入院していた三ヶ月間で、宮沢賢治の全集は、あらかた読んだ。
 本を読んでいると、その本の世界に没頭できる。将来のことを、あれこれ考えたりはしなくなる。将来のことを考えると、だいたいにおいて、不安になる。あらかじめそんな風なネガティブな不安を、自分に引き寄せる必要はまったくない。その場、その場で、自分に降りかかって来る課題に取り組んでいれば、それで充分だと思う。
 入院中、薬は沢山出た。主治医に
「この薬は、何の役に立つんですか?」と聞くと
「心を安定させる薬だ」と、言われた。
「自分の心は、もう充分に安定しています」と、反論すると
「さらに、安定した方がいい」と、即答された。
 結局、貰った薬は、溜めておいて、時々、一般外来のフロアーに行って、そこのゴミ箱にバレないように捨てた。
 私のような病院も薬も信用してない人間もいる。医者が、薬も出さず、手術のような治療もしない、話しを聞いてくれるだけのカウンセラーだったら、全然、問題ない。医学部を目指しているS子さんに、そう否定的なことを書いちゃいけないとは理解している。ただ、まあ薬は、本当に必要な分だけ最低限使用し、手術や物理的な治療はなしで済ませ、本人の自己免疫力で、回復させて、それを見守ってあげる、そういう見守り役に徹した方が、望ましいとは思う。もっとも、それでは病院の経営は、成り立たないのかもしれないが。経済的な安定というか、お金持ちになることが、目的だったりすると、どうしたって、人の道に外れることも、やらなきゃいけなくなる。プラシーボと言うのは、偽薬のことだが、偽薬であっても、本人が本物だと信じていれば、3、4割は、効果が現れるらしい。昔の日本では、病気になると、加持祈祷を行っていた。まあ、これは結構、わさわさ騒がしかったりするわけだが、自己免疫力は、静寂な空間よりも、わさわさ騒がしい空間の方が、より効果的に働くような気もする。
 何ごとも、精神力が半分だと言われている。私の実体験だと、精神力が占める割合は、もっと高い。7、8割くらいは、精神力でどうにかなる。
 病気も、7、8割は、精神力で免疫が活性化されて、どうにかなる。どうにもならないものを、とんでもなく優秀な医者がケアすると考えてもいいような気がする。もっとも、私はどうにかならなければ、それは運命だと、自分を納得させる。
 受験も7、8割は精神力。最後まで絶対に諦めないことが、一番、大切。100パーセント合格を信じて、試験にchallengeする。複数の大学を受験する場合、最初の一校目に失敗して、その失敗を引きずってしまうと、その後は、全部、失敗する。私は、社会は世界史で受験した。大問1で、とんでもなく難しい、教科書にも資料集にも掲載されてない用語を4つ、5つ聞かれて、全部、答えられなかったとすると、大問2以降も、もう今日の試験は失敗だと思い込んでいるので、次々とケアレスミスを犯す。最初に答えられなかった、4つ5つの用語ではなく(これは自分だけじゃなくて、周囲の受験生だって答えられない)その後の、ケアレスミスが原因で試験は失敗する。
 特別なことを成し遂げるわけじゃない。まったくもって、当たり前のことを、当たり前にやれるかどうかが、問われている。いわゆるブレイクスルーのような頭の特別なひらめきは要求されてない。ブレイクスルーが起こるとすれば、それは、大学院のドクター論文とかを書いている時じゃないと、起こらないような気がする。やるべきことを、何もかもやり尽さないとブレイクスルーは、起こらない。
「ライ麦畑でつかまえて」という小説で、アントリーニ先生が、主人公のホールデンに、「未成熟な人間は、高貴な理由のために死のうとしたりする。成熟した人間は、卑小な理由のために、図太く生き抜いて行く」とアドバイスする。確かにそうだなと、納得できる。成熟した図太い大人になって、卑小な理由で、たくましく生き抜いて行ける人間になった方が、医者になったとしても、きっといい仕事ができる。世の中は、いたいけないjuvenileたちが、思い描くような、きれいごとの世界ではない。清濁併せ呑まないと、到底、いい仕事はできない。女の子だって、もう図太く、のしあがって行く時代だ。そのヘンは、まりさんをwatchingしていれば、呼吸がつかめると思う。
 当面は、受験生として、やるべきことを、やりきってくれることを祈っている。

                               Yours sincerely
                               葉月晦日 片山圭一

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?