創#611「結婚して、子供が生まれて、そこそこ育ってくれたら、何とか一段落ですが、それにしても、結婚生活も、子育ても、思い通りには行きません」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー348」

「オレの小学校の同級生のHは、中卒で大阪に行って、板前の修業をしている。日曜日は、一応、休日だが、その前の週にメモを取った料理のヒントなどを見て、研究しているから、日曜日は、自主練みたいな日だ。修業に行って、4年半くらいが経過したが、実質的な休みは、お盆と正月くらいだな。その休みには、実家に帰って来て、親孝行をしている。親不孝なオレには、ちょっと羨ましいって気もする。とにかく、Hには自分自身のプライベートな時間とか、ほとんどないと言っていい。恋愛をしたくても、出会いのきっかけもなければ、ヒマもない。料亭のマスターに、若い娘さんがいれば、その娘さんに憧れるとかってこともあるのかもしれないが、料亭の跡継ぎの息子はいるが、娘はいないらしい。日曜日に難波とか心斎橋とかの繁華街に行くとしても、外出は先輩と同伴らしい」と、私が教えると
「先輩と二人で、ガールハントとかってことはないんですか?」と、Mが訊ねた。
「修業中の二人は、金を持ってない。財布の中には、交通費とあと途中、どこかの喫茶店に入ってドリンクを一杯飲むくらいの金しか入ってない。ガールハントして、たとえ、安食堂であっても、飯を食ったりはできない」と、私が言うと
「ガールハントされた女の子も、連れて行かれたのが、安食堂だと、さすがに困りますね」と、Mが相槌を打つように言った。
「そもそも、ガールハントをして、女の子と、何を話せばいいのか、それすら判らないだろう」と、私が言うと
「『自分たちは、板前の修業で、毎日、苦労してます。魚市場には、毎朝、出かけています。魚の鮮度を見抜く目は、養いました。野菜の良し悪しだって、判ります』とかと、話を振れば、食材の話題だから、相手の女の子も、乗って来るんじゃないですか」と、Mが調子良く言った。
「オマエには、奧さんも子供もいて、すでに勝ち組だ。たとえば、オレも受験勉強をやりぬいた、ささやかな勝ち組だ。いったん勝ち組に入ってしまったら、受験時代の苦労など、きれいさっぱり忘れる。本当は、とんでもなく辛かった筈なのに、『受験は楽しんだもの勝ちだ』とかと、いけしゃあしゃあと、とんでもない嘘をつく。オレだって、その場の勢いで、そんなことを言いかねない。だから、合格体験などは、語らないことにしてる。オマエと、R子さんとの出会いのきっかけとか、まったく知らないが、オマエだって、人には言えないような、あざとい手段を使ったりもした筈だ。もし、恋愛にライバルがいたら、漱石の『こころ』で、先生がKを蹴落としたように、相手を巧みに排斥していたのかもしれない。恋愛は、そう考えると、究極のエゴイズムだ。男女二人のエゴイズムのアマルガムだと言っていい。傍から見ると、鼻持ちならないってとこがある。それを、きちんとやり切れて良かったと、自分たちは思ってる。もう、終わってしまっているオマエたちは、恋愛はエゴイズムだなどとは、多分、思ってない。が、R子さんの親にしてみれば、自分の娘を妊娠させて、そして、挙げ句の果て、こんな山奥に娘も孫も拉致されてしまって、人さらい同然だってとこもある。恋愛の当事者たちは、エゴイズムの塊だから、彼女を育ててくれた、親に対する思いやりとか感謝の気持ちなどは、まだまったく持ち合わせいない」と、私は、指摘した。
「確かに持ってません。むしろ、ここまで頑張った自分を、褒めてもらいたいくらいです」と、Mはしれっとした口調で言った。
「頑張ったと言っても、妊娠し、出産で苦しんだのは、R子さんの方だ。オマエの頑張ったことは、多分、ここの窯を築いたことだけだろう」と、私が言うと
「米作りは、初年度から軌道に乗せましたから、窯造りだけじゃなく、農業の方も努力しました。でもまあ、自分の親がかなり助けてくれました」と、Mは正直に説明した。
「子育てだって、R子さんと、オマエの母親が主にケアしてるわけだ。子育てで、オマエが苦労してるとは、正直、思えない。もし、苦労していたら、そういう顔つきになっている筈だ。オレが見る限り、中2の頃のオマエと、たいして変わってない」と、私が言うと「それを言うんだったら、So do you.です。先輩だって、自分と出会った頃と、本質、変わってません」と、Mは抗議するように言った。
「オレがオマエと出会ったのは中3の五月だ。それから、オレは、高専に行って、中退し、バーテン見習いになり、また別の高校に入り直し、その間、オマエと二人で、北山を中心に歩いていた。高3時代、オレは人並みに受験勉強をした。オマエは、受験勉強をやらなかったが、R子さんと出会って、恋愛をし、R子さんのお腹の中に子供ができて、葛藤し、苦しんだ挙げ句、この故郷に戻って来ることにして、それを実行した。二人とも、それなりにこの5年と3ヶ月は、疾風怒濤時代だったと言える。が、それなのにオマエは、たいして変わってなくて、オレも同様だ。これって、本当にありなのか?」と、私は自問自答するように言った。
「ありなのかと言われても、実際そうなんだから、素直に認めるしかないじゃないですか」と、Mは開き直ったように言った。
「オマエと出会った中3の5月は、もうヤンキー時代は、終わっていたが、いわゆる中二病時代は、まだ続いていたのかもしれない。それは、Mも同じだ。中2の頃、大切だったことが、今でも、まったく同じように大切だ。オレの場合、海、山、音楽、アート、文学、あと先輩とのお付き合い」と、私が言うと
「自分は、山とまあここのY川。土いじりと農業。あと一応、圭一先輩との人間関係あたりですね」と、Mが言った。
「一応であっても、オレを入れてくれて嬉しい。が、オレに言わせると、今、オマエにとって、何よりも大切なのは、奥さんと子供だろう。それが、優先順位の2Topだ。そういう生き方が求められていると思う」と、私が言うと
「でも、それでは、窯で焼き物を拵えるモチベーションが、弱くなってしまいます。妻も子供も、窯で焼き上がる作品とは、まったく別種のものなんです」と、Mは言い訳をするように言った。板前の修業をしているHが、将来、結婚して、家庭を持っても、料理人の仕事と、家庭とは、まったく別のものだと、言いそうな気がした。自分自身の結婚については、二十歳の段階では、まったく想定できなかった。
「焼き物作りは、中二病のスピリッツでやれると思うが、家庭生活は、また別種の配慮が必要だ。が、正直、オレも具体的なことは、判らない。オマエが試行錯誤する様子を、取り敢えず、watchingさせてもらうよ」と、私はMに伝えた。  

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