自#731「小論文なんて、とにかく回数、多くかけば、誰だって書けるようになります。ただし、自分が思ってもないこと、これ絶対、嘘だろうと疑念を持つようなことも、いけしゃあしゃあと、書き切るあつかましさは、必要です」

   「たかやん自由ノート731」(自己免疫力77)

EduAに「書く力の高め方」という記事が掲載されていました。「どうすれば、高められるでしょうか?」という問いに対し、入試の記述文を指導したりしている国語の先生方が、アドバイスをされています。
 私は、長年、文章を書いて来ました。基本、書くのはエッセーか手紙です。小論文の類が書けないわけでもないです。別段、必要がないから書かないだけのことです。私が、万一、管理職試験を受けていたとしたら、対策をきちんとして、相当回数、練習もし、管理職試験の本番に臨んだ筈です。
「書く力」をつけるためには、とにかく「数多く練習をする」、これ以外に王道はありません。1200字の記述式答案を5回練習した人と、10回練習をした人とでは、当然、10回練習をした人の方が、上手く書けています。
 ある一定レベルまでは、誰でも書けるようになります。そこまでは、才能は不要です。ある一定レベルを超えると、そこから上は、才能がモノを言う世界です(これはどういうジャンルであれ同じです)。ドストエフスキーやバルザックは、文章の天才です。才能があるからこそ、あそこまでの高みに到達できるんです。
 現在、大半の文章は、パソコンで作成されています。手書きで原稿を書いている方は、今や五木寛之さんクラスの大御所だけです。私のような、素人で文章を書いている方も、沢山いますが、私が知る限り、みんなパソコンを使って、キーボードを打って、directに文章を作成しています。
 私は、原稿用紙を使って、文章を書いています。30代の一時期、期間にすると三ヶ月くらい、原稿用紙を使わずに、ワープロのキーボードを叩いて、文章を書いていたことがあります。明らかにspeedyで、量的にも沢山書けます。ただ、プリントアウトしたものを読み返してみると、深みがないなと感じてしまいました。それと、つながりが微妙に悪かったりするんです。論理が飛躍しがちで、脈絡なく、小テーマが移り変わって行ったりもします。まあ、慣れたら次第に改善されて行ったのかもしれませんが、結局、キーボードを叩いて文章を書いていたのは、3ヶ月間だけで、また手書きに戻りました。
 もっとも、受験生が記述式答案に対処する時は、手書きで書きます。将来的には、タブレットを使って、答案を作成したりすることに、多分、なって行くんだろうと思いますが、今のとこ、まだ手書きです。今の若い人は、デジタルネィティブですから、試験の時以外は、手書きで文章を書くchanceはほとんどないと思います。手書きで文章を書く練習を一定期間、しておけば、今、書いているセンテンスが、次のセンテンスを呼び起こしてくれるという感覚を学び取ることができます。私のように、文章はすべて手書きで書いて、パソコンは、清書をする時のみ使用するという文章の書き方でも、全然、構わないと思います(ただし、下書きをして、その後、清書するので、手間は倍くらい必要です。不便を楽しむという余裕がないと、手書き原稿スタイルは、貫けないかもしれません)。
 入試で書くのは、基本、小論文です。ひとつのテーマについて、相手がきちんと理解できるように、論理の筋道を整えて書いて行きます。これは、練習すれば、誰でもできます。才能は、1ミリも要求されません。入試の小論文でしたら、30本も書けば、合格点が取れる文章を書くことができます。2、3本では、さすがに無理です。過去問だって、わずか2、3年分しかやらない人がいますが、ここ2、3年分の類似問題が、出る筈はないです。過去問というのは、過去10年分くらいを、きっちりとやることが求められているんです。過去10年分を繰り返し(と云っても、時間的な制約もあるので3回くらい)やれば、どういう問題傾向なのか、大筋のアウトラインが見えて来ます。
 小論文を30本書けば、序論、本論、結論のsimpleな構成は、いくら何でも、皮膚感覚で、マスターできます。30本書いて、その後、40本、50本と、回数を増やして行けば、よりsophisticatedされ、洗練されて行きますが、そんなヒマがあったら、英語の勉強をすべきです。世界史とか日本史、あるいは小論文などに、やたらと情熱を燃やす受験生は、間違いなく、英語から逃げています。英語から逃避したいので、得意科目に、より一層、力を入れてしまうんです。が、小論文が80点の合格点を取れるレベルに到達しているとして、これをあと5点、伸ばすのは、大変な努力が必要です。80点の合格点に達するまでの努力の量が100だとすると、あと5点、伸ばすためには、やはり100の力が必要です。その100の力を、今、45点くらいしか取れてない英語の方に傾ければ、立ちどころに英語は、20点くらいはupします。つまり、苦手科目にエネルギーと時間を注いだ方が、明らかに、費用対効果は高いんです。
 米、仏、日本の小論文の書き方の違いを、表にしてまとめてあります。アメリカと日本は、基本、同じです。要するに、序論、本論、結論の三段論法です。日本は、「糸屋の娘は目で殺す」的なひねりを入れたりして、多少、起承転結っぽくするので、アメリカよりもプチ手が込んでいます(あっ、でも、入試では別段、「糸屋の娘は目で殺す」て的なひねりはなくても構いません。最後の結論に至るまで、論理の筋が整っていれば、それで充分です)。
 フランスの小論文をディセルタシオンというそうです。なかなか、手が込んでいます。エリックロメールの恋愛映画などを見ると、「えっ、これ本当にラブコメ?」と「?」をいくつもつけたくなるくらい、理屈っぽいんですが、フランス人は、とんでもなく論理や理屈にこだわる国民性です。序論の部分で、まず主題に関わる概念の定義をしておいて、それから問題提起をします。全体の構成もあらかじめ提示しておきます。何となくのノリで、問題提起をするわけではなく、石橋をハンマーで叩いて渡るかのように、がっちりと基礎固めをしておくわけです。展開をする本論では、まず一般的な見方を紹介します(これを定立と言います)。次にそれに反する見方を提示します(これは反定立です)。この両者を総合し止揚して(つまりアウフヘーベン)、新たな第三の見方を、捻り出します。その新たに捻り出した見方が、つまり結論なんですが、新たな見方を提出することで、また新たな課題が出て来てしまいます。そのことも、軽く示唆しておきます。つまり、議論がこの先も無限にループして行くといったことを、予感させて、取り敢えず、書き終えるわけです。
 さすがは、フランス革命で、ウルトラライトから、ウルトラレフト、そして中道右派へと、大揺れに揺れまくった国だと、納得してしまいます。これだけの複雑な奥行きのある答案を、バカロレアの試験の時に、書く必要があります。サルトルのような、超ド級の哲学者が生み出されるシステムを、ほんの少し、垣間見たような、気すらしてしまいました。フランスのディセルタシオンが、微分積分だとすると、日本の小論文は、正直、因数分解レベルの簡単な課題だなと、思ってしまいます。

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