創#612「家庭サービスと、外の仕事は、まったく結びつきません。外の仕事に打ち込めば、打ち込むほど、家庭サービスは、疎かになりました。まあ、結局は、自己の人生観の問題です。我慢してくれた、家族には感謝しています」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー349」

「すでに試行錯誤は、かなりしています。取り敢えず、無地のものなら、そこそこの形で焼けるようになりました。が、色をつけるとなると、話はまるで違って来ます。苦労して色をつけても、思い通りには焼き上がりません」と、Mは打ち明けた。
「窯の中の化学的な変化とか、そういうことは、自分には一切、判らない。が、色をつけようとする制作者のオマエの内部に、何か華やかなものがないと、作品には現れて来ないだろう。子供が好きなら、子育てをする日々の生活の中で、何か華やかなものが、生まれて来るんじゃないのか」と、私はMに訊ねてみた。
「子育てと焼き物とは結びつきません」と、Mは、先刻言った発言を繰り返した。
「もちろん、directには結びつかない。が、心の中に、子育ての経過の中で得た喜怒哀楽の感情をstockして、その感情を脳内で喜びに変換し、それがつまり『風が吹けば桶屋が儲かる』式に、オマエの作品にも華やかさをもたらすってことじゃないかと、想像している」と、私が言うと
「『風が吹けば桶屋が儲かる』というフレーズは知ってますが、それが自分ごととして、当て嵌まるかどうかは、皆目、判りません。R子との恋愛は、R子のお腹の中に子供が できるまでは、わくわくしてたんです。子供がお腹の中にできてからは・・・」と、Mが最後、言い切らなかったので
「子供が彼女のお腹の中にできてからは、リアルの生活になったってことだろう。そのリアルの生活の中から、わくわくどきどきする、華やかなものを引っぱり出して来るのは、確かに難しいかもしれない。リアルの生活を、安定したしっかりしたものにするために、オマエは農業を始めた。その仕事で、オマエも奥さんも子供も、食って行ける。家族が食って行くことを確保するのは、父親の大切な役目だ。オマエはそれを、ちゃんと果たしていて立派だよ」と、私は持ち上げるように言った。
「家族が安心して食って行けるようにするのは、当然です。焼き物の仕事で、食って行ければ、それが理想的ですが、今の所、趣味のレベルに留まってしまっています」と、Mはぼやくように言った。
「そんなに大きくもない、自分一人の作品を焼くような窯で、生計を維持することは不可能だろう。将来、オマエの作品が、世の中の人に知られるようになって、数百万、数千万の価格がついたりしたら、それは、アート資本主義のマジックだ。作品の価値に、本来、値段はつけられない。土が好きで、土いじりをしてるわけだから、それで納得すればいいんじゃないのか。万一、オマエの焼き物が、高い値段で取り引きされるようになったら、オマエは、多分、守りに入って、焼き物製作者としての成長は、stopしてしまうと思う」と、私は率直な口ぶりで言った。Mは返事をしなかった。
「公募展に出品して、同世代の仲間たちと出会い、その仲間たちが、この山奥に遊びに来て、一緒に作品を焼いたりすると、いっぺんにhappyになれるし、わくわくもする。そういうコミュニケーションを通して、新たなコンセプトを掴み取ったりもする。子供が、土いじりをするようになったら、それはそれで、また別種の幸せだろう。将来、奧さんが、ここで七五三のようなイベントを開催する時、使われている皿も湯呑みも深鉢も、すべてことごとくオマエの作品だったら、それはやはり、見るに価するものだと、simpleに信じることができる。土いじりが好きだってことは、ちっちゃい頃、泥団子とかを嫌というほど、拵えていたってことだろう。その泥団子の延長線上に、今、オマエは間違いなく立ってる。少しもブレてない。一本、筋が通っているから、ある一定水準の作品の質はkeepできる。それ以上のfantasticな芸術的な作品ができるかどうかは、神のみぞ知るって感じだ。画家とか、石や木を彫る彫刻家だったら、すべてが自己責任で、成功するか失敗するかは、自分次第だと思ったりするのかもしれないが、オレは、意見が違う。言葉では表現できない、崇高なsomethingが作品に付加されているとしたら、それは、制作者の実力に、何か別のプラスαが働いている。そのプラスαは、一種の啓示のように、どこかから降りて来るんじゃないかと、オレは想像している。ごくたまに、そういうことが起こる。だから、いつもいつも、作品がすぐれているとは、考えられない。地味な普通の作品が、次々にできて行く中で、ある日、唐突に、突然変異のように、somethihgを備えた華のある作品が生まれる。そういう作品を、生み出せることが制作者の幸せだが、幸せは、そう頻繁にはやって来ない」と、私は、Mに諭すように言った。
「農業に較べると、焼き物ははるかにハードルが高い仕事です。何どうしていいのか、判らなくて、行き詰まることが、しょっちゅうあります」と、Mは本音で打ち明けた。
「何をどうしていいか判らない。それこそ、人間が置かれた原初的な立ち位置だ。何をどうすればいいのか、全部、判っていたら、人間はどうしたってマンネリ化する。人間の脳は、常に、サボろう、サボろうとしてるらしい。パスカルは『人間は考える葦だ』と言った。はかない葦のような存在だが、人間は考えることができると、普通、解釈する。それで、別に構わないが、ポイントはやはり、考えるということだ。考えることを辞めて、サボり始めたら、サボることが習慣になる。サボり始めると、似たようなルーティーンの繰り返しだけで、人生が終わってしまう。似たようなルーティーンの繰り返しだけで、人生を終えたくないと、そんな風に直観して、R子さんをさらって来たものの、それ以上の情熱を持って、オマエは、ここに窯を築いた筈だ」と、私は指摘した。

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