美#101「自然主義は、科学文明と結びついて、すべて説明可能という前提に立っているような気がします。ですが、この世の中の大切なことは、だいたいに置いて、説明不可能です」

          「アートノート101」

 市の図書館で、「ゾラ・セレクション」という全11巻のシリーズを見つけた。私は、高校時代、ゾラの著作7、8冊読んだ。ルーゴンマカール叢書のアウトラインは、概ね理解したと思っている。ただ、もう一度、ゾラのおさらいをしたいという野望などは、一ミリもない。ゾラを通して、パリの19世紀の下層階級の生活ぶりを知り、ディケンズを読んで、イギリスの下層民の悲惨な生活を知った。
 2000年に発売されたコールドプレイのファーストアルバムを聞けば、ミレニアムの頃のロンドンの状況は、薄々、理解できる。下層階級の貧民たちは、どういう状況に置かれても、逞しく生き抜いて行こうとする。それは、自分ごととして、充分に理解できている。
 ゾラのセレクションは、そのままスルーしようとしたが、背表紙に「美術論集」と、タイトルが書いてあった。ゾラが、1867年にマネを擁護する批評を書いている。この批評の存在は、高校生の頃から知っていた。が、当時、日本語に訳されたものなどはなかったし、絵画批評そのものにも、さして興味は持ってないので、積極的に読みたいといった願望も、持ち合わせていなかった。が、美術論集だから、本棚から引っぱり出して、ページを捲れば、数秒後には、モネを擁護している批評に触れることができる。まあ、これも何かの縁だろうと判断して、美術論集を取り出し、ゾラが1867年に書いた「エドゥアール・マネ(伝記批評研究)を一気呵成に読破した。読破と言っても、たかだかA-4版で、22、3ページくらい。一枚、一分くらいのペースで、20分ちょっとで、この伝記批評研究を読み終えた。ゾラのマネに対する、全幅の信頼というものは、はっきりと理解できた。ゾラは、マネの人柄も、マネの絵も信じている。マネには、駄作もあるが、全幅の信頼を置いているゾラの目は、駄作を見抜けてないかもしれない。坊主憎ければ袈裟まで憎いの真逆の現象が起こってしまっていると想像できる。
「ゾラ・セレクション」には、「制作」は入ってなかった。ゾラが「制作」をセザンヌに送って、その後、セザンヌはゾラと絶交したという問題の本だが、収録されてなくて幸いだった。今更、19世紀の昔に時計を戻して、ゾラとセザンヌの確執を調べたとしても、無意味だという気がする。
 今回、ゾラを少し読んで、やはりセザンヌの方が、力量は上だと改めて感じた。セザンヌをゾラは、理解できなかった。誤解は、ゾラの方にあった。
 ゾラは自然主義作家であって、自然主義的手法には、もしかしたら、誤解も矛盾もないのかもしれない。すべてが説明可能。そういったスタイルで、ゾラは、ルーゴンマカール叢書を書き続けた。
 が、アートは、説明可能ではない。セザンヌのアートは、説明不可能。マネの絵だって、本当の意味では、説明はできない。アートは、アートであれば足りる。アートの魅力を、言葉で語ることは不可能。言葉で、アートを語るのであれば、read beween lines、欄外の言葉にはならない余韻のスタイルで伝えなければいけない。
 ゾラは「草上の昼食」、「オランピア」で非難の的だったマネを、徹底的に擁護して、スキャンダルを撒き散らす。世論に正面から立ち向かい、賛否両論の中で、頭角を現して行く、このある意味、あざといのし上がり方が、ゾラの成り上がりのスタイルだったと言える。ゾラは、マネのような、名門の子弟ではない。父親は、イタリア人の土木技師で、母親は、塗装屋の娘。六歳で父親を失い、幼少時代は、貧窮生活を送っている。子供の頃、ゾラの心の支えになったのは、セザンヌとの友情。が、ゾラは、最終的に、セザンヌを、理解できなかった。
 マネは、自分を擁護してくれたゾラの肖像を描いている。著名な絵で、私が手元に持っている研究社の「世界文学辞典」も、マネが描いたこの絵を掲載している。ゾラの肖像が制作されたのは、1868年。この肖像画は、サロンでも(マネの作品にしては)例外的に好評だった(サロンで好評だったのは、ゾラの肖像と、最後の「フォリー・ベルジェールのバー」の絵くらい。
 ゾラの肖像を描いたのは、まだ第二帝政期だったので、色彩は地味で、印象派風の明るい光は届いてない。印象派の嚆矢と言えるのは、第二帝政期に描いた「草上の昼食」とか「オランピア」だが、印象派風の画風が全面展開するのは、第三共和制の時代に入ってから。第三共和制の前期は、アート的には、華やかで、開放的な時代だったと想像できる。
 マネは、ゾラを立派な文学者として描いている。ドガやロートレックは、たとえ相手を尊重していても、人物をカリカチャイズして、描いたりしたが、マネは、謹厳、実直なアーティストなので、お堅く、真面目な文学者としてゾラを描いている。後に、女中に二児を産ませてしまった、ゾラのスキャンダルの片鱗すら、この絵からは伺えない。が、詩やアート、音楽を理解できる霊感の持ち主だとは正直、思えない。
 マネが描いたマラルメの肖像画は、確かにこの人物は、詩人だろなと、納得させてくれる。ゾラとマラルメのどちらの文学が、よりすぐれているのかは、両者が取り組んだ文学のジャンルが違い過ぎて、判断できない。ゾラは、自然主義の小説家で、マラルメは、象徴派の詩人。そもそも、私は、マラルメの詩を、ほとんど読んだことがない。マラルメの詩は、論理や感情で組み立てられているわけではなく、イメージの連環で、できあがっている。そのイメージとイメージとの間に、空白があり、その部分は、さておいて、イメージを繋げて行かなければいけない。それは、翻訳では難しい。
 今、フランス語のおさらいをしているが、マラルメの著名な「エロディアード」だけでも、フランス語の原文で読んでみたいという欲は、ないわけでもない。
 マラルメの肖像は、右手で葉巻を持って、左手はジャケットのポケットに無造作に突っ込んでいる。首も身体も傾いている。左目は、普通だが、右目は、瞳が外側に極端に寄ってしまっている。肖像を見る限り、マラルメは斜視。が、詩人なんだから、それくらいのハンディキャップがあっても、全然、おかしくない。
 ボードレールの肖像は、クールベが描いている。部屋着を着て、本を読んでいる姿を横から描いている。写実力は、クールベがNo1。時代が下がるに連れて、写実力が低下して行く。それは、色彩に語らせようとするからだが、色彩を徹底的に追求すると、デッサンの線が最終的に消滅してしまう。二律背反の道を、ひたすら突っ走って、とうとう現代絵画の時代が、幕を開けたと、大雑把には言えると思う。

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