公#8「自分のことは、自分より、所持しているスマホの方が、良く知っているという時代になってしまったのかもしれません」

                「公共8」

 今、教えている高2の生徒に、「音楽を一曲選んで、その曲のイメージを描いて下さい」という問題を出してみた。如何にも、自分自身の趣味を押し付けたみたいな課題だが、最近の曲は、洋楽、邦楽ともほとんど知らない。古稀直前の私と、16、7歳の高2とでは、generation gapが、あり過ぎる。この問題は、ちょっと無理筋かもと、考えなくもなかった。が、最近の音楽は知らないが、絵は、どういうものでも、見れば分かる。絵から音楽的なイメージを導きだせば、それはそれで、楽しいかもと、勝手な皮算用もしていた。
 弓道部の女子生徒が弓を構えようとしている。袴は途中で切れているが、全身のスタイルは、見当がつく。スマートで、すーっと背筋を伸ばして立っている。東京の高校には、弓道部はほとんどないが、地方には、まだ結構ある。私が通っていた高校の隣が女子高で、弓道部もあった。弓道部員は、みんなスマートだった。ぽっちゃり型はいなかった。弓道女子は黒髪(さすがに金パとか、やまんば系は考えられない)を長くしている。今、矢をつがえようとしているが、弓道女子の顔のまん中に、ジャスパージョーンズ風の標的がくっついている。で、その標的のどまん中に一本、もう一本、得点圏内に矢が突き刺さっている。つまり、矢を狙った的に当てると、最終的に自分自身の顔の標的に突き刺さる仕組みになっている。楽曲は、やはり初音ミク系。人間の生の声では、このシュール感は出せない。ちなみに添えてあるセリフは、「狂った静けさ」。こういう絵が、普通に描けるのは、やっぱりある種の非凡な才能だと感じる。すぐれた絵なので、good!!と赤ペンで書いたが、赤ペンではなく、針で指さきを突いて、血を滴らせて、good!! をドリッピングで描くべきかもと考えなくもなかったが、残念ながら私は、そこまでシュールではない。
 アーティストはSEKAI NO OWARI、曲名は「虹色の戦争」。まあ、このヘンの曲なら、ギリ知っている。ところで、描いてあるのは動物や虫たち。人間たちが勝手に拵えたZooに閉じ込められている。絵は、いい感じでザツ。ザツなだけに、動物や虫たちの、情けなくみじめな状態が、よりリアルに伝わって来る。beutifulとか、Kawaiiとかとは、程遠い。パンダやカピバラたちは、可愛いから人気がある。ショボくて、汚くて、ヤバそうな、動物や虫けらには、人間は誰も見向きしない。結局、可愛いもの勝ちみたいな、世の在り様を示している絵だと、見れなくもない(まあしかし、私は個人的にこのしょぼい絵が、結構、ツボに来た。これはつまり、十人十色ってやつ)。
 アーティストはRADWINPS、曲名は「携帯電話」。セリフは「電話って、僕よりも僕のことを知ってる気がする」。私は、ガラケーもスマホも持ったことがないので、ケータイの価値が、正直、まったく判ってない。今や、アンモナイト、三葉虫レベルの化石かもと、自分でも思う。フルタイムの仕事をしていた時、タカハシの手帳を使っていた。社会人になって2年目の時、見栄を張って、モレスキンの手帳を使った。失敗だった。モレスキンの紙質は、万年筆でスケッチを描くのに適している。安物のボールペンで、予定を書き込むだけの私には、モレスキンはまったく必要なかった。月別のカレンダーに予定を書き込んでいたが、手帳を紛失した時の用心のために、翌月のカレンダーのコピーは取っておいた。が、詳細は個別の日程のとこに書いてあるので、手帳を万一紛失したら、パニック状態に陥った。手帳を拾った方は、ここに連絡して下さいと、自分の住所と電話番号を書いておいた。一度だけ、ウィンドブレカーのポケットから落ちたらしく、紛失したが、戻って来た。
 私は、手帳には予定を書き込んでいるだけ。仕事の関係者の住所や電話番号などは、別にしてあった。個人情報の管理については、社会人になって一年目の研修で、厳しく教え込まれた。他人の住所、氏名、電話番号などを、外に洩らしてしまったことは、一度もない。住所録の類は、家or職場から、外には持ち出さなかった。
 スマホの場合、予定とか他人の個人情報とかだけではなく、それこそ、これまで撮り溜めた写真などの人生の大きな部分の想いでが、stockされている。それを紛失すれば、当然、パニック状態に陥る。そんな大切なものが、結構、そこらに放置してあったりして、リスク管理的にどうよと、思わなくもない。
 アーティスト名はKing Gnu。曲名は、Prayer X。prayerは祈り。教祖様に向かって、信者たちが祈っている。それを、前方上手にいる人物が、疑わしそうな目で見ている。
 私は神社に参拝もするし、お寺巡りもしたりする。キリスト教の礼拝に出席する場合もある。日本人として、典型的な多神教徒だと、自覚している。創価学会が嫌いとかって、ことは全然ない。創価大学の学園祭には何回も出向いたことがある。統一教会やエホバの証人の子弟で、仲のいい教え子もいる。神であれ、神のようなものであれ、何らかの対象に祈りを捧げることには、まったく抵抗はない。宗教を、一方的に毛嫌いする必要は、まったくない。が、まあ金儲け主義的な宗教も確かにある。メンタルトレーニング系のセミナーだって、金儲けが目的という組織だってある。そこはやはり、その組織のシステムとか、運営方針とか、経営の在り方を、見抜くリテラシー能力が必要だと思う。
 一方的に何も考えずに信じて、それで万事OKといったような、安心できる牧歌的な文化世界は、ブータンやネパールにだって、もうないと想像できる。
 アーティスト名はAdo。曲名は「うっせぇわ」。この曲は、複数の何人かが選んで、描いていた。そこら中、きれいごとだらけじゃないかという不満は、今の一見、素直そうに見える若者も抱いていると知って、ちょっと安心した。高校生くらいの若者が、大人たちに対して、怒らないと、逆にヘンだとさえ思ってしまう。高校紛争時代のように、いったんぶち切れて、爆発してしまった方が、その後の人間的な成長のためには、プラスになるんじゃないかとすら思ってしまう。
 私は、どっちかというと、やんちゃで手のかかる生徒との付き合いが多かった。それは、ある意味、彼等の方が、正直で素直だったからだと思う。が、やんちゃで、手のかかる生徒は、見かけなくなった。取り敢えず、「うっせぇわ」の曲などを聞いて、ストレスをちょっとぐらいは発散しているんだろうと推測しているが、それで、収まるとも考えにくい。発散できなければ、折れ合い方を学ぶ必要があるが、それを教えてくれる先輩も、少なくなっているような気がする。

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