創#607「いつか余裕ができたら、手がけるとかと考えていたら、永遠にできません。余裕があってもなくても、取りかかるのは、常に今です」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー344」

「公募展に出品するとしたら、今すぐってことですか?」と、Mが鸚鵡返しに訊ねた。
「間髪を容れず、今、この瞬間だ。取り敢えず、作品をひとつ、小包にする。崩れないように、新聞を使ってぐるぐる捲きして、あとは、公募展の送り先の住所を紙に書いて、それを小包に貼る。こちらの住所、氏名、電話番号も記入しておく。オレが帰る時、O駅の傍の郵便局で出しておくよ」と、私が言うと
「公募展の送り先が判りません。そもそも、どういう公募展があるのかも、まったく知りませんし」と、Mは言い訳をした。
「備えあれば憂えなしの、まったく真逆の生活を、日々、営んでいるわけだな。電話はあるんだろう?」と、私が聞くと
「母屋のリビングに設置してあります。親から時々、電話がかかって来るので」と、Mは説明した。
「じゃあ、母屋で電話を借りる」と、私はMに伝えた。私とMは母屋に移動し、電話が設置してあるリビングのソファー椅子に腰を下ろした。
「市外だから、多少、通話料はかかるが、手短に話す」と、私はMに断って、受話器を取り、Fの事務局にTELをした。O先生が電話口に出た。
「圭一です。先日は、お世話になりました。頼みがあります。友だちの陶器、陶磁器を公募展に出品したいんです。今、出品できる公募展を教えて下さい。公募展の事務局があるのは、東京、名古屋、大阪、福岡あたりだと思いますが、大阪の公募展で探して下さい。至急です。このまま、電話を切らないで、待ってます」と、私はO先生に伝えた。O先生は、演劇人なので動きは速く、即座に公募展の宛先を三つ教えてくれた。私はその三つをメモ書きして、礼を言って電話を切った。
「じゃあ、このひとつに送る。送料は判らないが、それはオレが負担しておく。いい作品をセレクトして、あとの二つの公募展にも出しておくんだな。こんな風に、積極的に動かない限り、時間は止まったままで、歳月だけが過ぎ去って行く。『花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に』の小野小町の歌は、玉手箱の蓋を開けて、一瞬にして爺さんになってしまった浦島太郎の物語と同レベルで、真実だ。子育てがどんなに忙しくても、奥さんのことを、超ド級で愛していても、自分の作品を外に出す努力は、しなきゃいけない。陶器や陶磁器は、使ってもらって、なんぼだろう。オレは、倉敷の大原美術館で、浜田庄司の大皿や、河井寛次郎の壺、バーナードリーチの人魚の絵を描いた皿などを見た。バーナードリーチの皿は、飾り皿だな。人魚の鱗模様や、波とかが、何というか、つぶつぶしていて、正直、実用では使い物にならない。実用で使うことを想定してない。が、外国人だし、工芸品が実用的なものだと、理解してなかったんだろう。日本人の作品は、すべて実用的だった。実用的なものを、美術館のショーケースの中に飾るとかって、まったくもって、無意味でcrazyだ。それは、陶芸の墓場みたいなものだな。ましてや、あの暗い納屋の中に、次々に作品をstockするとかって、正直、あり得ない蛮行だ。即座に売りに出せ。K市の日曜市とかに持ち込んで、販売しろ。みんなが使ってくれて、使い勝手がいい、便利、Mさんの焼き物のお陰で、毎日がより一層happyになった、そう言ってもらってこそ、職人冥利に尽きる筈だ。たとえ、ハネモノでも、二束三文で売れ。二束三文で買って、それでhappyになれたら、消費者の費用対効果も高まり、二束三文で人を幸せにする、陶芸の魔術師などと、地元のK新聞が書き立ててくれるかもしれない。そうやって、一回くらいは、ちやほやされてもいいだろう。甲子園で優勝したチームは、それだけが目的だったから、優勝して目的を達してしまったら、そこからどうしていいか、判らなくなる。ディズニー映画で言えば、『こうして王子様と御姫様は結ばれました。めでたしめでたし』で、happy endだが、その幸福の頂点のhappy endには、まだ先の長い物語がある。取り敢えずは、一回くらいちやほやされて、その後、スランプを経験し、どん底に落ち、そこから這い上がって来る、そういうドラマが、アーティストにも、野球選手にも、プリンス、プリンセスにだって、本当は必要だ。何だったら、オレが『名の知られてない陶芸家が、四国山脈の山奥で、イノシシやタヌキと共生しながら、日々、地道に作品を拵えています』みたいな、投稿記事を、K新聞に送りつけてもいい。何にもネタがない時、そういう投稿を取り上げてくれたりする。アーティストを目指しているんだったら、とにかく若い頃は、全力疾走で走れ。守りに入ったら、そこで成長はstopする」と、私はまくし立てた。
 R子さんが、湯呑みをお盆に載せて、運んで来た。私は、そのひとつを手にした。外側に緑で模様を描いてあった。
「これ、春の若草だな。『萌えいづる春になりにけるかも』的な作品だ」と、私は感想を述べた。
「まさにそうです。ここに引っ越して来て、窯ができた時、最初に焼いた湯呑みです」と、Mは教えた。
「轆轤を使ってなくて、手びねりで巻き上げてある。形がアンバランスで、模様もアシンメトリー。まあ、わざとアンバランスな歪みを追求したんだろう。で、アンバランスで歪んだオレが遊びに来たら、これでお茶を出すと、前々から計画していたわけだ」と、私が言うと
「その通りです。先輩と、中二から4年間くらい仲良く過ごしましたが、その4年間は、やっぱり貴重でした。大人になってからの4年間では、相手のことも、自分のことも、きっとたいして判りません」と、Mはしみじみとした口調で言った。
「確かにそうだな。日々、自己に押し寄せて来る情報が、どんなに多くても、その情報に優先順位をつけて、必要な情報を次々に取り込んで行く。その作業の中で、同時に、自分作りもしていたわけだ。オレもオマエも、もう自分というものが出来上がってしまった。そうすると、自分を守りながら、相手の様子も見ながら、動くことになる。酒を飲んで、理性の箍(たが)を緩めることも、時にはあった方がいいのかもしれない」と、私が言うと「作品は、火や土、釉薬など様々な要素の組み合わせで、理性では考えられないような、結果を導き出してくれます。自分は理性的でも、できあがった作品は、少しも理性的じゃないんです。まあ、そこがfantasticで、面白いんだと思います」と、Mは説明した。

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