自#582「たった二回しか教えてなくて、時間割の都合で、say-goodbyしてしまったクラスの男の子(野球部)が、『先生、今度、チューリップを一緒に歌いましょうよ』と言ってくれました。来年の夏の大会に応援に行って、観客席で、チューリップの替え歌を、大声で歌って、エールを送ってあげたいという気持ちになりました」

         「たかやん自由ノート582」

 授業でヨーロッパ中世の単元を扱っています。ヨーロッパ中世は、キリスト教の世界です。私は、キリスト教について、ある一定レベルまでは、理解しています。ヨーロッパ中世を扱うのであれば、キリスト教を教えたいという欲はあります。私は、クリスチャンではありませんし、信仰について教えたいわけではなく、あくまでも知的に深い所に達して欲しいといった風な要望です。が、信仰をさておいて、宗教のrealityを教えることは、まずもって不可能です。不可能だからこそ、できるギリギリまで、迫ってみたいと思ったりもします。バラモン教とか、ジャイナ教、仏教、中国の道教、無論、イスラム教も、宗教の単元では、割合、テンション高めで喋っています。宗教は、アートや音楽ほどではないんですが、私の好きなジャンルです。
 今回、初めての試みだったんですが、ミサ曲を授業で聞かせました。教室ですから、そう大きな音も出せません。すぐれたオーディオセットを使って、超一流アーティストたちのレコードの音を流すわけでもなく、そこらのハードオフで買ったジャンク品のCDラジカセを使って、デジタルのCDの音を、流すだけです。それも、全曲をfullで聞かせるわけはなく、解説を挟みながら、各パートのさわりだけを、つまみ食い的に、取り出してプレゼンするだけです。ミサ曲体験などとは、とても言えませんが、challengeすることに意義があると、自分を納得させて、授業に臨みました。
 本当は、解説など一切せず、音楽だけを聞いてもらうのが、bestです。映画を見せる場合は、事前の予備学習などは一切しません。終了後、映画のテーマ、狙いなどについて、解説を加えます。時間がoverして、解説なしで、映画だけを見せて終わることも、よくあります。その場合は、生徒同士で、勝手に話し合って、理解を深めたりします。これこそが、本当の学習だろうって気さえします。
 解説を一切せず、音楽だけを聞かせたら、授業としての形式が成り立たないってとこもあります。人は見た目が99パーセントです。見た目、授業っぽいことも、大切です。あと、ミサ曲という文化は、今の高校生が、慣れ親しんでいる文化とは、かけ離れ過ぎています。たとえば、「『サイコパス』の槇島が、最後、狡噛(こうがみ)に倒されて、死ぬ最後のsceneで、ミサ曲が流れたりすると、それはそれで、サマになるかもしれないよね」と、高校生に身近なアニメなどと、たとえ無理くりであっても、関連付けて喋っておけば、少しくらいは、身を乗り出して、listen toしてくれたりってことも、まあ、あります。
 著名なミサ曲は、すべて遠い過去に作曲された音楽なので、著作権などは存在しません。ですから、アニメや一般のドラマのBGMとして、使われているケースも、結構、あります。が、自分が知らない文化の音は、耳に入って来ません。授業でミサ曲を、一度だけであっても、聞いておけば、高校生のシャープな感性は、ミサ曲の本質のカケラを掴み取り、今後、ミサ曲と出会った時、即座にlisten to できるようになると、こちらは勝手に信じ込んでいます。根拠やエビデンスが、あろうとなかろうと、教師にとっても、思い込みや確信は、必要不可欠な美徳です。
 私が選んだのは、ベートーベンのCミサ(Mass in C major)です。この曲は、私自身が、大学1年の12月、芝の郵便貯金ホールのステージで、大学の混声合唱団のテナーパートの部員として、歌ったことがあるという理由もありますが、この曲は、いわゆるミサ通常文だけで構成されていて、ミサの基礎、基本が解り易いだろうと判断したことも、大きな理由です。
 ミサ通常文とは、Introitus(入祭唱)、Graduale(典礼聖歌)、Antiphona ad offertorium(奉納唱)、proefatio(叙唱)、Paternoster(主の祈り)、Antiphona ad communionem(聖体拝領祭)などは含まず、1 Kyrie(憐れみの賛歌)、2 Gloria(栄光の賛歌)、3 Credo(信仰宣言)、4 Sanctus(感謝の賛歌)、5 Agnus Dei(平和の賛歌)の基本の五つの曲のことです。グレゴリオ聖歌は無論のこと、ゴシック以降の新しいミサ曲も、この5曲を一貫して作曲するのが、普通のスタイルです。
 各パート、2分間ずつくらい聞かせました。文化祭で、どこかのクラスが、45秒間、ひたすら何かにchallengeするという動画を流していました。これは、様々なことに45秒間challengeし、その熱中ぶり、達成度を披露する動画です。ひたすら床を拭いたり、ケンダマに挑戦するなり、テーマは何でも良くて、45秒間、必死になって集中することが大切です。高校生の一所懸命さは、確かに伝わって来るんですが、30秒を過ぎると飽きて来ます。ただ、座って動画を見ているだけのaudienceは、思いやりがなく、飽きっぽい、はなはだ残酷な視聴者です。チャンネルを変えるリモコンがあれば、即座にザッピングしたくなります。ミサ曲は、基本、対位法で作られていますから、Aメロばかりが延々と続くわけです。退屈っちゃ、退屈です。2分間では、正直、長すぎるだろうと想像できます。が、各パート、1分間では、伝わらないだろうと判断しました。エビデンスはありません。私の直観です。各パート2分間の試聴ですと、全部で10分くらいです。Cミサの実際の演奏時間は65分。つまり6分の1以下に短縮してしまったわけです。今、問題になっているファスト映画のように、きちんとあら筋を抑え、展開に工夫を凝らしたわけでもありません。いたって恣意的なat randomな聞かせ方です。生徒が感動したとは、とても思えません。別段、そんなことを狙ったわけでもありません。ヨーロッパ中世っぽい音楽のさわりだけを、知識として知ってもらっただけです。
 来週、健脚大会という50キロを歩くイベントがあって、その関連で、時間割が変則的になり、教えている各クラスの授業時数に、ばらつきが出てしまいます。余裕のあるクラスで、ミサ曲のふりかえりをやってみようと考えています。ふりかえりと言っても、そう手の込んだことをやるわけでもありません。ミサ通常文の5曲のどこのパートを、私が生で30秒くらい歌う試みです。
 私は、これまで何回も(いや何十回も)喉を痛めて、声ががらがらで、上の音も、若い頃に較べると、5、6度下がってしまっています。音程は外しませんが、リズム感は、正直、イマイチです。歌が上手いか下手かというと、はなはだ微妙ですが、まあ客観的に言って、下手なんだろうと自覚しています。その下手な歌を生で聞かせて、ふりかえりをするというのも、無理やり過ぎるactivityです。が、生徒は、ロンドンフィルが伴奏をし、それなりに有名なソリストや合唱団が演奏したCDのミサ曲より、私の生声のミサの歌の方が、よりすぐれていると感じる筈です。これは、決して、自慢話とかではありません。メカニズムの音は、人間の生の声には、太刀打ちできないというsimpleな事実を、生徒は理解する筈です。私立のN校のバンドの部活の顧問のH先生が、「君たちの演奏は、CDで聞くプロの演奏より、はるかにすばらしい」と、しょっちゅう仰っていましたが、これは、本当です。私は、教職人生のほとんどすべてを、バンドの部活の顧問の仕事に打ち込みましたが、それは、高校生のバンド演奏には、音楽の本物のスピリッツが、間違いなく存在しているからです。私の下手な歌にだって、音楽のスピリッツは、確実に存在します。

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