自#970「ロルカのカットは、大きな指が四本だったり、顔が風船みたいだったり、腕が華奢で細長だったり、足が極端に短足だったり、切断された手だけが、生きていたり、いい感じで、fantasticで、シュールだったりします」

          「たかやん自由ノート970」

 ガルシアロルカの詩集が、手元にあります(ロルカのカットのデッサンを見るために買ったんです)。私は、翻訳小説は読みますが、翻訳詩には、興味を持ってません。たまに、俳句や短歌を、英詩に翻訳しているのを新聞で見たりしますが、詩の翻訳はさすがに無理だなと思ってしまいます。ロルカの「ジプシー歌集」を翻訳された会田由さんは「ロルカはもっとも日本語に直しにくい、いや殆ど不可能な詩人だ。読者は、私の訳など読むより、原詩を意味は判らずとも、音読することを、お薦めする」と、後書きに書いています。
 私は小中学校の頃から、日本の古典には、親しんでいました。動詞や形容詞、助動詞などの用言の活用を覚え、古文単語を暗記し、助詞の使い方などにも精通し、満を持して、古典を読み始めたというわけではありません。意味は、まったく解らなくても、万葉集や古今集、土佐日記や枕草子などを、やみくもに音読したんです。古文単語も、古典文法も、覚えてませんでしたが、模擬試験でも、入試本番でも、古文と漢文は、ほぼperfectに得点を取っていました。
 重箱の隅を徹底的に掘り返すような、細かい古典文法を覚えさせようとするから、多くのboyたちが、古典嫌いになってしまうんです。ずっと俳句をお作りになっている、O先生というお世話になった先輩がいますが、「古典は読めない」と、いつだったか仰っていました。俳句に長年(少なくとも40年くらいは作り続けています)携わっている方でしたら、古典は普通に読めます。古典が読めないのは、「自分は古典が苦手で読めない」と、思い込んでいるからです。
 O先生を古典嫌いにさせた戦犯とも言うべき、古典の先生がいた筈です。取り敢えず、授業の形式を整えるためと言った、アリバイ作りのために、ツマラナイ古典文法を、無理やり詰め込むといった愚を、進取の精神に富んたお若い先生方は、繰り返さないで欲しいです。古典も、漢文も、英語も、高校レベルのものでしたら、音読だけでマスターできます。
 ロルカの詩集の巻頭には、15、6ページほどカラー写真が掲載され、そこに関連の詩が添えてあります。この手の詩集のスタイルは、私が中高校生の頃に流行していました。中央公論社から出ていた「日本の詩歌」全30巻が、まさにこのスタイルでした。私は、図書館で、カラー写真と、いくつかの気に入った詩だけをちゃちゃっと読んで、安直に読んだというつもりになってました(もっとも著名な日本の詩人の作品は、岩波文庫の緑版で、あらかた目は通していました)。
 ロルカの詩集の口絵に、フランメンコを踊るsceneが掲載されています。OLEの声が発せられた最高のシャッターチャンスを逃さず、すぐれた写真を撮っています。場所は、本場アンダーシアのセビーリャorコルドバのフラメンコバーだと想像できます。
 私は、バルセロナでフラメンコを見ました。旅行会社がオプションのクーポンを販売していて、一番安い店のクーポンを買いました。大通りから離れた、狭い路地の奥のヤバそうな場所にフラメンコバーはありました。場末のうらぶれたハコでした。が、いざフラメンコが始まると、そのpower、迫力、狂熱に圧倒されました。横浜中華街も、本当に料理が美味なのは、裏路地にある限りなく汚い店だと、若い頃、教わったことがありますが、バルセロナのフラメンコバーも、場末のヤバそうな店が、どうやらコンテンツ的にも、最高でした。一見、踊り子さんのカスタネットでリズムを取っているように見えますが、二本のスパニッシュギターを、二人で弾いていて、片方が、リズムセクションを受け持っていました。リズムセクションのギタリストは、時々、オブリガート的な副旋律を奏でたりもしていました。踊り子さんは、長い足でスカートを蹴り上げて、脚の美しさを見せたりもしていました。脚フェチの男性であれば、ツボに嵌まったと思いますが、私は、別段、脚フェチではありませんし、ひたすら二本のスパニッシュギターの音色に聞き入っていました。
 途中、6、7人のアメリカ人のおばさんたちのグループが入って来ました。例外なく、全員、太っていました。このAmerican Womenたちが入って来て、店は一気に賑やかになりました。スパニッシュギターの音色を静かにlisten toするという私の生ぬるい鑑賞法など許さないと言わんばかり勢いで、大騒ぎします。要所、要所で、感嘆の声を上げ、キメの部分では、店の人と一緒に、OLEとユニゾンで、shoutします。American Womenの騒ぎ方が、尋常ではないので、スパニッシュギターをlisten toすることは諦めて、ダンサーと、American Womenの様子とを、集中して見てました。フラメンコは、sexを表現している踊りだなと、私なりに理解しました。OLEで、エクスタシーに達します。また、仕切り直しすれば、エクスタシーに何度でも到達できるんです。American Womenとフラメンコダンサー(つまりジプシー)たちのsexの強さというものを感じてしまいました。日本人の観客は、いませんでした(当時、円は今よりずっと強かったし、もっと上品なフラメンコバーで、鑑賞していたんだろうと想像できます)。
 ロルカの詩で、もっとも有名なのは「夢遊病者のロマンセ」です。ジプシーの娘が、父親と天水溜めのある露台付きの家で暮らしています。彼女の恋人は、密貿易をやっています。密貿易は、リスクの高い、命がけの仕事です。ある夜、娘は、恋人が無事帰るのを待っています。が、自分を取り巻く世界は、次第に緑に変わって行きます。天水溜めには、緑の水草、緑の山、緑の枝々、海上から吹いて来る緑の風。娘は、緑のすべてを抱きしめたいという妄念のとりこになります。彼女は、自分を魅惑する緑の世界の中に恍惚と漂い、ついに緑の輝きを求める夢遊病者となって、天水溜めに身をおどらせます。彼女の恋人は、追跡者の警察官に致命傷を負わされて、ようやく彼女の元に辿り着きました。が、すでに死んで、オフェリアのように水面に浮かんでいます。
 このあと、男がどういう行動を取ったのかは、描写してません。何もかも書く必要はありません。あとは、読者が、それぞれの想像力で、補えばいいんです。
 男と女との恋と愛があって、道徳とも法とも無縁な、男女の世界のカオスを、ロルカは書きました。スペイン的というより、アンダルーシア的です。
 ロルカは、アンダルーシアの故郷のグラナダに帰った時、ファランヘ党員に捉えられて、銃殺されます。享年38歳でした。

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