創#608「我々の世代がやったことは、後生の人たちの貯めに、正しかったとは、お世辞にも言えませんが、世界の経済がグルーバル化して、こうなってしまったわけで、個人やコミュニティやひとつの世代の努力だけでは、どうにもならない問題だったと言えます」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー345」

「ここと、東京と本質的には何が違うんですか?」と、Mが訊ねた。
「ここには、本物の自然がある。東京には公園はあるが、それは、本物の自然とは言えない」と、私が言うと
「それは理解できます。K市のどまん中にある中央公園には、樹木は沢山ありますが、路面は基本、舗装してますし、街灯とか電線もあるし、さすがにあれを自然だとは言えません」と、Mは返事をした。
「あのヘンは、お城からは結構、離れているし、幕藩時代は場末だったんだろう。大正、昭和の初期頃に、街が発展して家が密集していたらしいが、空襲で、全部焼けた。で、防火対策も兼ねて、公園にしたらしい。公園になってから、まだ30年も経過してない。幾ら何でも30年くらいじゃ自然にはならない」と、私はMに教えた。
「高知城公園の方が、まだずっと自然っぽいです。それは、歳月の長さの違いですか?」と、Mが訊ねた。
「あのヘンは、もともと丘だった。長宗我部氏が滅びた後、土佐に山内一豊が入って来て、その丘に城を築いた。元は自然だったが、城を築いて、城下町を拵えたら、やっぱり自然は壊れる。が、松や桜を植えたりして、公園にした。中央公園の歴史は、たかだか30年だが、高知城公園はその10倍の300年を越えた歴史がある。歴史的にハクがついたってとこもある。300年とかの歴史的ハクには、やっぱり一目置かざるを得ない。歴史もハクがつけば、第二の自然みたいなとこがある」と、私は説明した。
「じゃあ、ここに建設したSダムも、将来的には第二の自然になるってことですか?」と、Mはすぐさま訊ねた。
「アテネのパルテン神殿、ローマのコロッセウムは、すでに第二の自然だと思うが、Sダムが、そんなに長く、つまり二千年後くらいに残っているとは考えにくい。ローマもアテネも、少なくとも2800年前くらいから、ずっと人間が住んでいる。その間、人が住まず、廃墟になったことは一度もない。が、Sダムのちょっと上流のこの地域の人が、この先、100年間、住み続けるかどうかは、正直、はなはだ疑問だ。Mにたとえば、子供が5人生まれて、その5人の子供が、またそれぞれ5人ずつ子供を産む。そうやって増えて行くと、Mの一族が、このあたり全域を再開発して、新たなM村を築き上げることになるが、そもそも、オマエたち夫婦は、5人も子供を産まないだろうし、たとえ産んで育てたとしても、この村には、残らないだろう。オレの故郷の漁村は、実質的にはK市内に組み込まれている。正直、そう不便なとこでもない。K市の繁華街には、二時間半も歩けば到着できる。それでも、現在、過疎化が急速に進展している。オマエが、ここに窯を築いて、一応、M窯として、世の中に知られたとしても、息子があとを継いでくれる保証とか、全然ない。都会の情報は、テレビ、ラジオ、雑誌などを通じていくらでも入って来る。オレの親友の実家は農家で、あとを継ぐつもりだから、故郷を離れる必要は、皆目なかった筈だが、京都の大学に進学した。親友は、圭一が進学するから、オレも大学に行くと、いたってsimpleな理由で、親を説得したらしい。大学卒業後、実家に戻らず、大阪でサラリーマンになったりしたら、オレは親友の親に間違いなく恨まれる。そんなことで、人の恨みは買いたくないが、まあ、普通にありそうな話だ。オレの人生経験は、まだ浅いかもしれないが、漁業とか農業、林業のような身体を使う仕事よりも、サラリーマンの方が楽だ。土曜日は半ドン、日曜、祝祭日は休み。正月、お盆の休みだってある。きちんと生活のリズムを拵えることができる。親友の家は、イチゴ摘みが始まったら、連日、徹夜で、イチゴをパックに詰めている。仕事が目の前にあれば、労働時間などまったく関係ない。目の前の仕事を、どうあってもやり遂げなければいけない。働き方改革、そんな言葉も、時々、耳にする。ひたすら長時間働く労働は、少しずつ批判されるようになって来ている。『別に楽をしなくもいい。モノを作る地道な農業の仕事に専念したい』と、そんな風にみんなが考えるようになれば、昔のような農村のコミュニティは、復活すると思うが、まあここまで文化が発達し、便利になってしまったら、もうそれは考えにくい」と、私はMに伝えた。
「桃源郷とかと大袈裟なことを言うつもりもないんですが、農業や林業で、地道に働くことが善だと信じている、ある一定数の家族が、同じ地域に住めば、昔ながらのコミュニティを復活させることも、可能なんじゃないですか?」と、Mは私に訊ねた。
「まあ確かに、それを桃源郷と呼んでも構わないと思うが、そういう桃源郷が、あちこちに雨後の筍のように、登場するとは考えにくい。そもそも、古代中国の桃源郷だって、周囲とは、完全に切り離された場所に存在していた。周囲と交渉しないから、当然、自給自足だ。食べ物は、まあ米や野菜を拵えて、たまに山のイノシシを捕獲したり、鳥を絞めたりして、何とか食い繋いで行くとしても、衣服や家財道具は、どうするんだってことになる。子供も生まれるだろうし、勉強道具だって必要だ。大人たちだけで、そういう孤立したコミュニティで暮らすことは、まあ、できなくもないが、子供まで、それに巻き込むのはどうなんだろうって気はする。オレは、子供の頃、テレビは見てない。が、ラジオはものごころ付いた時からずっと聞いていた。本だって、保育園の年少の頃から読んでいる。テレビはまあなくてもいいが、ラジオも本もなくて、子供の頃から、ひたすら農業の仕事を手伝ったり、魚を釣ったり、貝掘りなどばかりやらされたら、『オレの子供時代は一体何だったんだ』と、思春期になって、暴れ出してしまうかもしれない。Mは、この先、より付加価値の高い焼き物を次々と、世の中に送り出すようになるのかもしれない。父親はすぐれた焼き物を拵えている。自分たちはそれを陰で支え、フォローしているから、充分に幸せだと、奧さん、子供さんが考えたりするとは、オレにはとても思えない。父親は父親で、自分たちは自分たち。これが、西欧が日本に持ち込んで来た、個人主義だ。どう考えても、今の日本には、西欧風の個人主義が、全国津々浦々にまで、浸透していると想像できる」と、私は、Mに説明した。

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