創#594「歳上の女性との恋愛は不可だと、子供の頃から、今に至るまで、思い込んでいます。これが、もし可だったら、自分の人生は、まったく違うものになっていたと想像できます。好きな先輩が沢山いて、きっと収拾がつかなくなってしまっていました」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー331」

 列車は杉で有名なO駅に到着した。O駅からバスに乗り、Sダム前で下車して、そこから西に山径を歩いて行けば、Mの家に辿り着く。が、Sダム方面に向かうバスは、昼間は走ってなかった。朝と夕方のみ運行していた。タクシーを利用するといった贅沢なことは、さすがに考えられなかった。
 私は、徒歩でMの家に向かうことにした。このあたりの山径は、高校時代、Mと一緒に何回か歩いていたので、道に迷う心配はなかった。
 途中に、八十八ヶ所巡りのお寺があれば、立ち寄って、参拝したかったが、四国山脈の山奥には、札所はなかった。子供や老人も含めた老若男女の誰もが巡礼できるように、難所を避けて、札所を設定してあるんだろうと想像できた。
 長距離を走る時と同じように、スースーと二回息を吸い、ハーハーと、二回息を吐く呼吸法を続けながら、歩く方法を、Mに教わった。確かに、この方法だと、歩くことに集中できるし、歩くspeedもupする。が、これだと、マラソンと同じで、自己の限界に挑む体力勝負のようなものになってしまう。体力勝負をしながら、美しい自然の中を歩くのは、何か違うような気がした。
 私は、高校時代、山径をかなりの距離、Mと一緒に歩いたが、その時に、お喋りをしていたわけじゃない。アリストテレスが、リュケイオンに設定したペリパトスのような遊歩道であれば、歩きながら議論をしたと思うが、日本の自然に包まれた山径は、喋らないで、ぼぉーっとしたり、取りとめもない事を考えて歩いたりした方が楽しい。Mに直接、訊ねたことはないが、Mもきっと同じ考えだったんだろうと、勝手に想像している。
 8月下旬のこの時期、山の茂みのあちこちに、葛の花が咲いていた。秋の七草の中では、葛の花が一番、好きだった。素朴で、田舎の野草っぽいとこが、気に入っていた。グラジオラスとかカンナのような、外国でハデに改良された艶やかな花は、好きじゃなかった。
 Mは私より一歳歳下の19歳なのに、もう奧さんも子供もいて、農業と焼き物を生業にして、生計を維持している。私も、自分一人が、食って行くことくらいは、何とかする自信はあったが、奧さんを貰って、子供を拵えて、子育てをしながら、自分の好きなことをやって、尚かつ生計を維持して行くという自信は、皆無だった。
「まだ、生活力が全然ないので、パートナーを貰って、二人で暮らして行くことは、どう考えても無理です」と、中沢先輩に漏らすと
「一人じゃ食って行けないが、二人だと食って行けるようになる」と、反論されたことがあった。一人分の部屋代が不要で、家財道具も共有できるので、理論的には、確かに何とかなって行くような気がしたが、パートナーを貰うと、好き勝手に放浪することはできなくなる。人間には、ある一定量の「放浪」が、必要とされているんじゃないかという気がしていた。自分はまだ、その一定量の放浪をこなしてないと、想像できた。
 が、Mだって、それはまだ達成できてない。Mが放浪をやめて、所帯を持ってしまったのは、何故なのか、そこは、どうあっても聞いておきたかった。が、奧さん、子供がいない時に、それを聞くべきだと想像していた。
 親友の俊輝は、別段、放浪するつもりはないらしい。洋子さんが承知すれば、今すぐに大学を中退して、洋子さんの実家に婿養子に行って、農業を生業にして、良き夫、良き父親、よき養子として、家庭生活を大切にして、過ごして行きそうな気がした。
 大阪の料亭で板前の修業をしているHも、包丁一本をサラシに巻いて、板場の修業に行くつもりは、さらさらないらしい。一人前になって、ある程度、資金が貯まれば、故郷のどこかに、自分の店を持ちたいと語っていた。Mも親友の俊輝も、小学校の同級生のHも、三人とも、子供時代には一度も引っ越しを経験してない。生まれた場所で、ずっと育って来ている。今も、その実家は、Mを除いて存在している(Mは実家がSダムの底に沈んでしまったので、存在してない)。私は、生まれてから、現在まで、10回、引っ越しを繰り返して来た。どこに住んでも、基本、スタンドアローンで孤独だった。伯母の家に引き取られていた小5、6の二年間のみ孤独じゃなかった。スタンドアローンで孤独な人間は、放浪が義務づけられているような気さえした。
 が、私の母のような、およそ人の親になるにはふさわしくない、不適切にもほどがある人間でさえ、人の親になった。私も、多分、子供は嫌いだが、自分の母が親になった以上、自分が親にならないのは、ルール違反だと、漠然と考えていた。
 まりさんやMのように、なるべく早く、親としての責務を果たしたいという気持ちには、到底、成れなかった。女性は、子供を産むことができる出産年齢が、限られている。男の場合、多分、幾つになっても、生殖は可能だと想像できた。
 ある一定量の放浪が必要だとして、歳を取ってからの放浪は体力的にきついと、想像できた。人生の前半は放浪で、後半は定着し、結婚、子育てをする。結婚は、人生の後半の入り口あたりですると、ざっくりとライフプランを描いてみた。が、どうしても、一緒に暮らしたいという人が、突如、現れたら、そこで、人生は一変してしまうということも、考えられないわけでもなかった。
 まりさんとか、本屋の上司の本城さんとか、あるいは、これは想定しちゃいけないことだが、中沢先輩のパートナーだった千香先輩とかだったら、一緒に暮らすのはありだという気もした。が、それは結局、母親の愛情を受けなかった私が、その埋め合わせとして、歳上の女性を好きになるという、仕組みじゃないかとも考えられた。そういう仕組みを、あらかじめ排除するために、先輩の女性とは、絶対に恋愛をしないという不文律を、自己に課して来たのかもしれないと、ふと思ったりもした。

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