創#586「歳を取ると、雨が降ったら、落ち着くし、読書も絵を見ることも、音楽を聞くことも、より集中してできるような気がします」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー326」

「コンニチハ」と、声をかけて、G高校の灰色の地味な制服を着た女の子が、入って来た。「えっ、どうして・・・」と、まりさんは驚いたように呟いた。女子高校生は、テーブル席に座り
「圭一先輩も、こっちに来て、座って下さい。先輩と喋るのは、これが最初で最後かもしれないし、ちゃんと顔を見て喋りたいです」と、青天の霹靂のような発言をした。私は、カウンター席から立ち上がって、彼女の向かいに腰を下ろして、相手の顔を見つめた。
「S子さんだね。痩せてスマートになってる」と、私は彼女に声をかけた。
「受験生です。勉強してるから、ちょっと痩せました」と、S子は返事をした。
「でも、どうして圭一がここに来ていることが判ったの?」と、まりさんが、S子に訊ねた。
「今、T塾の夏期講習に通っているんですが、途中で抜けて来たんです。『今すぐ、まり先輩の店に直行しろ』と、どこかから声が聞こえて来たんです。もう閉店間際の時刻ですが、今、行かないと一生後悔すると直観したんです」と、S子は返事をした。
 東京の女子高校生は、普通に化粧をしてたりするが、故郷の高校生はすっぴんで、素顔だった。
「J中からG高校に進学したんだ。結構、普通に勉強をしたってことだよね」と、私が言うと
「それは、圭一先輩が、実例を見せてくれたからです。小6の時、お姉ちゃんから圭一先輩のことを、ちょっと聞いたことがあって、どんなにヤバい人なんだろうと思って、J中に進学したら、圭一先輩は、ずっと学校に来てなくて、で、5月の連休明けに学校に復帰して、あたしが知っている限り、圭一先輩は、いつも図書室で勉強してました」と、S子は証言した。
「ゴールデンウィーク明けに学校に戻って来て、即座にヤンキーを引退したから、喋る相手が、いなくなった。学校に普通に通わないと、矯正教護院行きだから、真面目に通って、昼休みや放課後は、図書室て時間をつぶしていた。別段、勉強ばかりしてたわけじゃない。翻訳小説を読んだり、画集を捲ったりしていた。学校の勉強を本気でやったのは、中3の夏休みだ」と、私はS子に説明した。
「二学期の中間試験で、いきなりクラスのトップになったと聞きました」と、S子は指摘した。
「数学はたいしてできてなかった。理科も苦手だった。トップになれる筈がない。3、4番ってとこだろう」と、私はS子の発言を訂正した。
「中3の夏休みにビートルズの歌詞を、全部、訳したんでしょう?」と、S子が言ったので、
「それも違う。ビートルズの歌詞を訳したのは、高1の夏休みだ。いろんな情報が、ばらばらにS子さんのとこに届いている。が、まあ文通を一方的に辞めた自分のことを、ずっと気にかけてくれてたんだ。ありがとう」と、私は、S子に素直に頭を下げた。
「あたしも、圭一先輩のように、高校を中退して、バーテン見習いとかを、目指したかったんですが、勇気がなくて、そんなこともできず、今は、普通の受験生です」と、S子は言い訳をするように言った。
「自分も二度目の高校では、普通に受験勉強をやった。人生に一回、高3の時くらいは、受験勉強をやるのが、まあ、通過儀礼のようなものだ。現役の高校生は、9月から一気に伸びる。志望校を二ランクくらいupしても構わない」と、私はアドバイスした。
「二ランクupしたら、四国から出なきゃいけなくなります。あたしは、お父さんっ子なんです。歳を取ってからの子供で、万一、親の死に目に遭えなかったら、一生、後悔します。四国のどこか、車ですぐに実家に駈けつけられるとこで暮らしたいです」と、S子は説明した。
 S子いやK子先輩の家庭の事情などは、もちろん聞いたことはなかった。
「K子のお母さんは、ちょっとヤバい人だけど、お父さんは温厚で優しくて普通の人。あたしも、何回か顔を合わせたことがある」と、まりさんが口を挟んだ。
「自分の親友も、東京にいたら、親の死に目に遭えないかもしれないと懸念して、京都の大学に進学した。が、東京だって、飛行機に乗れば、50分で故郷に帰りつける」と、私が言うと
「でも、圭一先輩は、飛行機が嫌いなんですよね」と、S子が指摘した。そして
「あたしは、圭一先輩からもらった三通の手紙を、何十回も読み返しました。read between linesというのか、欄外を読む力がつきました。圭一先輩が、もう一度、高校に通うことも、あたしは、だいたい想定できてました」と、S子は伝えた。
「自分も三回、S子さんから、結構、長い手紙をもらったが、2、3回しか読んでない。内容も忘れた。read between linesは、もちろんできてない。進学する大学とか学部とか、どういうとこを、考えているんだ?」と、私が率直に聞くと
「動物が好きなので、獣医学部を最初、考えたんですが、そもそも四国には獣医学部はないし、最後、父親のケアもしてあげたいという気持ちもあって、医学部を目指しています。薬嫌い、病院嫌いの圭一先輩のお役には立てませんが」と、S子は恐縮したような口ぶりで言った。
「徳島大の医学部ってことだな。だったら、やっぱりワンランク上の岡山大の医学部でいいような気がする。岡山だったら、倉敷に美術館もあるし」と、私は、幾分、自分ごととして、S子の進路について語った。
「大原美術館ってことですね。最後にもらった手紙の中に、大原美術館で買ったモネの『睡蓮』の絵葉書が同封されてました。額に入れて、今でも机の上に飾ってあります。あれを見てると落ち着きます。高校受験の時も、しょっちゅう見てました。東京にも、いくつか睡蓮のバージョン版があると思いますが、将来はパリのオランジュリイに行って、睡蓮に取り囲まれてみたいです。私は、圭一先輩と違って、飛行機には普通に乗れます」と、S子は言った。
 モネの『睡蓮』に、特別、惹かれているってわけでは、全然なかった(今も別段、惹かれてない)。が、お土産で、周囲の人に配るとしたら、モネのそれが、もっとも無難だと判断できた。それで、モネを送った。万一、グレコの『受胎告知』を送っていたら、S子運命は、激変してたのかもしれない。人生の多くの局面において、取り敢えず、無難にこなすことが、大切だと改めて痛感できた。

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