創#590「高校時代、見るたびに違う彼氏と歩いてるMさんという先輩と、親しくしていましたが、確かに、この彼女と一緒にいたら、幸せになれるかもと、夢を見させてくれる魅力的な人でした」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー327」

「あんな、ちっちゃな絵葉書をずっと大切にしてくれて嬉しい。S子さんは、あのちっちゃなコピーでも、『睡蓮』の美しさが理解できるわけだ。それは、それですばらしい才能と感受性だと思う。あの絵葉書が、手元に何枚かまだ残っていたので、Gのカウンターで、その絵葉書を使って、まりさんに何か、事務連絡みたいなメッセージを送ったことがあります。覚えてますか?」と、私は、まりさんに訊ねてみた。
「え、いつ?」と、まりさんは覚えてない様子だった。
「自分が高校を中退して、バーテン見習いをしていた頃ですから、まりさんは高2の秋くらいです。まあしかし、あの頃、まりさんは、忙しそうでした。まりさんが、お付き合いしていた男の子だって、日替わりとまでは言いませんが、毎週、違っていたような気がします」と、私が言うと
「彼氏とかじゃなくて、単なるボーイフレンド。ボーイフレンドは、確かに沢山いた。圭一だって、あたしのボーイフレンドの一人。先輩、後輩とかって枠に、自分を縛ったりしない方が、自由に付き合える。圭一は、自分を縛り過ぎてるかもしれない」と、まりさんは、忠告するように言った。
「とにかく、モネの『睡蓮』は、眼中になかったわけですね」と、私は確認するような口調で言った。
「何か、絵を描いたハガキを貰ったような、貰わなかったような」と、まりさんは、言い訳をした。
「つまり、まりさんは、リアルタイムの日々の生活を、充実して過ごしていらっしゃるんです。過去を顧みるゆとりは、今の忙しいまりさんには、多分、ないんです。私は、結構、過去に生きている人間ですが、まりさんは、今に生きていて、視線は未来に向かっています。だから、みんなに慕われるんです」と、私は、まりさんを持ち上げるように言った。
「えっ、何。それ、褒めてるの? 全然、褒めてないようにも聞こえるけど」と、まりさんは、首を傾げた。
「褒めてますよ。圭一先輩が、まり先輩のことを尊敬している様子は、傍で話を聞いていても嫌というほど判ります。まり先輩が、過去を振り返らないってことは、多分、ないと思いますが、過去と現在と未来の三者のバランスの取り方が巧みで、さして必要はないと判断したら、過去をすぱっと切り捨てて、さて置けるんです。それは、すばらしい才能です。普通の人は、結構、いつまでも過去のトラウマとかにつかまって、前に進めなかったりするんです」と、S子さんは、明確に分析した。
「二個下の女の子って、侮れませんね」と、私は感心したように、まりさんに声をかけた。
「S子は、きっと、自分自身の内部に、ちゃんと持ってるものがあるのよ。それは、K子だって持ってたけど、K子は、それを持て余して、自滅したみたいなとこがある。才能とかセンスはあり過ぎても危険だから」と、まりさんは抽象的な言い方をした。
「まり先輩の言ってること、判ります。あたしは、お姉ちゃんみたいな才能もセンスもないから、地味に暮らして来れたんです。でも、ヤンキー時代の圭一先輩に会っていたら、人生は変わっていたかもしれません。引退後の隠居時代みたいな圭一先輩を見て、さらにいろいろ、落ち着いたんだろうと思います」と、S子は、しみじみとした口調で言った。
「じゃあ、お姉ちゃんのK子みたいにグレなかったのは、ちょっとは圭一のお陰ってとこもあるんだ。圭一なんて、人のために何にもしてないように見えるけど、そういう見えないとこで、誰かの役に立ってたりしたんだ。まあ、あたしも圭一がこっちに戻って来てくれると、安心できる。圭一は、そこにいるだけで、多少は、人さまの役に立ってたりするのかもしれない」と、まりさんは、笑いながら言った。
「それも、正直、褒めているのか、or notなのか、よく判らない発言です。が、通りすがりの旅人ですから、誰の役にも立たない、山歩きとかに、将来は、没頭してたりするのかもしれません。この後、四国山脈の奥に住んでいる後輩のMに会いに行くんですが、あいつと一緒にいると、歩きたくなるんです。Mの故郷が四国山脈の奥なんです。海辺で育った人間とは違うエートスを備えています。二度目の高1の時、二人で、四国山脈の奥から、この町まで、途中、野宿などをしながら、歩いて帰って来たことがあります。16歳くらいで、そんな無茶なことをするとは、自分では思ってなかったんですが、Mのオーラに巻き込まれて、歩いてしまいました。Mは、今、陶磁器を焼いています。まだ、始めたばかりで、モノにはならないと推定できますが、そこそこのモノを焼けるようになったら、まりさんの店で、買って使ってやって下さい。私は、Mの人間性と才能を信じています。買っておいて、損をするってことは、絶対にないです。Mのエネルギーが外側に溢れている焼き物が、もしあったら、一個貰って帰って、それで紅茶を飲もうと考えています。ここは、国産のNとかの陶磁器を使っていて、品物として悪くはないと思いますが、そうは言っても、大量に生産し販売している、工場製品です。そうすると、どうしても、スピリッツは抜け落ちてしまうんです」と、私はまりさんに言った。
「圭一先輩、あたしにも一個斡旋して下さい。圭一先輩がそこまで心酔している後輩のお茶碗で、自分はココアを飲んでみたいです」と、S子は口を挟んだ。
「ココアって、バンホーテンのココアってこと?」と、私が聞くと
「そうです。牛乳は、地元のN乳業のものを使います。砂糖は、奄美大島の黒糖です」と、S子は返事をした。
「奄美大島の黒糖は、バンホーテンとの相性はいいのかな?」と、私はバーテン見習いに戻った気分で、訊ねてみた。
「もちろん、黒糖は控えめです。でも、黒糖はほんの少し加えるだけでも、ホットだと充分に甘く感じます。それに地元の牛乳だからフレッシュです。北海道から、何週間もかけて、やってくる牛乳ではありません。三ヶ月くらいの賞味期限を保証している牛乳があったりしますが、どう考えてもアレはヘンです」と、S子は指摘した。
「もしかしたら、珈琲を淹れたりすることもできるのかな」と、私が聞くと
「父親のために、毎朝、ドリップで珈琲を淹れています。でも、美味な珈琲がどういうものなのか知らないので、受験が終わったら、倉敷の大原美術館に行くつもりですから、その時、有名な珈琲館で、珈琲を飲んでみるつもりです」と、S子は伝えた。 

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