音#15「ルサンチマンな歌詞をてんこ盛りにして、それを音楽にぶつけて来たとしても、音楽には物理的な約束、決まり事があるので、音楽ではルサンチマンは表現されません。これを、UKロックフリークたちは、レディオヘッズで、充分に学習している筈です」

              「音楽ノート15」
 文化祭前に、いくつかのクラスで、ニーチェを扱ったので、ニーチェに関連して、「ルサンチマン」について語りました。ルサンチマンとは、怨恨、この社会に対する恨み、つらみといった風な意味の言葉です。ニーチェは、「キリスト教は、弱者が強者に打ち勝つために作り上げた虚構だ」と、言い切ります。理屈としては理解できます(全面的に納得しているわけではありませんが)。
 私自身が、現在、ルサンチマンを抱いているか、どうかと言えば、抱いてません。まあ、それなりに賢く、要領良く、如才なく歳を取って来たので、「ルサンチマンを抱くことは時間とエネルギーの無駄遣いだ」と、はっきり承知しています。今のトレンドな言葉を使うと、ルサンチマンと言うのは、コスパ的にも、タイパ的にも引き合わないんです。引き合わないというのは、payしないという意味です。プラス、マイナスの差し引き勘定をすると、ルサンチマンは、間違いなくマイナス帳尻になってしまいます。だから、そこそこ分別があって、そこそこ賢い大人は、ルサンチマンを抱きません。
 が、若い人は、ルサンチマンを抱かざるを得ないと推定できます。この世の中は、大人たちの都合、考え方で動いています。子供たちや若者の考え方、都合で動いているわけではありません。
 先日、都立高校の男女定員の枠を撤廃すると、新聞が報じていました。男女平等という考え方を推し勧めると、男女枠の撤廃という結論になるんだろうと想像できます。が、高校生になっても、男女半々の学校生活を、過ごしたいと考えている受験生だっている筈です。例年通り、男女半々くらいだろうと、勝手に予測して実際に高校に入学したら、女子9割男子1割だったという事態も考えられます。無論、男子9割、女子1割の逆のケースも、理論的にはあり得ます。女子1割、男子9割の場合、女子は、少数でも逞しく学校生活を過ごしますが、逆の場合、つまり9割の女子に囲まれた1割の男子は、パワーを発揮できず萎縮します。
 男女平等が、世の中の建前であり、トレンドですが、男女は決して、平等ではありません。古稀近くまで、無駄飯を食い続けて来ましたから、男子の方が、女子より、生物学的な種として弱いということは、常識と知り抜いています。
 世の中には、今だに男子校という学校が、いくらでもありますが(開成、麻布、武蔵の御三家は男子校です)それは、圧倒的に種として強い女子から、男子を守るために、ある意味、必要な教育的配慮だと言えます。受験勉強に邁進させるためには、charmingで、fantasticな女子は、敬して遠ざけておいた方が、望ましいとも言えます。
 大人になるに従って、ずる賢くなります。ずる賢いを英語でcleverと言います。巧みにcleverな人間性を身につけて、世の中の矛盾、非正義、悪などを、見て見ぬふりをする、そういう処世術を、会得して行きます。
 ルサンチマンを爆発させて、犯罪に走ることは、許されてませんが、ルサンチマンを、音楽のスタイルで、ぶちまけて、防衛機制的に『昇華』させることは、推奨できます。
 私の次女が、6年くらい前に、ヨルシカのCDを買って聞いていました。この頃、ヨルシカとヨアソビは、インディーズシーンで、ほぼ横並びでした。ヨルシカは、ルサンチマンをストレートに音楽にぶつけていました。
 ラップでしたら、ベースorバスドラの重低音にのせて、ルサンチマンの重たいメッセージを語りますが、ヨルシカは、ラップ風でなく、日本の伝統的な呪術師のように、ネガティブなフレーズを、マシンガンのように打ち込んで来ます。
 シンコペーション的に、フレーズを、前のめりに突っ込んだり、タメて後ろに置いたりはしますが、リズムも和音も、音楽の約束に則っています。音楽の規則に則って、ルサンチマンをきれいに昇華していると感じました。
「だから僕は音楽を辞めた」という曲が、一番好きです。長年、バンドの部活の顧問を務めていましたから、高校生をも、ビジネスの餌食にしようする音楽業界のえげつなさは、嫌というほど承知しています。音楽業界の海千山千の人たちに、いいようにされたり、利用されたり、騙されたりしないように、自分の学校の生徒を守るために、こちらも、必然的に賢くなりました。私を賢くしてくれた、海千山千の音楽業界に人たちに、感謝すべきかもとすら思っています。
「プロなど、絶対に目指すな。受験勉強をして、普通に大学に行け。音楽は趣味で楽しむのがbestだ。仕事にするものではない」と、ずっと言い続けていました。私は、音楽は好きですが、音楽業界、音楽ビジネスは、信用してません。
 ヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽業界の中で、音楽を無駄に創作し、演奏することを辞めたという意味です。
 文化祭の二日目、体育棟に向かう二階の渡り廊下に掲示されている、東北修学旅行の事前学習の生徒のレポートを読んでいたら、体育館から、「だから音楽を辞めた」のコピーが、聞こえて来ました。事前学習の松尾芭蕉とか伊達宗政、野口英世とかをさて置いて、体育館に足を運びました。ギター伴奏者と、Voのデュオで、ヨルシカの演奏をしていました。
 愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪いよ
 ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ
ラブソングが痛いのは、確かに防衛本能かもしれないと、納得しながら聞いていました。どうやらこのデュオが、トリのユニットだったらしく、アンコールの声がかかりました(あっ、アンコールお願いしますと、陰マイクで言ったりはしてたんですが)。それで、もう一曲、ヨルシカの「ただ君に晴れ」を演奏しました。この曲は、ルサンチマンをぶつけた曲ではありません。
 夏日 乾いた雲 山桜桃梅 錆びた標識
 記憶の中はいつも夏の匂いがする
過去の懐かしい夏のsome dayを思い出しています。山桜桃梅は、ゆすらうめと読みます。実際に発音する時は、撥音便で「ゆすらんめ」になります。私は、子供の頃、海の見える裏山で、ゆすらんめを食べました。今の若い人が、ゆすらんめを食べるとは、考えにくいですが、小さな紅の実が、雨に濡れてきらきらと、小さな宝石のように輝いているsceneは、記憶に残ると思います。この曲は、「負け犬にアンコール入らない」のアルバムの中に入っています。このアルバムですと、私は「ヒッチコック」が推しです。
 青春って値札が背中に貼られていて
 ヒッチコックみたいなサスペンスをどこか期待していた
あっ、それはあるかもです。ちなみに、ヒッチコックのmy favoriteは、「北北西に進路を取れ」です。 

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