創#587「人脈がどっさりと言った先輩を結構、見ましたが、それはそれで、大変そうでした。自分は、狭く、深くで、まあ自分のキャラに合った人付き合いだったと思っています」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー324」

「健康的なカフェのママなんて、初めて言われた。でも、中学時代と較べると、確かに健康的。圭一は、通りすがりの旅人だから、気がついてないかもしれないけど、あたしたちの故郷は、今、どんどん老人化している。中学生の女の子が子供を産んで、ヤンママになるとかって、あたしの周囲には、ざらにあったけど、もうそんな話は聞いたことがない。若い子が、恋愛とかsexとかを気軽にしなくなった。ゲイとか、レズの恋愛も増えた。だから、子供が次々に生まれるってことがなくて、お年寄りがやたらと病院通いをして、医療の力で延命されてしまっている。子供は産まれない。お年寄りは長生きする。どうしたって、老人県になってしまう」と、まりさんは、世の中の急速な変化について語った。
「えせオーガニックと思われる食品、食材がやたらと増えました。これはやはり、健康志向、長寿志向ってことですか?」と、私が聞くと
「えせか、えせじゃないかなんて、一般の消費者には判別できないし、取り敢えず、オーガニックって名付けておこうってことね、きっと。えせじゃないオーガニックとか、あり得ないと、バーテン見習いをしてた頃、圭一は言ってた。自分で店を始めてみると、圭一が言ってたことが、充分、理解できた。野菜だけでも、自分で栽培してみたいけど、店を営業しながら、同時に家庭菜園を手がけるなんてことは、物理的に不可能」と、まりさんは説明した。
「禁煙にしているカフェとか、まだどこにもない筈です。アルコールも出してないし、革命的な発想です。普通はどこの飲食店だって、アルコールで稼ごうとしているんです」と、私が言うと
「稼ぎとか儲けを犠牲にしても、健康とか長寿が実現できるなら、そっちの方が望ましい。まあ、ヘンな客も来なくなるし、アルコールを出さない方が、店の運営はやり易い」と、まりさんは言った。
「脳卒中で倒れて、左半身or右半身が不随になっても、アルコールも酒もやめない人がいます。このタイプの人の理屈は、実に明快で『医者の言うことを聞いて養生しても、しなくても、どっちにしても死ぬ、どうせ死ぬなら、自分のやりたいことを自由にやって死ぬ』です。この理屈は、ある意味正しいので、論破したり説得したりすることはできません。健康志向、長寿志向でいいと思いますが、そういう優等生的な人生を送って行くことに、躊躇とか、ためらいとかは、まったくないんですか?」と、私はまりさんに訊ねてみた。
「時に、悪女とか妖婦のような、スリルのある生活をしたいという衝動が起こるかもしれない。が、自分の息子を、健全に育てるために、そこは抑える」と、まりさんは言った。そして
「さっき、圭一は22歳以降、ドラマは起こらないかもしれないと言ってたけど、10代の頃のような、疾風怒濤は、多分、起こらない。大人になると、何ごとも上手に受け流し、如才なく、賢く対応できるようになる」と、付け加えた。
「それは、まりさんだからこそ、できることです。自分も二十歳になりましたが、中1の頃より、今の方が賢いとは、到底、思えません。ただ、確かにドラマチックなことは、もう起こらないような気はします。日々の平凡なルーティーンの繰り返しです。その中で、如何に退屈せず、creativeに、かつenjoyしながら生きて行けるのかということが、多分、問われています。creativeに、かつenjoyもするためには、学力もスキルも必要だと思ってます」と、私が言うと
「圭一は、中坊ヤンキーの頃も、せっせと本を読んでいた。あれは、学力をつけるためだったってことね」と、まりさんは思い出したように言った。
「本を読むことは、映画を見たり、音楽を聞いたりするのと同じように、普通に面白いんです。英語の文法を学んだりするのは、これは、明らかに学力をつけるためです。文法を学ぶことが、面白いなどと思ったことは、一度もありません。が、文法を知らないと、英語の歌詞だって訳せないし、英文のライナーノーツも読めません。古典の文法の勉強はやってませんが、古典は、日本語なので、何回も繰り返し音読していれば、意味は判ります。英単語を覚えたりするのも、学力をつけるためです。英語を学ぶのは、日本語の国語力をよりパワーアップするためです。他人のことは判りませんが、自分はそういうスタンスで、英語の勉強をしました」と、私が言うと
「じゃあ、圭一が、こっちに帰って来たら、ウチの店で、英語の講習会をやってもらったりすることも、可能だってことだね」と、まりさんは、ちゃっかり要求した。
「通りすがりの旅人ですから、アテにはしないで下さい。将来、市内で暮らすことになれば、自分のできる範囲内で、お手伝いはします。中学時代の先輩は、幾つになっても、自分の先輩です。まりさんがいてくれたから、J中時代、happyに過ごせたんです。私のJ中のバンド仲間は、勝手にさっさと死んでしまいましたが、彼等と違って、私にはまりさんという大切な先輩がいます。大切な先輩がいるのに、さっさと自分一人が、先に死ぬとかって、あり得ません。命の恩人とまでは言いませんが、中2の終わりに私と一個上の先輩方とのトラブルが起こった時も、まりさんは、陰で私を庇ってくれていた筈です。そういう恩は、さすがに忘れません。受けた恩を忘れず、筋を通して生きて行く、これはsimpleな私の処世訓です。ビートルズの歌詞を訳したり、シェークスピアの原文の朗読会みたいなイベントなら、積極的に取り組みます。私は、カタカナ英語しか喋れませんが、ビートルズは曲を流せばいいし、シェークスピアの朗読テープくらいは、図書館で探せばありますから、それをダビングして使います」と、私は説明した。
「こっちに、帰って来るなら、K子とかKくんにも会っておいた方が、いろいろと便利かもしれない」と、まりさんは中学の自分の同級生たちの名前を挙げた。
「K子さんや、Kくんと自分とは、貸し借りなしです。挨拶に行かなくても、文句などは言われません。将来もお付き合いする人って、たとえば、中学時代だったら、その時期に、もう決まってしまっています。人脈が多ければ多いほどいいと言った風な、そんな付き合い方は、自分はしません」と、私はまりさんに伝えた。

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