自#395「クラシックを5ヶ月間くらい聞いて、ポップスに戻りました。たまに、クラシックを聞くと、ポップスのありがたみが判ります。そもそも、そこらのハードオフで買って来たような安物のCDラジカセで、クラシックを聞くことが無理です。クラシックを聞くためには、それなりのオーディオ装置が必要です」

         「たかやん自由ノート395」

 連休中に本とCDの整理をし、窓際に積み上げていた大量の雑誌を処分しました。雑誌を処分したので、薫風が部屋の中に入って来ました。これはまあ、断捨離がもたらす、happyってやつです。今年に入って、5ヶ月間くらいずっとクラシックを聞いていましたが、立夏の日(5月5日)から、ポップスに復帰しました。3、4日前からJason Mrazの二枚目(MR.A-Z)を聞いていましたが、昨日、三枚目(We sing.We dance.We steal things.)を流しました。さやわかな初夏の風と、みごとなまでに楽曲がコラボしています。私の知り合いで、大学時代にウィンドサーフィンをやっていたR子ちゃんが「ニシモリさん、海も風も、世界中、全部違うんだよ」と言ってました。そうかもしれませんが、「海も風も、世界中、どこも金太郎飴のように、同じなんじゃないか」と云う気もします。私の部屋の窓から入って来る武蔵野の初夏の風も、Jason Mrazがサーフィンをやっている(今もやっていると思いますが)西海岸のサンディエゴの浜風も、結局は、同じだろうと思ってしまいます。ウパニシャッド哲学のいう「梵我一如」のちょっとした応用問題(いやむしろ基礎問題かもしれません)なんじゃないかと云う気さえします。

 Jason Mrazは、二枚目のアルバムが大ヒットして、サーフソング界のスーパースターになりました。サーフィンができるとこなら、世界中、どこへでもツァーに出かけるというスタンスだったかどうかは判りませんが(苗場にも来ましたから、サーフィンにはこだわってなかったのかもしれません)多くの国で、「MR.A-Z」の曲を、ライブで聞かせ、グラミー賞にもノミネートされ、ローリングストーンズの前座を務めたりもしました。が、ある日、突然、当分の間、ツアーもレコーディングも含めて、その他すべての音楽活動を休もうと決意しました。Jason Mrazは「またスーパーマーケットに行きたい。自分で洗濯したい。庭の手入れをしたり、猫も育てたい。サンディエゴに戻ってもう一度、コーヒーショップで演奏するようにし、自炊もして、サーフィンもして、他人の指示や意見を待って動くのではなく、自分自身の人生の基準や価値観を決めて、自分が本当に生きていると実感できるような生活を送りたい」と、当時の心境を語っています。インディーズの頃は、音楽の本質に向き合って、誠実かつ真摯に曲作りやツァー(どさ回り)をやっていた訳ですが、メジャーになった途端、売れるか売れないか、儲けるか儲けないかのビジネスの本質に向き合わざるを得なくなる、まあこれは、音楽だけじゃなく、アート系のどの業界もあるあるです。新海誠さんだったら、インディーズ時代の「ほしのこえ」が一番良かった、などと言うと、「君の名は」推しのファンに怒られるかもしれませんが、事実です。宮崎駿さんだって、ナウシカの漫画が、最高傑作です。あれを超える作品は、いまだに作ってません。

 Jasom Mrazが原点に立ち返ることができたのは、オーストラリアツァーをしている時突然、送られて来たバガヴァッドギーターを読んだからです。差出人の名前は書いてなくて、「読み終わったら他の人に回して下さい」というメモの入った、幸福の書籍便みたいなやつです。私は、バガヴァッドギーターとか、仏教系などの本をいくら読んでも、理解できません。声を出して読めば、多少、理解できるような気もしますが、多分、気がしてるだけです。仏教もヒンズー教(バラモン教)も、不立文字だと私は思っています。Jason Mrazが、バガヴァットギーターを理解できたのは、アーティストとして、百尺竿頭のあと一歩というとこまで、歩を進めていたからです。私は、教師として頑張った方だと、自分では思っていますが、百尺竿頭のあと一歩どころか、あと四千歩とか五千歩とか、そのヘンをうろうろしていたに過ぎないと自覚しています。教師として、極限まで行ったことなど、一度もありません。そもそも、公務員というJobを選んだ時点で、リスクからは大きく遠ざかってしまっています。ハイリスク、ハイリターン(精神的な糧のリターンという意味です)の疾風怒濤は、大人になってからは、一度も経験してません。バガヴァッドギーターを理解したいという欲はありますが、そのためには、おそらくサンスクリット語を学ぶ必要があります。語学も25歳までが勝負です。今さら手遅れです。

 ガンディーは、イギリス人のように強くなるためには、肉を食べなければいけないと考え、子供の頃、無理をして肉を食べていたそうです。が、肉食は自分には会わないと自覚して菜食に戻ります。イギリスに留学して、英国紳士のようになろうとします。が、インド人のガンディーが、英国紳士になれる筈がないです。ある日、バガヴァットギーターを読んで、真理を悟ります。酒を断ち、禁欲生活をして、完全菜食主義を貫きます。

 ガンディーが、生涯に何回も実施した断食には、子供の頃、憧れました。映画館のニュース(二本立ての合間にニュースを流していました)で、ガンディーの断食姿を見て、大人になったら、いつかこんな風な断食生活をしたみたい思ってました(大人になって一週間くらいの断食は、何度もやりましたが、指導者なしの素人の断食は、一週間が限度だろうと推定できます)。ガンディーは、信念があって断食をやっています。信念のない何ちゃって断食をやっていいのは、せいぜい一週間だと、身の程をわきまえて、私は行動して来ました。

 ガンディーは、イギリスで法律を学び、母国に帰って弁護士になります。が、弁護士としては、あまり成功してません。弁護士という仕事には、はったりも、駆け引きも、ブラフも必要です。真理に目覚めたガンディーには、そういう卑俗な立ち振る舞いはできません。南アフリカに渡って、虐げられているインド人出稼ぎ労働者のために闘い、本国に戻って来て、インドの民衆のために、支配している大英帝国に対して、非暴力、不服従の戦術で、インドの独立を目指して、最後まで闘い抜きます。

 ガンディーは、近代文明は、大量生産、大量消費によって、経済を回して行くことによって成り立っているという本質を見抜きます。肉体的欲望の増進が、近代文明の表徴です。無制限に生産し、無制限に消費する近代社会は、地球資源が限られている以上、必ずどこかで行き詰まります。近代文明は、少数の勝ち組の国と、多数の負け組の国に、二極化することによって成り立っています。肉体の欲望をより大きく満たすほど幸せだという思想は、結局、戦争に結びついてしまいます(事実、第一次、第二次世界大戦という大量殺戮戦争を人類は引き起こしてしまいました)。インドの真の独立、インドの真の文明は、肉体的欲望の自制に基づかなければいけないと、ガンディーは確信していました。これが、つまりサティアグラハーです。

 今の私は、一週間の断食も、もうやったりはしませんが、Jason Mrazを聞きながら、1日、2日くらい食べないくらいのことは、普通にできます(昨日から今日にかけてやってます)。

 人それぞれの初夏。人それぞれのスタイルで、この季節をenjoyするために、Jason Mrazの音楽は、私の推しです。

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