美#104「モネのアンティーブと、エトルタ、ベリールの三つの海の中から、どれが一番好きなのかと聞かれたら、ラブライブのμ’sの9人の中から、3人を選び出すよりも難しいって感じがします」

          「アートノート104」

 2019年の秋、上野で開催されたコートールド美術館展で、もっとも感銘を受けたのは、モネの「アンティーブ」の絵だったと、もう何度も書いた。30分間くらい、身動きせず、見入っていた。当日は雨で、観客も少なく、少し離れていたので、30分間移動せず立ち続けていても、警備員さんには注意されなかった(その年の春のクリムト展では、立ち止まることさえ、ほとんど許されてなかった)。
 まあ、これはやはりバリバリの印象派的な手法で描かれた作品で、全体の印象さえ深く心に刻み込むことができれば、それで充分で、ディティールを細かく見極める必要はなかった。単眼鏡を使って、細部を丁寧に見ている観客もいるが、印象派の作品は、そんな風に細部を細かく見ることは、さして意味がない。
 マネの「フォリー・ベルジェールのバー」のオレンジの肌の質感や、メイドの胸元のレース飾りの模様、ガラスコップに挿したバラの花びらのディティールなどを、確認するために、単眼鏡を使うのはありだと思うが、鏡に写っている群集の一人一人を、単眼鏡で確かめるのは、無意味。群集は、ざっくり見ていただければOKですという手法で、マネは、印象派風のタッチで描いている。
「アンティーブ」は、集英社の世界美術全集第二巻「モネ」に掲載されている。ということは、この絵は少なくとも、画集で高1の頃、私は見ている。海は好きだから、当然、画集の絵でも、注目した筈だが、正直、「エトルタ」とか「ベリール」の海の絵の印象の方が強烈で、「アンティーブ」の海は、さして記憶してなかった。上野で見た時も、「この絵は、どこかで見たけど、いつ見たんだろう」と、思い出せなかった。
 自宅に戻って、集英社のモネの画集を、窓の桟に平積みしてある下の方から、苦労して取り出して、眺めてみた。悪くはないが、上野の本物の方が、圧倒的に良かった。画集より本物の方が、いいのは分かりきったことだが、何故、画集ではインパクトが薄かったのか、少時、考えてみた。画集は、松の幹の色が濃く、葉っぱや松の実の色合いも強めで、重々しい感じがする。本物は、松の表現がもっと軽やかで、海と対岸の山々と(山笑うような雰囲気なので、季節は春)地中海の海のバランスが、みごとに取れていた。ほんのちょっとバランスが歪むと、絵は見え方が一変する。
 この絵が、再び、日本にやって来ることは考えにくい(日本人の多くが好みそうな絵だとも思えない)。アンティーブに感情移入したい方は、さすがにもう改築工事も終わっているであろう、コートールド美術館に出向いて、見て欲しい。
 が、日本海沿いの新潟、能登、島根、などに住んでいる人が、「アンティーブ」を見て、感動するかどうかは判らない。アンティーブは、コートダジュールの地中海沿いの海で、日本海っぽくない。
 そもそも、世界の海はすべて違う。私は、無論、世界の海を見たわけではない。サーフィン映画などを見て、世界の海の違いを、かつかつ知っている程度だが、私の二番目の教え子のR子は、大学でウィンドサーフィン部に入って、世界の海でサーフィンを楽しんで(まだバブルがはじける前だった)
「ニシモリさん、世界の海は、全部違うから」と、証言してた。
 世界の海は、全部違うが、あったかい海と、冷たい海、陽光が輝く明るい海、暗い海などで、大きく括ることが可能だと思う。アンティーブは黒潮沿いの太平洋の海で、エトルタやベリールは、日本海の海だみたいなことは、まあ無理やりだが、言えなくもないと思う。
 私は、20代の後半、4年間、四万十川の河口の土佐中村に住んでいて、二週間に一度暗い、車を一時間半走らせて、宇和島に出かけていた。美術集を置いてあるレストラン兼喫茶店が、宇和島にあったので、そこで画集を見ていたが、その頃、私が見た、南宇和海とアンティーブは、相通じているとこがある。
 都会で今、暮らしていて、宇和島の故郷の海が懐かしくなったら、パソコンでもいいので、この絵を検索してもらえば、私が言ってることは、理解していただけるような気がする。
「アンティーブ」の少し前に、モネは「ボルディゲラ」の海も描いている。アンティーブは、カンヌの傍だが、ボルディゲラは、そこからさらに東に進んで、マントンを越え、イタリアに入ったとこにある。フランスの海岸は、コートダジュール。イタリアのこのあたりの海岸はリビエラ(『冬のリビエラ』という歌謡曲が、一世を風靡したことがある)。リビエラには、以前、モネは、ルノワールと二人で漫遊したことがある。一緒に遊びに行く友人として、ルノワールとモネは、相性が合っていたらしい。ルノワールは、友人と気楽にお喋りをしながらでも、絵を描くことができる。が、モネは、制作をするとなると、スタンドアローンじゃないと集中できなかった。
 ボルディゲラで、制作するため、モネは画商デュランリュエルに、前借りを申し出ている(絵が完成したら、それを引き渡す約束)。その前借りの依頼状を書いて、マネは500フランの借金を申し込み、さらに続いて「この旅行のことは、誰にも言わないで下さい。秘密にしておきたいというのではなく、一人で制作したいのです。ルノワールとの一緒の観光旅行は快適でしたが、仕事のための旅行だと、二人でいると苦痛なものがあるんです。いつも、私は孤独の中で、良い仕事をして来ました。ですから、もう良いと言うまで、伏せておいて下さい。私が出発寸前だと知ると、おそらくルノワールは、一緒に行くことを望むでしょうが、それは、私たちどちらにとっても、良くないでしょう。あなたも、私と堂意見だと思います」と、書き添えている。
 ボルディゲラでは、当初、三週間の滞在予定だったが、結局、三ヶ月滞在してしまっている。デュラン・リュエルには、滞在費の追加を申し出た。まあ、春の初めのミストラルが収まって、一気に春が初夏になる風景を、描きたかったんだろうと想像できる。
 ボルディゲラでは、植物をメインに描いている。海や家も描いているが、松や棕櫚の借景として描かれている。海の傍にへばりついている街並みも添えてある。この植物のエネルギーは、やはり土佐中村に住んでいた頃、足摺岬に向かう途中にある、亜熱帯原生林の中で、見た記憶がある。夏の初め、植物のエネルギーに圧倒される時期があるが、その瞬間を上手く捉えて、モネは描いている。
 この絵は、現在、シカゴにある。ニューヨークのデュラン・リュエル画廊を通して、アメリカ人のコレクターが収集したんだろうと想像できる。

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