美#106「モネの最初の師のブーダンは、海洋画家だと言われていますが、水平線を低く設定しています。そうすると、海より空の方を、大きく描くことになります。海の描き方は、弟子のモネの方が、はるかに大胆です」

           「アートノート106」

 アメリカで編集されたモネの画集の表紙に、「船、エトルタの冬」の絵が使われている。この絵を選んだ編集者のコアなセンスに、感銘を受けた。
「船、エトルタの冬」は、最大多数の最大公約数的な名画だとはとても言えない。モネと言えば、やはり「睡蓮」。「睡蓮」をカバー絵として使っていれば、まずどこからも文句は出ない。私は、個人的には「睡蓮」は、さほどfavoriteではないが、文句などはさすがにつけられない。
 高校を卒業し上京し、即座にブリジストン美術館と西洋美術館に足を運んだが、どちらの美術館も、公式カタログのカバー絵は、モネの「睡蓮」だった。モネの「睡蓮」は、日本では、もっとも人口に膾炙している西欧の名画だということだと、理解した。
「船、エトルタの冬」の絵を使ったのは、編集者の英断だし、大衆に媚びないスタンスの現れだという気さえする。
 モネが、エトルタの冬の海を描いたのは、45、6歳の頃。私は、20代の後半、二度、冬の能登の海に出かけたことがある。二回とも、民宿の客は、私一人だけだった。民宿のママに「冬の能登に三泊もして、何をするつもりなの?」と、聞かれた。
「浜辺をひたすら歩きます」と、返事をしたら
「都会の人間はのんきだ」と、笑われた。20代のその頃、四国の南の海の傍で暮らしていた。20代じゃないと、冷たい西北風が吹き荒れる能登の海を見ることは、体力的に難しいと、判断していた。30歳で教師になってからは、体力的にはともかく、長期間、日本の各地を漫遊するような時間的なゆとりは、なくなってしまった。
 モネと仲の良かった、ルノワールは、南フランスのカーニュで暮らすようになった。モネもルノワールと一緒に、南仏を旅行し、アンティーブやボルディゲラ、アントンの絵などを描いているが、セーヌ河口のルアーブルで育ったマネは、地中海より北の海の方が、好みだったと言える。
 モネは、18歳の時、ウジェーヌ・ブーダンと知り合い、ブーダンの指導を受けるようになる。ブーダンは海洋画家。モネも、海洋画家として、本格的な絵を描き始めた。ブーダンの父親は漁師。ノルマンジーの生粋の漁師の家系で、ブーダンは、ごく自然に海洋画家になったが、モネの父親は、パリの食料品店のマスターで、モネは、典型的なブルジョワの子弟だと言える。父親が、画家になることを反対したので、モネは、親の援助が受けられず、長いこと貧乏暮らしをしたが、趣味も教養も、ブルジョワのそれで、ブルジョワ的な肖像画を沢山描いている。モネの才能は、ブルジョワ的な絵画(草上の昼食、サンタドレスのテラス、ゴーディベール夫人の肖像、日傘をさす婦人、ラ・ジャポネーズなど)でも、完膚無きまでに発揮されている。将来的なことを言うと、ブルジョワ的な絵画こそ、モネの傑作だということで、後世に伝わるんじゃないかとすら、私は判断している。
「船、エトルタの冬」を見ると、モネは、夏であろうと、冬であろうと、海が好きで、海の風、潮の匂い、船もfavoriteだということが、嫌というほど、伝わって来る。
 西洋美術館の「波立つトゥルーヴィルの海」というエスキース風の作がある。セーヌ河口のルアーブルから北上するとエトルタ、南に行くとトゥルーヴィルの海岸に到着する。フランス語のタイトルは「Mer agittee A trouville」。agitteeは、波立つではなく、荒れると訳した方が、ぴたっと来る。つまり、つまり冬の荒れた海を描いている。その海の波打ち際まで行って、海を眺めている地元の漁師たちがいる。荒れた海を見ると、エネルギーが湧いて来るってことは、ある程度、年齢の若い人だと、間違いなくありそうな気がする。 モネは、ノルマンジーの荒れた冬の海を、ひととおり見た後、ブルターニュのベリールに出かけた。ベリールは、ブルターニュ半島の近くの小さな島。ル・アーブルやトゥルーヴィルは、内海ともいうべきセーヌ湾沿いの海だが、ベリール島は、大西洋に浮かぶ島。冬の荒れた海の迫力は、ベリール島の場合、超ド級だと言える。
 モネは、水夫のベレーを被り、あらい織りの服を着て、どた靴を履き、海の岩にイーゼルを立て、キャンバスを荒縄で吹き飛ばされないようにイーゼルに結わえながら、高い断崖の上から、泡立つ海を見下ろし、雨と風に吹き付けられ、ときには波しぶきを浴び、自然とバトルをしながら、ベリールの空と海と岩のシリーズを描いたらしい。ミルボーという批評家が「彼は実際に海を創り出したとさえ言える。なぜなら、このように海を理解して、その変わり易い姿、その巨大なリズム、その動静、その無限にしてたえず甦る反映、その匂いを表現した唯一の人だと言える」と評している。
 私は、27、8歳の頃、四国の海岸沿いの道を、すべて踏破した。徒歩ではなく、車での踏破だったが、旧道は未舗装の砂利道が多く、基本、のろのろ運転だったし、要所要所、停車して、じっくり海を眺めたので、面白い場所を、見落としたということは、まずないと自負している。景色は美しいし、いろんな意味で、過ごし易いと感じたのは、瀬戸内海沿いの地域。四国に限らない。山陽地方もきっと同じ。瀬戸内海沿いが、日本で一番、暮らし易い地域だと、想像できる。瀬戸内海の島に、美術館などを建設しようとしているが、先見の明のあるchoiceだと推測できる。瀬戸内海の島は、将来的に、発展して行く地域だと思われる。
 ベリールに一番似ているのは、宇和島から豊後水道にかけての、島々の雰囲気かなという気がする。迫力とエネルギーは、同じだが、日本は、緯度的にかなり南にあるので、その分、こっちの方が、暖かくて、光の量も多いかなと感じる。まあ、身びいきのようなものかもしれない。
 マネは、最後、自宅の池の睡蓮ばかり見て描いていた。といっても、目はもうほとんど見えなくなっていたんじゃないか思われる。目が見えなくて、絵が制作できるのかと、突っ込まれそうだが、そこは、やはり心眼で描いたんだろうと、礼儀正しく忖度はしておきたい。

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