創#592「大学1年の時、二個下の女の子に手紙を出しました。二個下なのに、どう考えても、自分より賢いと感じる部分があって、女の子の知恵の働かせ方は、男たちとは、かなり違うなという気がしました」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー329」

 私は、高知駅から高松駅に向かう土讃線の普通列車に乗り込んで、四人掛けのボックス席の窓際に座った。大阪までフェリーで出ることが多く、土讃線に乗るのは、久しぶりだった。四国山脈の山の景色を見ることは、嫌いではなかった。が、杉や檜の植林が多く、町の近くの標高三百メートル以下の端山に登る方が、植生が豊富で、山径を歩いていても、面白かった。四国山脈の山奥にいるMに、
「しばらくゆっくり滞在して、手びねりで茶碗とかを焼いてみたらどうですか」と、万一、勧められたとしても、三日も過ごせば、退屈し始めるような気がした。Mは山奥の空気に慣れている。そういう意味で言うと、私は海の傍の空気に慣れていた。潮っぽく、時に生臭さかったりもするが、爽やかな森林の大気よりは、ごちゃごちゃした海の傍の匂いの方が、自分には落ち着けるような気がした。
 私は、リュックから原稿用紙を取り出した。昨日、まりさんの店で、夕方から私とまりさん、S子の三人で喋っていたが、時間があっと言う間に過ぎて、夜になりつつあった。まりさんとは、中二の冬、オールナイトで喋ったりしたことすらあったので、気にならなかったが、高校生のS子と、夜になって喋ることは、望ましくないと判断した。
「また、いつかchanceがあったら喋ろう」と、おざなりなことをS子に言って、まりさんの店を辞去しようとしたが
「そんなchanceが、やって来る筈がない。圭一先輩が、こっちに戻って来ない限り、もう二度と会えない。先輩は、一回は、戻って来るみたいな口ぶりで喋ってるけど、通りすがりの旅人だから、全然、アテにならない。会うのは無理だとしても、手紙くらいは書いて欲しい。中二の夏の終わりに、突然、文通を打ち切られて、そのトラウマから、あたしは立ち直ってない。その埋め合わせもして欲しい」と言われ、S子は、住所と氏名を記して切手も貼ってある封筒を、帰り際に私に渡した。店に来る前から、この封筒は用意してあったと想像できた。
 中二の夏、突然、文通を打ち切った後輩と、4年後に、文通を再開するのは、別段、悪いことでもないという気がした。受験のアドバイスくらいは、普通にできるだろうと想像していた。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------  S子さんへ
 中2の夏、文通を打ち切ったのは、中学生のために役に立ちそうなことを、伝えてあげる自信がないと判断したから。それに社会常識として、無職or バーテン見習いの16歳が、中2の女子に手紙を送ったりしちゃいけないとも思った。そういう社会常識は、ちゃんと弁えて行動しないと、リスクに巻き込まれる。
 大学生になった今も、S子さんのために、何か有意義なメッセージが書けるとも思ってない。ただ、まりさんの店で、S子さんと喋っていて、感性ゆたかな賢い高校生に成長していると感じた。二個下だけど、自分よりも賢いかもとすら感じた。
 私は、手紙をJ中の同級生のYが中2で少年院に入った時から書き始めて、もう6年間くらいは、友人や先輩に手紙を書き続けて来ている。それなりの数、書いた。当たり障りのないことは、少々、体調が悪くても(偏頭痛がするとか、二日酔いで吐き気がするとか)書けるようになった。手紙というのは、いわば挨拶。当たり障りのないことが書ければ、それで、充分だと言える。少なくとも、当たり障りのないメッセージは、相手を傷つけない。
 S子さんが、その後、誰かに手紙を書いたのかどうかは、判らないが、文章というのは、想定外のとこに着地してしまうことが、しょっちゅうある。その想定外の結論が、相手を傷つけていても、人間は自分に甘い生き物だから、これくらいは大丈夫だろうと、勝手に思い込んでしまう。
 S子さんが、想定外のとこに着地し、万一、周囲の誰かを傷つけるようなことを書いて来ても、私は、自分が貰った手紙を、他人に見せたりはしないし、たとえ私を傷つけても、それを笑って許容してあげるメンタルの強さは、持ち合わせている。
 S子さんの家庭環境のことは良く判らない。お姉さんのK子さんが、中3の頃、ヤバい人だったということは理解している。が、それには、K子さんなりの事情がきっとあった。S子さんは、K子さんの影響を受けてないわけではないだろうし、いろいろと苦しんだりしたんじゃないかと思う。
 取り敢えず、恨み、辛み、愚痴、不安、他人の悪口とかを書いて来ても、全然、構わない。そういうことを吐き出せる場があった方が、いいと思う。17、8歳の女の子が、何もかも抱えるなんて、逆に不自然な感じすらする。
 まりさんのお店に時々、顔を出している様子だから、まりさんの良いところを学習しておくといいかもしれない。まりさんは、相手を、ふわっと幸せになる。ピーターパンに登場する、ティンーカーベルは妖精の粉を振りかける。あのきらきらの金の粉を振りかけられたかのように、男たちは、幸せを感じてしまう。もっとも、その妖精の粉は、男子限定で、作用しているのかもしれない。
 まりさんのすごいとこは、相手の男が、まったく自分でも想定してなかったとこに、着地させることだと思う。当人だって気がついてなかった。気がついてなかったのに、そこに導けるのは、一種のセンスと才能。どんな男だって、まりさんにかかると、大概、落ちる。私も落ちたけど、一個上の先輩だから、恋愛のお付き合いはなかった。もし同級生で、短期間であっても恋愛のお付き合いしていれば、妖精と一緒に飛翔するような夢を見させてくれたのかもしれないと、思ったりもする。
 まりさんの20代は、可能性だらけだったと想像できる。が、まりさんはその可能性の一個の出産、子育てを選択した。子供を産むことは、多分、19歳くらいから準備していた。あれだけ可能性の豊かな女性が、20代で出産、子育てを選択したことは、S子さんも、自分ごととして、受験が終わったら、一度、ゆっくり考えてみてもいいかもしれない。無論30代の出産、子育てもあるし、40代だって、きついけどできなくはない。そもそも、子供を産まないで、ずっとスタンドアローンで、人生を貫くという選択肢だって、存在する。今はもう、結婚、子育ての一択とかじゃない。そういう意味で、S子さんの世代の女の子には、sharpで聡明な判断力が、求められていると推定できる。

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