自#505「海がすぐ傍にある、もうそれだけで、第一義的な価値を認識し、人は幸せになれるような気がします」

          「たかやん自由ノート505」

 ジョルジョーネの絵を見ました。ジョルジョーネは、ベルリーニの工房で修業をし、24歳くらいの頃から、制作を開始します。が、34歳で死亡しています。未完だった「眠れるヴィーナス」と「田園の合奏」は、ベルリーニの工房で、後輩だったティツィアーノが仕上げます。ジョルジョーネとティツィアーノの違いは、ティツィアーノが、86歳まで長生きしたということです。画家は、長生きしなければ、いい仕事はできません。モーツアルトも34歳で逝去していますが、モーツアルトの場合、34歳までに、何もかもやり切ったという印象を受けます。ミュージシャンは、若くして、才能を開花させることができます。
 ローリングストーンズのドラマーのチャーリーワッツが亡くなりました。ローリングストーンズは、デビュー以来、60年近く、一度も解散せず、活動を続けて来た、UKの老舗バンドです。ストーンズの25周年ライブの時(今から35年くらい前ですが)チャーリーワッツは「ストーンズで働いたのは、最初の2年間だけ。あとは、ただそこにいただけだ」と、インタビューで語っていました。今、インタビューしたとしても、きっと同じことを言います。「働いたのは、最初の2年間だけ。あとの58年間は、ただそこにいただけだ」と。
 朝日新聞の追悼記事には「『サティスファクション』や『黒くぬれ!』『一人ぼっちの世界』などのヒット曲が知られている」と記してあります。ストーンズをリアルタイムで聞いた私個人の意見を言うと、この他にあと「悪魔を哀れむ歌」「ジャンピングジャックフラッシュ」「19回目の神経衰弱」などを、付け加えたいって感じです。ところで、これらの曲のほとんどは、チャーリーワッツが働いていた最初の2年間に、作られた曲です。ちなみに、その頃のストーンズには、ギタリストのブライアンジョーンズがいました。
 ローリングストーンズファンの私としては、認めなくないことですが、ストーンズがビートルズと同時期に解散していたとしても、ビートルズが60年UKロックの金字塔であるように、ストーンズもやはり金字塔だし、価値や地位は、解散しても、しなくても、不動だったと推定できます。これも、ポップスファンは、認めたくないことかもしれませんが、ロックという音楽自体、60'sに始まり、60'sの終わりには、すべて完成していたと、多分、言えます。音楽は「秒」で完成し、eternalなものとして、輝き続けるという風な気もします。
 画家は、30代で逝去してしまったら、大作は完成できません。37歳で死んだラファエロが、長生きしていたら、レオナルドダヴィンチやミケランジェロを、超えていたのかもしれません。ラファエロは、「一週間続いた激しい熱病により没」と、年譜に記してあります。37歳は、熱があるだけでは死にません。おそらく死因は感染症のペストです。ヴァチカンで仕事をしていたアーティストが、ペストで死んだとは、発表できなかっただろうと想像しています。ちなみに、ジョルジョーネも86歳で死んだティツィアーノも、死因はペストです。ペストは、14世紀に大流行したと、世界史の教科書には書いていますが、その後の15C~17Cも、充分、猖獗(しょうけつ)を極めていたんです。
 デューラーは「梅毒病患者」という版画を拵えています。1496年に、ニュールンベルク市の公務医師が、梅毒の伝染性発生についての見解を発表したパンフレットの挿画として、使用したものです。梅毒病患者は、タロットカードの魔術師のような服装ですが、顔や手や足の見えているとこは、崩れて溶けつつあります。頭の上には天球を乗せていて、そこに黄道十二宮が描かれています。真ん中に1484と数字が表記されています。蠍座に余分な星が、4つ描かれています。これは、天球上の異変ですが、これが起こった1484年に、梅毒が来襲したいう見解で、イラストを描いているわけです。
 が、違います。梅毒は、コロンブスが新大陸から持ち込んだものです。コロンブスは、1492年に西インド諸島に到着し、スペインに帰って来たのは、1493年の3月です。梅毒は、空気感染の病気ではありません。性行為を行わなければ、感染しません。1493年の3月にスペインにやって来た梅毒が、その2、3年後の1496年には、ニュールンベルク市で、大流行しているんです。人間のエロチックな欲望および、その実践的な行為は、まるで癌細胞のように、speedyに広範囲に広がって行ったということを、改めて理解しました。性行為をしなければ感染しない梅毒ですら、これだけspeedyに、たちどころに大流行するんです。いわんや、空気感染のペストをやって、感じはします。
 デューラーは、ペストの大流行から逃れるために、ニュールンベルクからヴェネティアに一時期、避難しています。ジョルジョーネもティツィアーノも、ペストで逝去していますが、城郭できっちり取り囲まれているニュールンベルク市よりは、街の半分以上が、海に向かって開かれているヴェネツィアの方が、感染しにくく、リスクも低いと推測できます。
 今、ふと故郷の漁村のことを思い出しました。私が子供の頃は、人がいっぱいいましたが、今はもう本業の漁師も限りなく少なくなった、過疎の漁村です。すぐ目の前は海。海辺は、朝夕の短い時間を除けば、終始、風が吹いています。人がいなくて、三密になりようがないし、スーパーもコンビニもなくて不便ですが、感染症のリスクは、限りなく低いと言えます。同い年の従弟もいますし、死んだ伯父の奥さんも、まだ健在です。たまに、故郷に帰りたくなります。が、感染の巣窟だと思われている東京から、故郷に向かうことは、当分の間、NGです。
 早世したジョルジョーネの作品は、そう多くはないです。デューラーやラファエロとの違いは(あまりにも違い過ぎていて、本来、比較は不可能ですが)ジョルジョーネの絵は海を感じさせてくれることです。どの解説書を読んでも、そんなことは書いていません。背景は、牧歌的なアルカディア的な光景だ・・・みたいなおざなりなことが、述べられたりしています。私は、漁村で生まれて、子供の頃から、海を見続けて来た人間なので、海の気配がするかどうかは、直観で判ります。
 ユーディットが、ホロフェルネスの首を斬り落として、左足で踏みつけている絵を、ジョルジョーネは、描いています。ユーディットは、船を舫(もや)うような綱を、腰に結んでいます。右手に剣を持っていますが、右手の奥の方に海が見えます。海の見える港の丘公園で、首を刎(は)ねるのと、どっかの山荘で首を斬り落とすのとを比較すると、やはり海の見える丘の方が、空気が重くなくて、加害者の気持ちは、多少なりとも楽なんじゃないかと、勝手に想像しています。
 イエスに本を読み聞かせているマリアの向こう側に、パラッツォドゥカーレとサンマルコ寺の鐘塔が見えます。その奥は、無論、海です。海辺の子供が、本を熱心にlisten toしたり、勉強したりするかどうかは判りませんが、海がすぐ傍にあるのは、揺れ動かない、不動の第一義的な価値だと、私は確信しています。

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