美#105「人を安心させる美と、安心させない美とがあって、アートであれば、その両者があっても構わないと思います」

           「アートノート105」

 15歳の夏、大原美術館で、モネの「睡蓮」を見た。モネの代表作は、「睡蓮」だと頭には、刷り込まれていたが、実際に本物を見ても、別段、何らheartには、突き刺さって来なかった。故郷の漁村に、大きな池が庭にある別荘があって、そこの池に夏の終わりに咲く睡蓮の方が、はるかに美しいと思った。モネの「睡蓮」には、普遍的なものは、何ひとつ感じなかった。
 大原美術館のNo1のお宝だと言われているグレコの「受胎告知」も、イミフだった。受胎をマリアに告げる大天使ガブリエルのマントが黄色で、ブラウスの袖口や抱えている百合の花束、飛んでいる鳩は白くて、黄色と白とのハーモニーぐらいを、かつかつ理解した。
 ピカソのキュビズム的な作品を見ても、何の感慨も湧かなかった。私が惹(ひ)かれたのは、ヴュイヤールの「薯をむく婦人」と、ボナールの「欄干の猫」。あと、マティスの二つの絵(「画家の娘」と「冬のエトルタ」)のせいぜい四点くらいだった。
 高校を卒業して、上野の西洋美術館で、やはりモネの「睡蓮」を見た。大原の「睡蓮」とは、色合いが異なっていた。池の全体は紫っぽく、睡蓮の花は、桃色で形取られている。大原の睡蓮と、松方コレクションのそれを較べると、後者の方が、はるかに大きかった。当然、大きい方が迫力を感じる。絵の解説には、「見る者は、あたかも池の中に立っているかのような強い感動を受ける」と、書いてあったが、別段、そんな錯覚には陥らなかった。花の色が濃く、ちょっと表現主義っぽいかもと感じた。
 ブリジストンでも、当然のように「睡蓮」を見た。睡蓮の絵は二つあった。どちらも大きな作品ではなく、西欧美術館の「睡蓮」が、日本にあるモネの「睡蓮」の中では、もっともスタンダードなんだろうと想像した。
 去年、上野で何回か「睡蓮」を見たが、感想は「いいんだろうけど、まあ別に・・・」って感じで、半世紀前に見た時と、同じだった。若い頃、見た時、別段、何にも思わなかったのに、人生の場数を踏んで、年寄りになると、絵の見え方が違って来て、俄然、面白くなるといった風な現象は起こらない。若い頃、いいと思ったものは、今見てもいいし、or notなものも、同様。
 常日頃、鍛えてないと(いや鍛えていても)感性は、歳を取ると衰えて来る。10代の頃の感性と、今のそれとを較べて、今の方がsharpで、とんがっているなんてことは、絶対にない。
 小林秀雄が、ヨーロッパに行った時、オランジュリーで、「睡蓮」を見て「モネの睡蓮は、ヨーロッパで見た絵画のうちで、最も動かされた絵の一つだったが、この美しさには、人を安心させるようなものは、少しもなかった」と、書いている。
 美は、一般的には人を安心させてくれるものだという気がするが、安心させてくれない、魔性の美というものも、存在すると理解できる。私にとっては、ギュスターブモローの絵は、まあ、そういう風なもの。ゴッホの晩年の絵も、安心させてくれる絵だとは言えない。ゴーギャンが、タヒチで描いた「我々は何処から来たのか、我々は何か、我々は何処に行くのか」の絵も、安心できるとは思えない。
 モネは「睡蓮」が最高傑作だ、「睡蓮」はやはり文句なしにすばらしいと、みんなが思い込んで、あるいは思い込んでいる「フリ」をして、「睡蓮」を推奨しているので、モネの「睡蓮」がツマラナイなどと、「王様は裸じゃん」みたいなことは、今さら、言えなくなっているような気もする。ピカソは、ドイツ空軍のバスク地方の無差別爆撃に抗議して、「ゲルニカ」を、何の準備もなしに、1ヶ月で描き上げた。ゲルニカは、ピカソの作品の中では、もっとも著名だし、No1すぐれていると、思われている。以前、勤めていた学校の音楽室にゲルニカのコピーを飾ってあった。私が、55年前に卒業した中学校の音楽室にも、やはりゲルニカはディスプレイしてあった。
 この二例だけから、ゲルニカは音楽教員御用達の絵だと、断定することも難しい。でも、何故、「音楽室にゲルニカ?」と、素朴な疑問は、やはり抱いてしまう。ゲルニカは、長いこと、ニューヨークの近代美術館が保管していたが、スペインが民主主義国家になれば、スペインに還すという約束だったので、現在は、スペインに戻って、どこかの美術館に飾られている。
 ゲルニカが、日本にやって来ることは、考えにくいので、ゲルニカの本物を見る機会は、foreverやって来ないと想像している。が、ゲルニカが、本当にいい絵であれば、画集の絵であっても、多少なりとも、心は動く筈。手元の画集で、ゲルニカの絵を見てみた。「黒、白、灰色のコラージュ、キュービズムの切り抜きの形の中に、戦争の苦悩に満ちた姿が、すべて表現されている」と、記してある。苦悩しているのは、死んだわが子を抱き抱えている母と、剣を握りしめたまま倒れている兵士と、両手を上に上げ、撃たれている男性のせいぜい三人くらい。三人で、「すべて」(toutes)とは到底言えない。
 ゲルニカが、戦争に抗議している絵だということは、見ればすぐに判る。が、それだからと言って、ゲルニカがアートとしてすぐれているとは言えない。私自身は、ゲルニカは、歴史的な記念物としての意義はあるが、アートとして、ほとんど無価値だと確信している。平和教育のために、ゲルニカが役に立つとも思えない。
 ブリジストン美術館に、モネのヴェネツィアシリーズの一枚がある。モネの手元にあったのを、黒木三次氏が、直接、購入したらしい。モネが滞在していたホテルから、サンジョルジュ・マッジョーレ聖堂の威容を目にすることができて、モネは、黄昏時のマッジョーレ聖堂と、夕照に輝いている海を描いている。が、私は、モネのヴェネツィアシリーズの作品は、パラッツオドゥカーレの絵が、かつかつ判る程度で、マッジョーレ聖堂の黄昏の絵は、よく判らない。レインボーカルテルのように、空の上の方から、寒色系~暖色系に色がグラデーションしているのは、fantasticだと思うが、絵画としてすぐれているかどうかは、判別できない。
 有名なルーアン大聖堂の絵も、理解できない。時間とともに移り変わって行く外光の分析を試みているだろうと想像できる。が、大聖堂は、キリスト教徒の聖なる建物。それを、光の分析に利用するという発想が、しっくり来ない。それは、ヴェネツィアのサンマルコ聖堂の場合も同じ。大聖堂を描くよりは、植物の睡蓮の方が、まあ、無難かなとは思ったりもする。

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