創#602「光があまり入らない納屋の方が、明るいリビングなどよりも、陶器を見るのに適した空間だと感じました」

      「降誕祭の夜のカンパリソーダー339」

 母屋と窯との間に、納屋があった。Mは
「納屋に自分の作品があります。ちょっと見て行って下さい」と、言って、私を納屋に案内した。中に入ると、北側に小さな窓があったが、薄暗らかった。
「暗いな。これじゃあ、本も読めない」と、私がこぼすと
「自分は先輩と違って、本は読みません。まあでも、少しすれば目が慣れて、読もうとすれば、本だって読めなくはないです」と、Mが教えた。確かに、目が慣れると、納屋の中の様子が掴めるようになった。私はポケットに入れていたボードレールの「悪の華」を、取り出して、ジャンヌ・デュヴァル詩篇のひとつに目を通してみた。
 思い出は恰も古風な月琴のように
 読者にうるさいが、足取りも軽らかに
 また眼の色も澄みわたり
 黒玉の眼の彫像よ
 青銅の額の大天使よ(鈴木新太郎訳)
「読めなくはないな。が、これじゃあ目を悪くする」と、私がぼやくように言うと
「納屋は、勉強部屋ではありません。先輩にここで寝泊まりしろと、要求したりもしません。そもそも、本ばかり読んでいたら、人との出会いの機会がどんどん、なくなって行ってしまいます」と、Mは私に言った。
「それは、こんな山奥に引きこもってしまった、オマエが言えることじゃない。が、ここだと、タヌキやイノシシとの出会いは、確実にある」と、私が言うと
「ヘビだって、二メートル級がいます。カブト虫、クワガタだって、平地のそれよりは、確実にひとまわりスケールが大きいです。動物、爬虫類、昆虫が好きならここは天国です」と、Mは得意そうに言った。
「オレは、動物も爬虫類も昆虫も嫌いだ。好きなのは本と絵と音楽だから、ここは天国だとはお世辞にも言えない」と、私が言うと
「納屋には電気もないし、どっちにしても、読書は不可能です」と、Mは言った。
「じゃあ、あの北窓から入って来る明かりで、すべてを賄ってるわけだな」と、私は窓を見ながら言った。
「ローソクの灯りは普通にありますし、小さな松明だって燃やせます。が、不器用な先輩が、松明に火をつけたりしたら、納屋ごと燃やしてしまうかもしれません」と、Mが、注意した。
「交通事故で死ぬのも嫌だが、納屋で焼け死ぬとかも避けたい。ローソクも松明も、別になくてもいいよ。北窓の明かりだけを頼りに、何だったら、2、3日、ここで暮らす」と、私は半分冗談、半分は本気で言った。
「ここで寝泊まりした人は、まだ誰もいません。寝てたらもののけが、取り憑いてしまうかもしれませんが、先輩なら、襲って来たもののけとも、多分、仲良くなれますね。まあしかし、ここで寝泊まりするのは、次回以降のお楽しみってことにして、取り敢えず、今日は、作品だけを見て下さい」と、Mは私に要求した。
「もう、だいたい見た」と、私が即答すると
「いくら何でも早すぎます」と、Mが言った。
「こう暗いと、きちんとlooking atすることもできない。取り敢えず、ざっくりでいいだろう。途中から、突然、バランスが良くなっている。あのヘンからだ」と、私は北窓の下の棚に指を差した。
「冴えてますね。先輩は、人間はロクに見ないのに、こういうものは、ちゃんと見てくれるんだ」と、Mは感心したように言った。
「ここは暗くて、オマエの顔の表情とかも、正直、良く分からない。が、それくらいの見え方でも、別段、困らないし、差し支えもない。オレも本を読む時は。蛍光灯の明かりを使うが、蛍光灯はあっけらかんとしていて、明る過ぎる。見え過ぎると、逆に本当の美しさは、見えて来なかったりする。オレは、もう夜中に遊んだりはしないが、中学生の頃は、『夜をぶっとばせ』的な生活だった。見え過ぎないから、夜の世界は、fantasticなんだ。残念ながら、オマエと出会った頃は、もう夜の時代は終わってた」と、私はローリングストーンズの曲名を引用しながら言った。
「Sダムから、市内まで帰る時、オールナイトで歩きました。先輩は、ずっと喋ってました。喋り過ぎて、ちょっと息が困難になったりもしていました。時々、深呼吸をして、息を整えて、その後、またマシンガントークで喋ってたんです。あの雰囲気が、つまり先輩の中1、2の頃だったんじゃないですか?」と、Mは4年ほど前のことを、思い起こしながら言った。
「覚えてる。喋り過ぎて、心臓がちょっと苦しくなってた。オレは、16歳だった。13、4歳の頃は、いくら喋っても、平気だった。15歳を過ぎてからは、心臓だけじゃなく、身体のあちこちに負荷がかかるようになった。今、二十歳だが、13、4歳の頃と比較すると、もう老人って感じがする。いろんなことを諦めて、唯々諾々と社会のきまりごとに従って、地味に普通に暮らして行けと、大きな摂理が諭しているような気もする。まあしかし、モノ作りとなると、様々な制約があるから、面白くなるんだろうな。最近の作品の方が、色の調子が落ち着いている。デザインも、ありふれた茶碗っぽくなって、奇をてらったとこがなくなった。奇をてらった一見、独創的な作品は、毎日、使ってたら飽きる。ありふれた普通の茶碗こそ、深みがあると、真のユーザーは評価する。まだ焼き始めて、そう歳月は経てない筈だが、結構、いいとこに辿り着いているんじゃないかな」と、私が言うと、
「ありがとうございます。先輩は、お世辞は絶対に言わない人ですし、素直に嬉しいです。まあ、明るい照明の下で見たら、印象は違うと思いますが、取り敢えず、この暗さの中で認めてもらって、納得しました」と、Mは嬉しそうに言った。
「日陰の女が、日陰の身分のまま、納得、満足するような口調だな。が、明るいとこで見ても、フォルムは変わらないし、光の当たり方で、色は良くも見えるし、or notだったりもする。まあ、しかしそれは第二義だ。第一義は、少々、暗くても、見た瞬間の印象で、すべてが決まる」と、私はMに伝えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?