創#599「玉手箱の蓋を、誰かが勝手に開けて、50年間が、あっという間に過ぎ去り、鏡をふと見ると、自分は白髪の爺さんになっているんですが、正直、少しも愕然としてません。このメンタルの図太さゆえに、他人に対する思いやりが、欠けてるってとこは、間違いなくあると自覚しています」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー336」
 玄関の扉の外から
「Mいるか? オレだ。圭一だ。今、到着した」と、大音量で声をかけると、奥から生後4、5ヶ月くらいの子供を抱えた女性が出て来て
「初めまして。R子です。本当に来て下さったんですね。Mは今、窯の方に行ってます。上がってお待ち下さい」と、Mの奥さんのR子さんが言った。
「いや、じゃあ、窯の方に行ってみます。来る時、建物のちょっと奥に窯が見えました。リュックは置いて行きます」と、私はリュックを下ろして、玄関口に置き、建物の背後の窯に向かった。
 Mは、窯の焚き口で、薪を燃やしていた。
「M、オレだ」と声をかけると
「先輩、さっそくですが、薪を割って下さい」と、土の上に置いてあるナタとノコギリと、枯れ枝に指を差しながら言った。
「来るそうそう、薪割りの仕事か」と、私は笑いながら言って、ナタを手にし、そこらにあった枯れ木を手頃な大きさに揃えて行った。
「火力を上げたいので、松を下さい」と、Mは樹種を指定して要求した。私は、松で拵えてあった薪を、Mのとこに運んでやった。
「うわぁ、熱いな。ガスよりも、本物の薪の火の方が迫力がある」と、私はMに言った。「今は、夏だからやたらと熱いんですが、冬場はこの熱に助けられています。冬にも来て下さい。薪は、いつでも必要ですから」と、Mは厚かましく要求した。
「今、奧さんと子供さんに会った。男の子だな。オマエに似て、腕白そうだった」と、私がMに言うと
「まだ生後4ヶ月半です。それくらいの歳の頃は『うわぁ、可愛い。女の子ですよね』と、聞くのが礼儀です。全然、腕白そうとかじゃないですよ。女の子みたいに可愛い男の子です」と、Mは薪を継ぎ足しながら反論した。
「四国山脈のこんな山奥に住んでいるのに、『女の子みたいに可愛い男の子ですね』が、褒め言葉になるのか。どう考えても、ヘンだ。『腕白そうで、生意気盛り。お父さんにそっくりですよ』が、褒め言葉だろう。間違ったフェミニズムが、こんな山奥まで、浸透してしまっているということだな」と、私はぼやくように言った。
「先輩も、よく御存知だと思いますが、男たちは、いろいろ大変じゃないですか。女の人だと、世の中上手に渡れますが、男は、隙を見せたら、即座に負け組の一員になってしまいます」と、Mは言った。
「じゃあ、オレもオマエも、負け組ってことか?」と、私が言うと
「maybe or not maybeですね」と、Mは言って、私の傍に来た。
 私は、窯の背後に広がっている山々を眺めた。
「これは、やっぱり本物の山だな」と、私はしみじみとした口調で言った。
「本物ですよ。が、幸いなことに、クマはいません。本州だと、クマが出没しますから、そうそう安閑とはしてられません」と、Mが率直な感想を述べた。
「高3の時は、お互いの生活が別で、一年間、ほとんど喋らなかった。が、彼女ができて、その彼女のお腹に子供ができたと相談してくれたら、多少なりとも協力してやったのに」と、私がこぼすと
「先輩は、受験生だったし、まあそれに専念した方がいいと、遠慮したんです。R子の妊娠、出産、高校卒業など、自分たち二人で、相談し協力して乗り切りました。最初にこんな高いハードルを越えておけば、後は、結構楽です」と、Mはざっくりと経過を語った。
「まあ、しかしどっちかの母親が協力してくれた筈だ。二人だけじゃ、まだ未成年だし、出産までは無理だ」と、私が言うと
「自分の母親が協力してくれました。高卒で大学に行かず、農業をやるんだったら、なるべく早く子供を持った方がいいと言ってくれました。で、男でも女でも、5、6歳から、家の仕事を手伝わせると、親も助かると言ってました。が、R子の実家はサラリーマンで、5、6歳で、農業の仕事を手伝わせるという発想は、多分、まったくないと言っていいです。R子にしてみると、ここに逃げて来たんです。自分は、ここで一生、農業と焼き物をやりながら暮らして行く自信はあります。R子と息子のN男が、将来に渡ってここに留まってくれるかどうかは、判りません」と、Mは真剣な口調で言った。
「R子さんは、K市内の出身か?」と、私が聞くと
「A町です」と、Mは即座に返事をした。MとR子さんが卒業したA高校がある町だった。
「A高校だと、R子さんの同級生は大概、大学か短大に進学しているだろう。農家のあとを継ぐやつは、みんな農業高校に行く。農家の主婦になったのは、A高校の同学年では、R子さんだけだろう。正直、ここは、ぽつんと離れたとこにある一軒家だ。周囲の地域とのコミュニティがあるわけでもない。オマエとR子さんと息子の三人で、今後も、暮らして行くわけだ。農家だから、仕事は探せば、いや探さなくても、いくらでもある。が、町の出身の人には、退屈で単調な日々だな。19歳、二十歳で、こんな山奥で、暮らすのは、結構、きついだろう」と、私が言うと
「子供は、三人くらいは欲しいです。そうすると、子育てで、7、8年はかかります。18歳からの7、8年なんて、子供の頃と違ってあっと言う間に過ぎ去ります。いや、18歳から30歳までの干支一巡だって、瞬く間です。30歳になって、R子が愕然として、自分の人生って、一体、何なんだろうと、質問されたら、どういう風にアドバイスすればいいんですか?」と、Mは私に訊ねた。
「今から、12、3年後のことを、オレに質問してるのか?」と、私が確かめるように言うと
「ええ、だって、先輩は、今から12、3年後も、今と同じ生活をしている筈ですから、今の気持ちで、答えてくれたら、それが12、3年後の解答と、一致するんじゃないですか」と、Mは言った。
「ちょっと待て。そうすると、18、9歳から30歳までのオレの人生は何だったんだと、俺自身が愕然とする筈じゃないか」と、私が抗議するように言うと
「先輩は、12、3年がたとえ無でも、愕然としたりはしないです。30年とかがあっという間に過ぎ去ったとしても、愕然としないメンタルの持ち主です」と、Mは断言した。
「それは、オマエだって、同じだろう」と、私が切り返すと
「そうかもしれません。が、R子もN男も、自分たちとは違います」と、Mは返事をした。 

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