創#600「二十歳くらいの頃、10年が束になって過ぎ去り、あっと言う間に三十路の大台に乗ってしまうと、薄々、理解していました。が、現実は、50年(半世紀)が、束になって過ぎ去り、ふと気がつくと、古稀を迎えていました。誰にとっても、人生は摩訶不思議なものです」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー337」

「オマエは、一個下だが、オレよりはるかに賢い。19歳で、父親になったのも、賢い選択だ」と、私はMを持ち上げるように言った。
「R子のお腹の中に子供ができたからです。先輩は昔『sexなんて、一瞬の衝動だ。愛がmaxまで高まって、それがsexに結びつくわけじゃない』と、言ってました。確かに、先輩の言う通りでした」と、Mは冷静な口調で言った。
「夏休みが始まる頃って、そういう気分になり易い。愛はなくても、気分でsexしてしまう。が、その結果、子供がR子さんのお腹にできたわけだな。それって、10代の最大の難所みたいなものだ。二人だけで乗り切ったのは立派だよ」と、私は率直な口調で言った。「先輩に相談しようか、一瞬は考えたんですが、相談をしても『じゃあ、学校を辞めて父親になれ』と、先輩の答えは決まってますから、それだったら、相談はせずに、父親になるでいいかと、決断したわけです。R子は、迷ってましたが、自分の母親が『R子さん、子供が生まれたら、あたしも協力するから』と励ましてくれたので、決心したんです。母親には、ここで高校を中退したら、二人の子供も、将来、高校を中退することになる、子供ができたって、教育を受ける権利はあるから、何とか工夫して、卒業しなさいと、言われました。先輩は、自分自身が、高校を中退してるし、高校に行かなくても、大検を取って、大学に行ったと推定できるし、高校など問題にしてないと思いますが、普通の人間にとって、高校をちゃんと卒業することは、大切なことなんです」と、Mは言い訳をするように言った。
「オレは、もう一度、高校に入り直して、ちゃんと卒業してる。もしかしたら、オレが、高校を中退して、バーテン見習いをやっていた時のまま、オマエの時計は止まってしまってるんじゃないか?」と、と私は抗議をするように言った。
「確かに、卒業はしてますが、別にどっちでも良かったんじゃないですか。バーテン見習いの頃の方が、先輩は楽しそうでした」と、Mは私が16歳で、自分自身が中3だった頃のことを思い出して言った。
「二人で、初めて川を遡って、Kダムまで歩いたのは、オレは中3、オマエは中2の頃だ。オレが、K会の寮に入ったら、すぐにオマエが、オレのとこに来て、『先輩は、川は好きですか?』と訊ねた。オレが『ああ、普通に好きだ』と、返事をすると『じゃあ、今度の日曜日にK川を遡って、Kダムまで行きましょう』と、オレを誘ったんだ。オマエには、言ってなかったが、その頃、オレは保護観察付きだったから、勝手に行動できなかった。で、Uさんという保護司さんに、電話をして、『寮の後輩にKダムまでハイキングに行こうと誘われました。行っても構いませんか?』と伝えて、許可をもらって出かけたんだ。途中で、そこらの地元の兄ちゃんと喧嘩をして、警察に引っ張られたら、即座に少年院送りだと、注意もされた」と、私は5年前を思い起こしながら言った。
「先輩は、いつ見ても、本を読んでましたし、優等生って感じでした。まあ、ですが、高校とか、何ら躊躇も悩みもせず、すぱっと辞めましたし、普通じゃないなとは思ってました」と、Mが言った。
「オマエと出会って、2年間くらい、二人で市内の近くの山とか丘とか川とか、ほとんど行った。あれは、楽しかったな。本を読むよりも、happyだったかもしれない」と、私が言うと
「先輩は歩くことが、好きなんです。途中まで、自転車で行きましょうと言っても、『いや、オレは自転車は嫌いだから』と、拒否されました」と、Mは懐かしそうに言った。
「何の目的もなく、ただひたすら歩く。あの頃のオレたちには、足腰を鍛えて健康になると言った、保健衛生的な考えは少しもなかった」と、私が言うと
「今、自分は、血糖値を下げるために山径をせっせと歩いています。父親が糖尿病になって、糖尿病の家系だってことを知ったんです」と、Mは私に教えた。
「オマエは、一緒に歩いていた頃、自販機で売ってる清涼飲料水を飲んでた。スポーツドリンクだから、糖分は、ほとんどありませんと言ってたが、そんな筈ない。糖分を巧妙に忍ばせてある。清涼飲料水で、若者の身体を砂糖漬けにして、糖尿病予備軍を、次々につくり出しているんだ。じゃないと、医療や薬のビジネスは円滑に回って行かない」と、私は釘を刺すように言った。
「先輩は、砂糖は白い麻薬だと言ってましたが、確かにそうかもしれません」と、Mは、しみじみとした口調で言った。
「O駅から歩いて来たが、ここに来るまでに、自販機は、あちこちに沢山あった。こんな山奥に自販機を置いても、payするわけだから、実はもう『一億総砂糖中毒』と言っても過言ではないかもしれない」と、私は感想を伝えた。
「中2、3の頃、先輩と、あちこちに行って、楽しかったんですが、高校に入ると3年間があっと言う間でした」と、Mは言った。
「彼女のお腹の中に、babyが誕生するとかって、大事件があったんだ。それなりにゴタゴタした筈だし、そうあっと言う間でもなかった筈だ」と、私が言うと
「ゴタゴタの最初の頃は、さすがにちょっとテンポは遅かったんですが、見通しがつくと、時間の速さは一気に加速しました。小学校一年生の頃、夏休みの一ヶ月ちょっとって、もう果てしないほど、膨大な時間の長さだったんですが、19歳以降のこれからは、5、6年が束になって過ぎ去ってしまいそうです。今、19歳ですが、次にふと気がつくと、多分、30歳です。先輩が、今年の冬に来てくれて、薪を割ってくれたら、そこで時間はいったん止まりますが、もし、このまま四国山脈の奥に住んでいる後輩がいるが、まあ、いつか行きたいと思った時にまた行こうとかと、アテにならない未来予測図をベースにして、先輩が日々、過ごされていたら、次にまたお会いするのは、最悪、お互いが還暦を迎える頃だったりするんじゃないですか?」と、Mは危ぶむように言った。
「さすがに還暦ってことはないと思うが、うかうかしてると、本当に次は、もう二人とも三十路の大台に乗っているのかもしれない」と、私は率直な口調で言った。そして
「ところで、何故、焼き物を始めたんだ。いい土があったら何とかしたいとは、一緒に歩いていた時に、しょっちゅう言ってた。が、いい土があったからと言って、そう簡単に陶器や陶磁器が焼けるわけでもないと思うが」と、私はMに訊ねるように言った。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?