音#17.5「今の若い人は、ほとんどバイクに乗りません。バイクでカーブを、たとえば70キロできれいに回るみたいな、ある種、命がけの快感を、他のもので、代替できるんだろうかという、素朴な疑問はあります」

                     「音楽ノート17.5

三谷幸喜さんが、朝日新聞にエッセーを書いている。前回のエッセーは、映画の脱獄ものについて取り上げていた。三谷さんの推しは「大脱走」。まあ、昭和世代の多くが、同じ意見だと思う。同じスティーブマックイーン主演の「パピヨン」を推す人もいるかもしれない。パピヨンは、脱走が成功するか、or notか判らない状態で終わる。「大脱走」の方は、ムード的にもうほぼ成功が見えている(が、最後の結末が、完全に解っているわけではない)。
 三谷さんと一緒に仕事をしている20代前半の若い映画スタッフの全員が、「大脱走」を知らなかった。「大脱走」を知らなければ、それより知名度が落ちる「パピヨン」も、当然、知らないだろう。20代前半のZ世代と言えども、映画のスタッフなんだから、当然、映画は好き。全員が知っていた脱走映画は、「ショーシャンクの空に」。あっ、やっぱりねって気はする。「ショーシャンクの空に」は、放送室からモーツアルトの「フィガロの結婚」のアリアを流すシーンが、my favorite。まあこれは、私が音楽好きだからってとこもある。「ショーシャンクの空に」は、最後、メキシコの海辺(シワタネホ)に行く。最後の海と青い空が、きれい。この美しさは普遍的だと思う。
 三谷さんと一緒に仕事をしている若いスタッフは、三谷さんに「大脱走」という映画の名前を教えられたので、実際に見てみたらしい。ネットフリックスでも、アマゾンプライムでも、簡単に見ることができる。ただし、残念ながら映画館の大画面ではない。
 若いスタッフたちは、最後、スティーブマックィーンが、バイクに乗って逃げたsceneが一番、カッコ良かったと、口を揃えて言ったらしい。うーん、映画評とかに書いてあるメッセージを見て、それを鵜呑みにして言ってるだけなんじゃないかと、私は疑ってしまった。最後のsceneのあのカッコ良さは、少なくともCB250(ホンダの昔のバイク)以上の排気量のバイクに乗った人間じゃないと判らない。バイクなんて、いつ死ぬか判らない、危険極まりないメカニズム。が、バイクに乗って、限度以上のspeedを出していると、強烈なまでの生の実存を痛感する。いつ死ぬか判らないから、強烈な生の喜びが、担保されていると言えるのかもしれない。
 私は、夏休みから9月にかけて、アメリカのポップアートを、結構、見た。現代アートは、1960's~1970'sあたりが、黄金時代。セザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどに較べると、はるかに新しく、現代に限りなく近い。私は、1970'sに、ポロックとかワイエスとか、アンディウォーホルの作品を実際に見ているので、リアルタイムで現代アートに接していたと言える。
 が、リアルタイムで、現代アートを見ても、正直、良く解らなかった。2500年くらい前の、パルテノン神殿のレリーフは、たとえカケラであっても、見れば判る。
 BEPの「Where is the love」は判る。愛、世界平和、人類の福祉などが、まあこの曲のテーマだと理解している。
 SDG's的なテーマで、曲作りをするのは、かなり難しいと推定できる。当然、世界の人々に普遍的に理解して貰う必要がある。日本のアーティストに、そういうことができるかどうかは、判らない。私は、世界平和という普遍的なレベルに到達している音楽は、坂本龍一さんの「戦場のメリークリスマス」だけだと判断している。
 世界平和だと、やっぱり敷居が高すぎる。地元への郷愁とかなら、例えば、四国の土佐出身の私ならペギー葉山(え、知らない?)が歌った「南国土佐を後にして」を聞けば、どっぷりと郷愁に浸ることができる。
「The APL Song」は、フィリピンから、14歳の時に出て来て、LAで15年以上暮らして来た、BEPのアップルダップが書いた曲。地元への郷愁を歌い上げている。LA(ロサンゼルス)出身の後の三人のメンバーにとって、フィリピンはawayだが、そこは同じユニットのメンバーなんだから、感情移入して、理解し合い、郷愁をshareしているという「てい」で、演奏する必要がある。
 室生犀星は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」と、小景異情の中で、述べている。地元に住んでいて、地元への愛情ソングは書けない。LAに暮らしているからこそ、フィリピンに限りなく郷愁を感じる。オープニングは、タガログ語のコーラスを聞かせている。
 1980's 、プリンスの人気が絶頂だった頃、プリンスは、セクシーか、スピリチュアルかみたいな論争があった。sexが、spiritualを内包しているってことは、やっぱりあるだろうし、それがないと人間のsexと、動物のそれとは、どこが違うんだってことに、やっぱりなる。新海誠さんの「君の名は」には、sexのsceneは出て来ない。もし、sexのsceneがあるとしたら、あの物語の構造上、どうしたって、spiritualに描かなければいけない。アニメの画像で、というか、コンピューター上の画面で、spiritualが表現できるとは、私には到底思えない。それが、万一、可能になるとしたら、シンギュラリティ後の話だろうと想像できる。
 60's、R&Bは、結構、リアタイムで聞いた。60'sのR&Bは、モータウンであれ、アトランタであれ、コンセプトは、「愛」だけで押し通していたと思う。日本人には、本当のところ、黒人の表現するspiritualは、判らないものだろうという気はするが、黒人霊歌は、やはり、spiritualなsomethingを感じる。マヘリアジャンソンやベッシースミスだけではなく、ジャズシンガーのビリーホリディだって、スピリチュアルに届いているんじゃないかと想像している。
 フィリピン人のアップルダップがメンバーの一員で、spiritualなサウンドを、BEPが創り上げるのは、多分、難しい。spiritualよりは、世界平和、人類の福祉の方が、創り易い。まあ、これは、大学入試の小論文にだって、似たようなことは言えるのかもしれない。
 BEPの6枚目は、エレクトリックになった。60's的な生楽器の手触りがなくなった。エレクトリックになったというより、コンピューター的になった。私は、米津さんのフォートナイトのライブを、ネットで見た。私のような古い人間は、ああいう映像をVJと呼んでしまうが、VJは要するに、形と色彩のパズルだと思う。そのパズルは、やはり人間が創作しなければいけない。コンピューターが、アルゴリズムで創作したパズルには、心は動かない。米津さんの音楽は、あの映像に合っていたとは思う。コンピューターの画面上の音楽って、まあこういうものですと、教えられたような気もする。
 シンギュラリティが起これば、アルゴリズムは、spiritualを表現できるのかもしれないが、まあ、それを見ることは多分ないし、もう私が意見を言うことでもない。
 BEPは、世界平和は表現しているし、郷愁も愛も余すところなく、表現できているがspiritualには届いてない。まあ、これは私個人の意見だし、そもそも、普通の人は、アフリカンアメリカンが表現するspiritualなどには、別段、興味は持たないと、理解している。

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