自#630「昔はガリ版謄写機で、プリントを50枚作るのだって、大変な作業でした。今は、500枚でも、千枚でも、印刷機に原稿をsetすれば、次々に刷ってくれます。人は、いったん便利に慣れてしまったら、もう後戻りはできません」

       「たかやん自由ノート630」(ルネサンス①)

 何時(いつ)、誰からルネサンスがstartするのかというテーマは、容易には決着のつかない大問題で、おそらくスタンダードな定説は、存在してないだろうと推定しています。私は、高校の教師ですし、教科書に従って、ダンテやジョットからルネサンスが始まったと、simpleに規定しておきます。
 世界史の資料集を、各教科書会社が作成しています。副教材と言われているものです。ほとんどの学校が、教科書と副教材を使って、授業を行っています。が、私が高校生の頃、副教材は存在してませんでした。ですから、教科書では不足する用語、情報などは、世界史の先生が(いや世界史だけでなく、他の教科の先生も同じですが)ガリ版で、プリントを拵えていました。
 ガリ版というのは、鉄筆でガリガリ原紙を切って、こしらえる謄写版のことです。私は、字が下手なので、ガリ版の原紙を切ったことはありませんが、印刷の方は、普通に、部活でやってました(演劇部でしたから、台本やフライアーを印刷する時に、ガリ版謄写機を使いました)。原紙を謄写機に張り付けて、下にわら半紙を置き、ローラーにインクをつけて、原紙の下の紙に、一枚ずつ印刷して行きます。インクにムラがあると、濃い部分はインク過多で読めなくなり、薄いとこでは、字がかすれます。きちんと読める一枚を印刷するのでさえ、結構、神経を使います。今ですと、印刷機に原稿をsetすると、自動で500枚でも千枚でも、次々に印刷してくれます。今の方が、昔より、100倍以上便利だと素直に思います。つまり、昔の先生は、今と較べると、100倍以上不便な思いをして、生徒にプリントを用意してくれていたわけです。が、まあ高校生は、先生にありがたみなど、普通、感じませんし、高校在学中に、先生に感謝したりもしません。
 高2で世界史を習ったM先生は、「地図はガリ版プリントで拵えても、不鮮明になるので、地図だけは買っておいた方がいい」と仰って、吉川弘文館から出ていた「標準世界史地図」を推薦してくれました。私は、社会科は世界史で受験するつもりでしたから、市内のK書店に即座に行って、注文し、購入しました。ちなみに、私が高校生の頃は、書店で注文して、手元に届くのに、たっぷり二週間は必要としました。すぐには手に入らず、2~3週間、じっと待つ時間があるからこそ、本は、大切で貴重だと思い込めたってとこもあります。
 吉川弘文館の標準世界史地図は、今でも、お茶の水の三省堂に行けば、手に入ります。初版が、昭和30年ですから、もう65、6年、この本を出版し続けているわけです。perfectにestablishされているking of standardの歴史地図だと言えます。
 私の手元にも、この地図はあります。本棚から引っぱり出して来て、「ルネサンス期のイタリア」の箇所を開いてみました。イタリア(あっ、この頃、イタリアという国は、まだ存在してませんが、便宜的に使用しておきます)の欄外に、どの都市から、どういうルネサンスの文芸家やアーティストが出たのかを表示してあります。圧倒的に多いのは、フィレンツェです。群を抜いています。この頃、ミラノとフィレンツェは、同じくらいの規模の都市国家で、ローマは、この二つの都市よりも大きかった筈です。ミラノ出身のルネサンスアーティストは、ブラマンテひとりだけ。ローマは、アルベルティとヴァザリの二人。フィレンツェは、ダンテ、ジョットをはじめ、レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロを含め、総勢18名のルネサンスの文芸家、アーティストを輩出しています。ミラノの18倍、ローマの9倍の人数です。
 何故、こんなことが起こったのか、高校時代も、この地図を見た時、疑問を感じました。ラファエロは、フィレンツェとローマとの間にあるペルージアの出身ですが、レオナルドダヴィンチとミケラジェロというアート史上の二大巨人が、ほぼ同じ頃、同じ土地に生まれたといったことは、天文学的な確率でしか、あり得ないことです。ジョンレノンとポールマッカートニーが、出会ってバンドを組んだのも天文学的な確率ですが、レオナルドダヴィンチとミケランジェロの出会いこそ、人類史上最大の摩訶不思議だと、思ってしまいます。
 が、レオナルドダヴィンチに関しては、ダヴィンチの才能を開花させるだけの有能なパトロンが存在せず、ダヴィンチは、潜在的な才能を発揮できないまま、人生を終えてしまったと、私は考えています。「最後の晩餐」と「モナリザ」の二枚の絵だけでも、歴史に永遠にレオナルドダヴィンチの名前は、残り続けると思いますが、もっと、はるかにスケールの大きな仕事が、本当はできた筈です。真の真の天才というのは、レオナルドダヴィンチのように、不遇な生涯を過ごすのかもしれないという気はします。
 私は、今年の秋、ダンテの「神曲」を読みました。夏に「イリアス」と「オデュッセイア」を読んで、その勢いで、秋に入って、ゲーテの「ファウスト」とダンテの「神曲」を読破しました。これらは、本当は、すべて青年期に読んでおくべき本です。青年期にこういう本を、しっかり読めば、教養の土台の部分の礎石を、がっちりと固めておくことができます。37、8歳の頃、二月の学力検査の待機時間に、職員室でトーマスマンの「魔の山」を読んでいたら、N教頭先生に「そんなものは、若い頃に読んでおくべきものだ」と、ダメ出しをされたことがありますが、それは本当にそうです。若い頃、私は堀辰雄のサナトリウム小説の「風立ちぬ」を読みましたが、「魔の山」と比較すると、スケールがまるで違うと痛感しました。日本の小説は、基本、私小説です。叙事詩や、長編のロマンと言い得る作品は、存在してません。
 歳を取って、古典を読んでも、それが教養のベースになるということは、あり得ません(教養のベースは、若い頃に作り上げるものですから、まあ当然です)。ですが、多少の補強、メンテナンスには役立ちます。
 無人島に持って行きたいかどうかは、個人の趣味の問題ですが、世界史上、No1の書籍は、聖書です。新約と旧約と、どっちがより偉大かということは、私には判断がつかないので、新旧合わせての聖書ってことにしておきます。No2は、おそらくイリアス。偉大なギリシアの文化、文明が始まる前に、ギリシアの偉大さは、すべてイリアスで、語り尽くされているという気さえします。で、No3は、おそらくダンテの「神曲」です。このNo2とNo3の書物を、老後になって、やっと紐解いたというのは、まあ、客観的に見て、人生の大失敗です。が、誰しも大失敗を嫌というほど重ねながら、思い通りにはならない、たった一度の人生を過ごすことしかできないんです。
 フィレンツェが、あれだけ偉大なルネサンス時代のアートの王国に、のし上がることができたのは、それは、ダンテがトスカナ語(つまりフィレンツェの言葉)で、神曲を書いたからだと、simpleに理解することができます。聖書は、ラテン語を学ばないと読めません。ちなみに、king of the artistsのレオナルドダヴィンチは、ラテン語が読めませんでした。ラテン語が読めることと、天才とは無関係だと言えます。ラテン語が読めない人でも、ヨハネの黙示録を、よりリアルに、生き生きと解り易く描写した「神曲」を読むことができます。「神曲」が、プレゼンした、圧倒的なまでのゆたかなimginationに育まれて、ルネサンスのアーティストたちが、次々にフィレンツェに登場したと考えても、そう的外れでもないと想像しています。

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