創#606「アルコールは理性の箍(たが)を緩めますが、認識の幅、奥行きを広げてくれます。バランス良く飲める人は、飲めない人より、より精神的にゆたかな人生を送ることができるような気がします」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー343」

「先輩は、常に好きな女性の先輩がいるじゃないですか。それも、一人じゃなくて、複数。それって、先輩の理性と照らし合わせて、浮気ってことにはならないんですか?」と、Mが質問した。
「浮気か、浮気じゃないかを、理性が常に監視していて、判断を下すのか」と、私は逆にMに訊ねてみた。
「理性がそういう監視をしてくれるので、我々は犯罪に陥ったりすることもなく、秩序あのある息災な日々を過ごして行けるんじゃないですか?」と、Mは返事をした。
「オマエは、アルコールを飲まないが、オレは本気になれば、かなり飲める。酒を飲んだ上での蛮行、つまり女の子に抱きついたりとか、先輩の胸ぐらを掴んだり、あるいは道路に寝っころがってパトカーを止めたりしたことは、かつて一度もない。酔ったら、やたらと電話をかけまくる奴もいるが、そういうこともしない。いたって、地味に淡々と飲み続けている」と、私が言うと
「それだったら、酒を飲む効用というか、メリットは、ないじゃないですか。圭一先輩と中沢先輩と川口先輩が、飲んでいる場に、一度だけ、一緒にいたことがあります。highになっているのは川口先輩だけでした。中沢先輩も、圭一さんも、いたって普通って感じでした。その折、飲んでいたのは、多分、安物のウィスキーやジンでした。が、いくら安物でも、アルコールを飲んで、before、afterが変わらないとしたら、金も時間ももったいないような気がします」と、Mは指摘した。
「before、afterが変わらないってことはない。そんな風に見えるだけのことだ。オレの内部では、変化しているが、それを外部に現す必要を認めてないだけのことだ」と、私が言うと
「だったら、誰かと一緒に飲む意味とか、別にないんじゃないですか」と、Mは率直な口調で訊ねた。
「アルコールの効用という観点で見ると、人と一緒に飲む必要は、確かにないと思う。が、今、この場で一緒に飲んでいるという共時体験を、親しい人とshareすることは、悪いことでもないし、一緒に飲むことによって、より親しみが増すってことも事実だ。飲めない女性が、雰囲気が好きだからという理由で、飲み会に参加するのは、そういう共時体験をshareしたいからだろう。飲まない女性からは、会費を取らなかったりもするから、そこで、いろいろ食べておけば、食事代だって節約できる」と、私は説明した。
「そういう節約を考える女性も、確かにいるのかもしれませんが、酔っぱらった男に、いきなり抱きつかれたり、手を握られたりしたら、大迷惑じゃないですか」と、Mは言った。
「Mは、女の子に、いきなり抱きしめられたことがあるのか?」と、私が聞くと
「ないです」と、Mは即答した。
「オレはある。中2の夏、まあ、肩を軽く抱かれたくらいだから、抱きしめられたとは言えないが、とにかく、一個上のY先輩がオレの肩を軽く抱いて『大丈夫、あたしが護ってあげるから』と言ってくれた。その時、ヘンなチンピラ兄ちゃん絡まれてたんだ。チンピラ兄ちゃんと喧嘩をして、負ける気は全然してなかったが、天国に舞い上がったかのような夢見心地で、Y先輩に護って貰った。Y先輩に啖呵を切られて、チンピラ兄ちゃんは、頭を下げて、即座にどっかに消えた。Y先輩に会ってみたいが、住んでる世界が違い過ぎて、さすがにもう会えない。が、Y先輩に中2の夏、護って貰ったという経験は、間違いなく、一生涯のオレの財産だ。抱きついて来る男の子が、万一、自分の好きな相手だったら、彼女は全然、welcomeだろう。別に好きな男性じゃなくても、手を握られたくらいなら、即座に、突っぱねればいいだけのことだ。女子にとって、そんなことは、ちっちゃな問題だ」と、私はMに説明した。
「もう、自分は大人です。女の子に抱きつかれたりすることは、まずあり得ません。抱きつかれるとしたら、先輩のように、13、4歳頃がベストかもしれません」と、Mはしみじみとした口調で言った。
「結婚してるんだから、奥さんに抱きついてもらえばいいだろう。その話は、もうさて置く。何故、アルコールを飲むのかというと、アルコールが認識の空間の幅や奥行きを、広げてくれるからだ。ただ、理性の箍(たが)は、ちょっと緩んでる。オレの場合、箍が緩むだけで、理性は大枠として機能している。理性が機能しなくなったら、二階の窓から平気で飛び降りたり、猛speedで、車が走っている道路に突っ込んで行ったりする。そこまで、理性がふっとぶ人間は、アルコールは不可だろう。オレは、他人にスマートなアルコールの飲み方を、教えてあげたいという気持ちも少しはあって、それもバーテンを目指している理由の一つだが、人はそれぞれ違うし、アルコールの適量を人様に教えることなど、到底できないんじゃないかという気もする。オレ自身、アルコールを飲み続ける危険性を、この頃、薄々、感じるようになった。将来、カクテル作りじゃなくて、珈琲、紅茶、ココアなどのノンアルコール飲料のバーテンになることも、充分に考えられる。13、4歳の頃は、誰の人生も、simpleでストレートなものだと気楽に考えていたが、この歳になると、誰の人生も思い通りにはならないし、試行錯誤を重ねながら、少しずつ進んで行くものだと、ようやく理解できるようになった。オレには、陶芸のような土を捏ねるモノ作りのことは、正直、良く解らない。が、絵画の歴史は、ひととおり自分なりに学習した。絵画や演劇、音楽といった芸術系で、いい仕事をするためには、切磋琢磨する仲間が必要だ。別段、指導者に出会う必要はない。指導者は、多くの場合、過去の成功体験に縛られ過ぎている。同世代の仲間と競争したり、時には協力したりしながら、これまでとは違う、新たな切り口のcreativeな作品を制作する必要がある。この田舎の窯で、仕事をすることは、何の問題もないが、同世代の仲間達と出会うためにも、積極的に公募展には、出品した方がいい。ある程度、佳作が作れるようになってから出品するとかと考えていたら、いつの間にか、玉手箱の蓋が開いてしまってたりする」と、私はMにアドバイスした。 

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