創#610「学校に美術部の生徒が描いた絵が、結構、飾ってあって、その絵の感想を書いたりしています。自分が文章を書けば、描いた意図とか、高校生の興味関心などが、おぼろげながら、掴めます」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー347」

「先輩だって、子供の頃、同級生の友だちはいなかった筈です。高専に進学して、親友と出会って、初めて同級生の友だちができたと、前に聞いたことがあります」と、Mが言った。
「小5、6の頃は、同級生の友だちがいて、海で泳いだり、野山で遊んだりしてた。小5、6の時のみ、故郷の漁村の小学校に通った。漁師の跡継ぎという一種独特な文化の共通点もあった。その2年間以外は、確かに、同級生の友だちはいなかった。が、親しくしていた先輩は、いつの時代もいた。今も昔も、オレは人付き合いは悪い方だし、お世辞も言わないので、少数の人としか、付き合ってないが、自分を認めてくれる先輩とは、きちんと出会って来たと思ってる」と、私はMに教えた。
「先輩は、やたらと博識ですが、それは、先輩方の教えを、耳学問として蓄えて来た結果ですか?」と、Mは訊ねた。
「そういう部分もある。人の話は、たとえ短時間であっても、要点は確実に頭の中に残っている。たまに、のべつ幕なしに、長広舌を揮(ふる)っているのに、こちらの頭の中に、何にも残ってないお喋りとかがある。それは、何にも考えてなくて、ただ喋っているだけだからだ。何にも考えてなくても、喋っている間に、考えるヒントが頭の中に浮かんで、それを展開できる人もいる。喋りもまあ、歌が上手い、絵が巧み、字が達筆などと同じように、才能のある人とない人とがいる。喋る才能のない先輩の話を、オレは聞かない。時間の無駄だから」と、私はMに教えた。
「圭一さんが、その先輩を忌避して、避けようとしても、その先輩の方が、圭一さんを贔屓にして、やたらと喋りかけて来るってことは、あり得るんじゃないですか?」と、Mは突っ込んで来た。
「それは絶対にない。こちらが相手のことを好きだと思っている分量と、相手の自分に対する好意の分量は、常にイコールだ。これは同性だけじゃなく、異性の先輩の場合だって同じだ。が、恋愛はこの限りではない」と、私は説明した。
「どうして、恋愛だけが例外なんですか?」と、Mは首を傾げた。
「先輩の場合、好きという感情は、まっすぐ相手に投射されている。それは、嫌いの感情だって同じだ。その等量の感情を、好きであれ、嫌いであれ、相手は自分に返して来る。が、恋愛の場合、好きの感情は、相手には正確には投射されない。好きなのに、真逆の嫌いの感情を投射したりする。小学生の男子が、好きな女の子にイジワルをしてしまうというケースが、これだな。恋愛の好きは、相手には向かわず、自己の内部で、ぐるぐると回って、好きが自己増殖を起こしたりもする。相手を客観的に評価するとかではなく、自己の内部で、勝手な夢物語をでっち上げてしまう。酒に酔って、理性の箍(たが)が緩むのと同じように、恋愛によって、やはり理性の箍が緩む。アクションを起こしても、お互いの好意はイコールではないので、即座に破局。故郷にいられなくなって、大阪に行って、その後、水商売を転々とすると云った事例は、男女とも、枚挙に暇ないほど、あるらしい。Yさんというオレのバーテンの師匠だった人の実話だ」と、私はMに説明した。
「なかなか厄介ですね」と、Mは相槌を打つかのように言った。
「オマエの場合、いきなり彼女が妊娠したりして、ある意味、莫大な厄介に、いたいけないboy & girlが、突如、向き合ってしまったわけだ。イギリス、フランスだと、そういう厄介は、国家がある程度、サポートしてくれる」と、私が言うと
「具体的には、どういうサポートなんですか?」と、Mが訊ねた。
「生まれる子供を、10代の若い母親が育てたくなければ、国家が施設に入れたり、里親探しをしたりして、子供をケアしてくれる」と、私が言うと、
「その子供は、生まれた時から、親のいない孤児(みなしご)として、育てられるわけですし、その子の将来のことを考えると、可哀想じゃないですか」と、Mが抗議するように言った。
「中絶したら、殺してしまうことになる。殺されるよりも、生きていた方が、やっぱりいいだろう」と、私は返事をした。
「不幸な生い立ちで生まれ、育ち、犯罪者の仲間入りし、殺人などを犯したら、社会のためにマイナスじゃないですか。それだったら、最初から生まれなかった方が、良かったってことになりませんか?」と、Mが言った。
「モーセの十戒に『汝殺すなかれ』という不文律がある。『汝殺すなかれ』の不文律は、すべての事項に優先する。人間が、人間を殺しちゃいけない。動物は、同じ種の間では、絶対に殺し合ったりはしない。人間が人間を殺さないということは、DNAの中に組み込まれているゆるがせない掟だ。よって、堕胎は、絶対的にNGだな。オレがオマエの立場でも、迷わず、父親になってる。が、オレ自身には、父親がいないので、父親の果たすべき役割が判ってない。それに自分が子供好きだとは、お世辞にも言えない。そんな厄介な有象無象のことを考えたり、悩んだりするよりは、最初から、恋愛とは距離を置いている方が、はるかに安全だ」と、私は結論を述べた。
「先輩が、その結論を維持し続けるパワーは、どこから来てるんです。そうは言っても、女性の怪しい魅力に惑わされて、うかうか行動してしまうことは、あるんじゃないですか?」と、うかうか行動してしまった結果、4歳半の子供の父親になってしまっているMが訊ねた。
「そのヘンは、オレにも良く判らない。好きという感情は、普通にある。好きな先輩とか、枚挙に暇ないほど沢山いた。が、先輩には恋愛感情を抱いてはいけないという掟が、最初から存在していたということだろう。恋愛対象である同級生の場合、自己の内部で、好きであれば、それを外側に現す必要はないと、普通に考えることができる。それに、デートなどは、どう考えても、面倒で厄介だな。どうしたって、自分を良く見せるために盛って、飾らなきゃいけないし、話しにも嘘が混じりそうだ。自分自身に正直であり続けて、恋愛ができるとも思えない」と、私はMに伝えた。 

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