音#16「夢の中で、音楽をたまに聞いていますが、常にラジオかレコードです。テープもCDも出て来ません。中2まで、ラジオとレコードしか知らなかったので、三子の魂、百までってやつなのかもしれません」

            「音楽ノート16」

 川越刑務所に5年間、収監されていた教え子のKくんが、出所したその日に、自宅には向かわず、5年間ずっと待ってくれていた彼女にもすぐには会いに行かず、まず、立川のタワーレコードでCDを聞いて、次に私が当時、勤めていたJ高校に来てくれた。
「いつ出所したんだ?」と、聞くと
「今日の朝です。タワレコに行ってCDを買って、先生のとこに来ました」と、返事をした。
 Kくんは、27歳。22歳から27歳まで5年間、檻の中にいた。タワレコにイの一番に行ったのは、音楽が世界で一番大切なものだと、確信していたからだろう。次に私のとこに来たのは「ニシモリさんも、音楽がこの世界の中で、一番大切なものだと信じ切っていた時期があった筈だ」と、直観で理解してくれていたから。
 私が、音楽がこの世界で一番大切なものだと信じていたのは、中1、2だから、13、14歳の頃。27、8歳のKくんが、13、4歳の厨房のheartを持つことは、fantasticだと思うが、刑務所帰りの青年への世間の風は冷たいだろうと容易に想像できる。Kくんが出所したのは、2010年。もう、ネット時代は、充分に佳境に入っていて、スマホも近々、発売されるというIT全盛時代。過去に起こした事件であっても、いったんネットに書き込まれたら、もう一生、過去は消えない、そういう時代にすでに突入していた。
 KくんにどんなCDを買ったのかと質問すると
「BEP(The Black Eyed Peas)のThe Endです」という返事が戻って来た。
「BEPは、これでThe Endってことか?」
「いや、The Energy Never Diesじゃないですか」と、Kくんは、模範解答で応じた。
 この先、いろいろ大変なことがあったとしても、現在27、8歳のKくんにとって、前途は洋々として有為。そろそろ還暦も迫って来ていて、人生が充分に黄昏れて来ている私とは立場がまるで違う。
「The End」のアルバムに、最初に収録されているBoom Boom Powは、すでに大ヒットしていた。渋谷のHMVに行けば、しょっちゅう流れているといったレベルのヒットではなく、すでに都立高校のあちこちで、雨後の筍のように、次々と生まれているストリートダンス系の部活で、普通に使われていると言ったレベルのヒットの仕方だった。そもそも、CDをレコード屋で購入するという時代ではなく、i tune ストアから、ダウンロードして購入するという時代に突入していた。
 私は、夏と冬、一年に二回、川越刑務所のKくんに会いに出かけていた。Kくんの刑務所での生活が、どういうものかは承知していた。音楽が自由に聞けるのは、5年間模範囚として過ごして、CDデッキが貸与されてからだった。それまでは、せいぜい、週に一回、金曜日にMステを見ることくらいしかできなかった。そういう状態の中で、音楽への情熱を忘れなかった、Kくんの音楽愛は、本物だと納得した。
 BEPは、五枚目の「The End」より、四枚目の「Monkey Business」の方が、アルバムとしてはるかに面白い。が、私は、三枚目の「Elephunk」が、最高傑作じゃないかと思ってる。もっとも、Kくんにそんな余計なことを言う必要はまったくない。Kくんは、刑務所に入っていた5年間のブランクを、立ちどころに取り返すだろうと想像できる。
 私は、BEPの一枚目から、六枚目まで聞いた。その後のアルバムは聞いてない。BEPは、ヒップホップだから、まあ、ちょっと知ってる程度。良く知ってる筈のUKロックの場合、Cold PlayとMuseは、ともに5枚目まで聞いて、そこから先は知らない。
 人生百年時代だとすると、まだまだ先はどっさりありそうだし、家族や教え子たちのためにも、長生きをしたいとは思っているが、UKロックでさえ、もう新譜を買いたいという欲望は起こらない。
 学校を退職されて、みかん農園で、みかんを育てていた世界史の恩師のS先生を、自分自身が教師になってから訪ねたことがあった。S先生は、「戦後の文学とか、別に読みたくない。斎藤茂吉と正岡子規を読んでいれば、充分だ」という風なことを仰っていた。これを自分事として、あて嵌(は)めて考えると、源氏物語を毎日、読んでいれば、充分ってことになる。一応、漱石、荷風、鏡花などの明治時代の作品は読むが、ノーベル文学賞を取った大江健三郎の作品は、一冊も読んだことがない。
 以前は、CDに添付されている英文のライナーノーツをせっせと読んでいた。が、2010'sに入って、CDを買わなくなった。そこで、英文の美術館のカタログなどを、ちょいちょい読んでいる。英文を読むのは、ペダンチックなカッコづけとかではなく(自宅でひっそり読んでいるので、ペダンチックもカッコづけも意味をなさない)単にボケ防止のため。 源氏物語のような古典を読んでいても、古典は基本、自然と同じようなものなので、頭脳は刺激されない。古典は、ボケ防止の役目を果たしてくれない。
 BEPの七枚目以降は知らないが、別段、一向に構わない。名盤「Elephunk」からだけでも、エンディング曲は5、6曲選べる。「Monkey Business」の方は、もっと多いかもしれない。一枚目と二枚目も聞き直して、曲選びをすれば、半年間くらい、BEPだけで、エンディング曲は用意できる。こういう試みもありだと思うが、ヒップホップの歌詞は、さすがに聞き取れないだろうし、聞き易いロックのバラード曲などを流してあげた方が、高校生のためには親切だろうと言う気もする。
 BEPはパーティヒップホップだと、ずっと言われて来た。BEPあたりから、ヒップホップは、よりポップになったと感じる。メンバー構成もdiversityに富んでいる。リーダーのウィル・アイ・アムは、純粋なアフリカン・アメリカン(つまり黒人)だが、アップルダップは、父親はフィリピン人で母親がアフリカン・アメリカン。タブーは、父親はヒスパニックで、母親はネィティブ・アメリカン(つまりインディアン)。この三人が、BEPのオリジナルメンバーで、三枚目から、LAの歌姫ファージーが加わった。ヒップホップをcreateするメンバーは、diversityに富んで来たが、クラブの方は、まだそこには至ってない。ロサンゼルスで言うと、サウスセントラルのクラブの客はアフリカン・アメリカンが大半。郊外に行くと、ヒスパニックが多くなる。ハリウッドやサンタモニカのお上品なクラブは白人中心。
「Elephunk」の「Where is the love」が、my favorite。愛は、レーベルで言うと、モータウン発かもしれないが、アトランタであれ、LAであれ、愛は普遍的。こんなsimpleで、根本的なコンセプトが、なぜ、なおざりにされるのか、音楽好きには、本当の所、理由が解らない。

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