創#588「私より10歳くらい年下だと推定できるんですが、朝からハイトーンで、元気良く挨拶をして、笑顔で応接している非常勤の英語の先生がいます。女性のパワーとエネルギーには勝てないなと、あらためて思ってしまいます」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー325」

「K子には、S子という妹がいる。S子は、ごくたまにこの店にも来る。S子に、『圭一先輩は、どうしてますか』と、聞かれた。圭一は、S子のこと、知ってるの?」と、まりさんは、唐突に訊ねた。
「知ってるって、ほどではありません。K子さんの妹だとは知ってました。J中で私が3年だった時、1年生だった筈です。が、J中時代に喋ったことはないです。というか、今に至るまで、会って話したことは一度もありません。高専の寮にいた頃、3回、手紙を貰いました。3回目は、夏休みに届いていて、8月の下旬に寮に帰った時、その手紙を読んで、大急ぎで返事を書きました」と、私はまりさんに説明した。
「どういう返事を書いたの?」と、まりさんが訊ねた。
「『自分は、学校を辞める。辞めて、バーテンの見習いになる。地道な丁稚奉公のようなものだから、高校生の頃のように気軽に返事を書いたりはできない。もう、今後、手紙は書かないけど、普通に真面目に生活して、幸せになって欲しい』と、まあそんな風なことを書きました。彼女はまだ中2でした。16歳の無職なのかバーテン見習いなのか良く判らない、つまりどこの馬の骨ともつかないヘンな男が、中2の女子に、手紙を書き送ったりして、親が警察に訴えたりしたら、下手すると留置所行きです。警察とか権力というものは、結構、理不尽なものですから、そんなことは、普通にあるんです。私は、S子さんのことは、何とも思ってません。お姉さんのK子さんのことは、中学時代に関しては、知っています。どう考えてもヤバい人でした。ヤバい目にだって、私は遭っています。今、K子さんがどうしてるのか知りませんが、何をしていようと、距離はちゃんと置きたいです。リスクを避けるために、S子さんに手紙を出すことを辞めました。私より二つ歳下だから、今、18歳ですよね。20歳以下の女の子と、軽々しく喋ったりしないようにしています。女の子は、どこでどう豹変して、どういう行動に出るのか、全然、先が見えないんです。先が見えないこと自体は、嫌ではないんですが、女の子とのお付き合いの場合は、リスクがあります。男の子が運転している車の助手席に乗って、まあ当然のようにシートベルトもせず、メンソールの煙草などを吸いながら、ドライブを楽しんで、『もっと、ハデにspeedを出してよ』などと要求する女子がいます。で、調子に乗って、男の子が、アクセルを踏み込んで、加速させ、カーブを曲がり切れず、コンクリートの電柱にぶち当たって、シートベルトをしてない女の子は、フロントガラスをぶち割って、外に飛び出し、頭から落ちて即死みたいなことは、新聞やテレビのニュースとかではなく、身近な知り合いの場合にだって、普通にあるんです。まりさんは、リスクを避けます。そういう意味では、生まれた時から、ある意味、優等生なんです。私は、J中の先輩の中では、まりさんとだけ、親しくしてましたが、それはまりさんに付いて行っても、リスクはないと、安心できたからです。男の場合は、行動がある程度、読めます。最後、一個上のKくんたちにボコボコにされましたが、ボコボコにされるということも、ちゃんと予測していました。で、そうは言っても、致命的なダメージを私には与えたりはしないということも、理解していました。が、帰り、私は足元がふらついて、石段の上から転げ落ちました。落下して、気絶しました。で、そのまま放置しておいてくれたら、夜露に当たって、目が覚めていた筈です。当時、私は14歳です。石段から落下したくらいでは、死にません。で、通りすがりのお節介な誰かが、まあ親切心からなんでしょうが、救急車を呼びました。で、救急車で緊急病院に運ばれて、気がついたら集中治療室のベッドの上で寝ていました。その日から、丸三ヶ月入院しました。というか、無理やり入院させられていたと言っても、過言ではありません。母子家庭の子供だった私は、入院費は、公的な機関から出ていたんです。別段、手のかからない、本ばかり読んでいる患者です。入院させておけば、病院のビジネスに貢献します。学校は、いろいろと厄介な私を、取り敢えず、三ヶ月くらい隔離したって感じです。あの事件では、私は、一方的な被害者でしたが、警察が調書を取りに来た時、何も覚えてないと一切、何の発言もしませんでした。とにかく、最後まで突っぱねました。私は被害者ですが、加害者を告発したら、彼等は少年院送りです。ヤンキーの道徳では、それはNGです。で、学校は、私をどうするのか、決めかねていたんです。被害者の私を、少年院送りにすることは、できません。その前にいたN中では、学校の校舎のガラスは割りましたし、ハデな喧嘩もしましたが、J中では、どう考えても、優等生でした。周囲は、みんなシンナーをやっていて、私一人がやってなくて、彼らが二階から飛び降りようとするのを、身体を張って止めたりしてました。万引きとかも、結局は、自分の人生にとってマイナスだから、つまらない犯罪に手を出すなと、私はアドバイスしてました。が、N中から、強制転校させられた来た私が、悪の親玉だと学校側は決めつけているんです。少年院には、行かないとしても、中学卒業するまで、強制教護院行きかもと、ほぼ覚悟していました。私は、被害者でしたが、被害者がさらに被害を受けるなんてことは、ザラにあることです。まあ、結局、学校に戻れて、その後、卒業まで、ヤンキーな仲間たちとは、すぱっと縁を切ってひっそり暮らしていました。で、卒業はしましたが、卒業後、中2の女の子に手紙を出してるみたいなことが、問題になったら、やっぱり最悪、少年院送りです。私が、大学を卒業して、こっちに戻って来たら、S子さんは二十歳を超えています。で、K子さんも絡んで来ないのであれば、その時は、この店で、S子さんと喋ってもいいです。ところで、K子さんは、今、どこで何をしてるんですか?」と、私は、聞かなくてもいいようなことを、つい訊ねてしまった。
「まあ、知らない方がいいよ。K子はやっぱり、いろいろある。あたしだって、直接、会ってるわけじゃない。たまに電話で喋るくらい」と、まりさんは返事をした。
「電話で喋るってことは、刑務所にいるわけではないんですね。狭い町ですから、ばったり顔を合わせることもあるのかもしれませんが、まあ、そこは如才なく対応します。私だって、I am not what I was.昔のいたいけない無知なboyとかってわけでもないですから」と、私はまりさんに伝えた。
「S子さんには、私が来たことは、言わないで下さい。寝た子を起こすとかって、やっぱり良くないだろうし」と、私が言うと
「男女のことに関して、男の子は、どうだか知らないけど、女の子で、寝てる子はいない。みんなアンテナを立てて、自分にとって、何がベストなのか、常にぬかりなく、模索している。ここに来るまでに、どうせ街をうろうろしてただろうし、あたしが言わなくても、圭一が、帰って来てることは、もうS子に伝わっているかもしれない。S子だって、もう中二のいたいけない女の子ってわけじゃないし」と、まりさんは言った。 

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