美#96「私もコートールドとまったく同じ意見で、ルノワールは1870年代に頂点を極めたと思っています」

           「アートノート96」

 コートールドは、1880年までに、ルノワールは、頂点を極めたと語ったわけですが、私もまったく同感です。ルノワールのすぐれた作品は、1870年代の印象派時代に描かれていたと私は確信しています。
 ですが、晩年の幸福な赤の時代の絵こそ、ルノワールの頂点を極めた作品だと主張する方がいたとしても(沢山いらっしゃると思いますが)別段、それに反論するつもりもないです。アートや音楽と言った分野では、価値判断は、個人の主観で決定されると、simpleに考えています。
 私は、源氏物語が、愛読書ですが、どういう風に深読みしても、官能的な部分は、源氏物語には、ほとんど存在してません。匂宮は、もしかしたら、プチ官能的かもしれませ。まあ、しいて挙げれば、男では彼だけです。光源氏も夕霧も薫も、どの角度から見ても、官能的ではありません。女性だと、軒端荻とか朧月夜とか、多少、それっぽい感じかもしれませんが、メジャーな姫君たちには、官能を感じさせる女性はいません。基本、十二単ですから(実際に着ているのは5、6枚ですが)肉体の官能性を発揮する場面もありません。
 西欧は、古代ギリシアの昔から、女性の裸体を最高の美だと、考え続けて来たわけですが、そういう伝統は、日本には存在してません。
 足が細くて、スマートだという話しには、一応、私もついて行けますが、胸があって、そこが官能的で魅力的という風な話には、若い頃から、まったく付いて行けてませんでした。胸があるとか、ないとかは、私には、ほとんど興味のない事項でした。そもそも、私は、肉体的な官能性というものに、正直、ほとんど(というよりもまったく)興味関心を持ってません。だからと言って、女性が嫌いで、男性を恋愛の対象にするという人間性でもないです。女性の官能性には興味がなく、男のエロさも、自分とは無関係です。
 私は、母親に抱きしめられたことが一度もないので(これは本当に一度もないと断言できます)女性の肉体にさして興味がないんだろうと、自己分析しています。父親は、元々いないので、父親に抱きしめられたことも、無論、ありません。子供の頃、誰にも抱きしめられなかった私は、他人に対する姿勢が、いたって冷静で心理的に距離を置いているというとこは、多分あると思っています。
 結婚して、子供は三人生まれました。それは、性の衝動といったものではなく、この宇宙の大きな摂理の誘いに素直に従った結果だと判断しています。
 ルノワールの晩年の幸福な赤の時代の女性の裸体の絵に、正直、私はいたって無関心なんですが、それは、私の生い立ちに、密接に関連していると想像しています。
 異性の肉体に、強烈に惹かれ、執着している人は、directに本物の肉体を求めると想像できます。風俗の大好きな先輩を、若い頃、沢山見ましたが、そう言った先輩が、ルノワールの裸婦が、官能的には最高にexcellentだなどと、証言した例は、一例もありません。リアルの肉体に強烈な興味を持っていれば、バーチャルな絵などに、関心が向かう筈がないです。
 若いboy & girlたちは、さほど恋愛をしなくなりました。若い男の子だと、一番したいことは、まずゲームです。次に仲間との交流。三番目あたりで。やっと恋愛が入って来るんじゃないかと想像しています。
 最近の子供は、3歳くらいからスマホを見ています。3、4歳の頃から、バーチャルな画像に取り囲まれているんです。スマホやパソコンの映像や情報を処理することで、日々、手一杯だとしたら、どう考えても、いろいろ面倒だし、異性の肉体と接触、交渉を持ったりすることは、どんどん退化して行ってしまいそうです。
 女性の美しさを表現することが、ルノワールのミッションでしたが、50代の半ばを過ぎて、56歳の夏、自転車に乗って転倒し、右腕を骨折します。翌年、57歳からリューマチの徴候が現れて、58歳から、78歳で逝去するまで、晩年の20年間、関節リューマチに苦しめ続けられます。
 リューマチで苦しめられていた先輩を、何人か見ました。先輩ではなく、高校の同級生が、20代でリューマチを発症し、自宅で動けなくなっていて、見舞いに行ったことがあります。「とにかく関節が痛くて、何もする気になりない。できれば、腕も足ももう切り落としたい」と、嘆いていました。
 私は、子供の頃からの頭痛持ちで、作業する身体の姿勢が悪かったり、目を使い過ぎたりすると、偏頭痛を起こします。結構、頻繁に起こるので、偏頭痛が起こっても、いつも通り生活しますが、痛いので、やっぱり作業能率は、どうしたって落ちてしまいます。まあしかし、リューマチは、偏頭痛などより、はるかに局部的に痛い筈です。動かず何もしなくても痛い筈です。結局、痛み止めを飲むくらいの対処の仕方しかないと想像しています(ちなみに私は薬嫌いなので、どんな偏頭痛がひどくても、痛み止めは飲みません。
 ルノワールは、リューマチの激痛に耐え、最後の最後まで、美しい女性の裸体を描くという自己に与えられた仕事に、没頭していました。死の三年ほど前の車椅子に乗ったルノワールの写真が画集に掲載されていますが、両手を握ったまま、もう開くことができないような様子に見えます。手に筆を縛りつけて、絵を描いていました。
 ドガの最後も、悲惨でした。「ああやって、生きているよりは、死んだ方が、幸せかもしれない」と、ルノワールがドガの様子を見て、漏らしたことがあります。ドガは、目が見えないので、昔の作品を手直しすると、逆に、完成していた絵が、破壊されてしまうんです。ルノワールの場合、目は見えるので、そういう失敗は起こりません。最晩年の作品の質は、さすがにレベルダウンしていますが、描くということが、ルノワールに、生きる勇気を与えていたと想像できます。ドガ同様、ルノワールは、晩年、彫刻も手がけました。
 リューマチは、冬場の寒さで、痛みがより一層ひどくなるので、60代に入ってからは、南仏のカーニュで、ルノワールは暮らしました。梅原龍三郎が、ルノワールに弟子入りしたのは、ルノワールが68歳の時です。リューマチで身体が不自由なルノワールは、充分な指導もできなかった筈ですが、梅原龍三郎が、ルノワールに弟子入りして、4年後に描いた「黄金の首飾り」は、フランスの裸婦画の伝統的なスピリットとスキルが、梅原にdirectに伝えられていると想像できる傑作です。

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