音#22「オランダの娼婦街が、現在、移転問題で揉めてるらしいです。この娼婦街は、今の場所に500年前からあるんです。500年も同じ所で、風俗を続けられるのは、オランダが、如何に自由な国かってこと、知らしめていると思います」

                      「音楽ノート22」

還暦で神奈川県警を退職した後、小学校の担任として、仕事をしている元婦警さんの記事が新聞に掲載されていた。ただし、還暦を過ぎているので、正規の採用ではなく、非常勤の臨時的任用教員。私も非正規の臨時的任用教員だが、担任などにはもう成らないし、成れない。部活の顧問の仕事もない。授業と、あとほんの少しの補助的な仕事(週一で郵便物を仕分けたり、行事の時の美化担当だったり、試験の監督を正規教員の半分くらい割り当てられたり)しかしてない。が、小学校だと、非正規の臨時的任用教員でも、担任として仕事をしている。中堅校の高校の担任より、小学校の担任の方が、どんなに少なく見積もっても、三倍くらいはhardな仕事。新任の場合は、五倍以上じゃないかと想像できる(上級学年だと、週に29コマ授業があるので、毎日、放課後、六コマ分、明日の授業の準備をしなければいけない)。身内の人は
「きつい仕事を続けて来たんだから(定年後は)ゆっくりすれば」と、勧めてくれたらしいが、本人は学校の先生になるのが夢だったらしく、60歳でその夢をかなえた。人生百年時代だから、60歳でも、まったく新しい第一歩を、逞しく踏み出せますよと言った風なことを、アピールしたいのかもしれない。そのためには、新聞に嫌というほど広告が掲載されている(それも多くは左面の全面広告)サプリメントを飲んで、アンチエイジングに務め、若さを保って下さいといった主張が裏に込められていれば、サプリメント会社の幹部たちも、満足してくれたりするのかもしない(うがちすぎ?)。
 警察官が、大変な仕事だということは、充分、承知している。が、警察官として積み上げたキャリアが、教職の世界で、すぐに応用できて、いい仕事ができるとも、限らない。教師の仕事には、こうすれば上手く行くというマニュアルは存在してない。本人の性格、才能、適性も大きく左右するし、担当する生徒たちとのマッチングの問題もある。たまたま波長の合うクラスと出会って、万事が上手く行ったみたいなことも、ロシアンルーレットの5倍くらいの確率では、あったりするのかもしれない。つまり30年に一回の僥倖。私の場合、もっとも上手く行ったのは、現在51歳のA高校の部活の教え子たち。正規教員時代は35年だったから、35分の1の確率。他の学年も、それなりに何とか如才なくこなした。が、何ひとつ後悔することなく、三年間を過ごせたのは、その学年の一回だけ。 60歳の元婦警さんは、まあ70歳まではお勤めになると推定できる。何もかも上手く行く学年に出会えなくても(10年じゃ、まず無理)この子は自分が救ったと胸を張れる生徒は、10年の内、3人くらいは出会える。その三人を救えただけでも、教職にトラバーユした意義は充分にあると想像できる。
 スティングは高校の教師だった。「高校時代」という曲も書いている。英語のタイトルは、「Don't stand so close to me」。今のスティングは、高校教師だった頃の過去は語らないが、この曲は、おそらくリアルの実体験に基づいている。Don't stand so close to meは、イケメン青年教師が、女子生徒に「そんなに近くまで、オレの傍に来ないでくれ」と、訴えているセリフ。限度を超えて、接近されてしまうと、教師としてのモラルがbreak downしてしまうかもしれない。モラルを持った青年教師である前に、まず男として存在するわけだから、若い女子生徒とは、きちんとdistanceを保とうとするのは、当然だと思う。この曲は、イケメン教師と、女子生徒との危ない恋が、成就したかor notなのか、判らないという曖昧な結末で終わっている。私はスティングの伝記を二冊読んだ。スティングに熱を上げていた女子生徒は確かにいたが、スティングが、モラルを踏み外した形跡はない。スティングは、学校を追われてミュージシャンになったわけではなく、ベーシストじゃないと自己を表現できないとはっきりと悟ったので、高校教師をリタイアした。「ベースラインのあの音色じゃないと、オレは自分を表現できない。だから、オレは高校教師をやめた」とかって、「わぁーカッケー」と、素直に驚嘆してしまう。
 バンドの演奏を聞く場合、私はまずベースラインを真ん中に据えて聞く。だから、ライブ会場では、常にフロアー前列のベース寄りの位置に立っていた。ベースラインにスネアとバスドラを被(かぶ)せる。このリズムセクションの土台の部分を、しっかりと把握しておけば、GとかVoとかKeyは、自ずと聞こえて来る。
 バンドの全国大会で、名古屋に行ったことがある。その時、たまたまだったかどうかは、分からないが、ドラムセットが、センターのVoと、Baアンプとの中間くらいに据えてあって、明らかに下手寄りだった。この位置だと、ベースとドラムの生音が、きれいに被る。Voは、そこらのモニターから聞こえる。ギターは、上手のジャズコーラス、マーシャルアンプが鳴っていた。もっとも上手にあるマーシャルアンプの音が、もっとも遠かった。ちなみに、常に最前列にいるので、メインスピーカーから出る外音はたいして聞こえて来ない。マーシャルが、遠くても全然、構わない。マーシャルで、ぐちゃぐちゃに歪(ひず)んだ音を出すようなサウンドを、私は、基本、さほど好まない。
 授業のエンディングは、八王子のHard Offで買った、安物のCDラジカセを使って流している。このCDラジカセでは、クラシックの音は、聞き分けられない(が、強引にミサ曲などを流したことはある)。スティングや、レッドホットチリペパーズのような、ベースラインをフューチャリングした楽曲は、安物のCDデッキでも、土台(リズムセクション)と上物(ギター、ボーカル)が、はっきりと聞き分けられる。
 スティングは、ジャズのベーシストになるつもりで、高校教師をやめたが、スティングはイケメンでカッコいい。イケメン青年が、ジャズのベーシストになっちゃいけないってことは、まあ理論的にはないが、ジャズのベーシストでは地味すぎるってことで、ポップス業界に引っぱり込まれてしまったってとこは、まあやっぱりある。
 駆け出しの頃、スティングはファッションモデルをやっていた。モデルでも、いい仕事をしていた。俳優としても活躍した。「さらば青春の光」のモッズのボスのエースを、スティングが務めている。ザフーの「四重人格」にもスティングはキャスト出演していた。俳優として、ハリウッドでもて囃されても、おかしくないタイプだと思う。
 が、スティングは、現在、アマゾンの密林を購入して、自然保護に努めている。アムネスティの活動にも協力している。チリの人民がピノチェトの独裁政権下で、苦しんでいた時、チリの国境に近いアルゼンチンの小さな町で、ピノチェトに抗議する、ライブを実施したこともある。
 スティング(正確にいうとポリス)のデビュー曲は、「ロクサーヌ」。オランダの娼婦がテーマだったので、イギリスでは放送禁止になった。スティングは、決して娼婦を見下しているわけではない。まったく対等のあったかい目を注いでいる。それは、歌詞を訳さなくても、楽曲を聞けば即座に分かる。アマゾンの開発阻止も、独裁政権への抗議も、娼婦へのいたわりも、最終的に、スティングはすべてベースラインの音色で表現していると、私は理解している。

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