令和元年の終戦記念日に。

一日遅くなってしまったのですが、昨日は終戦記念日でした。

子供の頃から毎年、8月15日には祖母の家ですいとんのお昼ご飯を食べるのが習わしでした。茄子や鶏肉が入っている豪華版すいとんです。

「こんなに豪華なすいとんではなくて、何にも具はなかったのよ」
東京大空襲の時にに深川で被災した祖母(現在101歳)から、戦時中の食糧事情や空爆で死亡した親せきの話を聞きながら、豪華版すいとんを食べていました。

そうした経験から私は平和活動に興味を持つようになり、大学には自己推薦で、平和学を学びたいと訴えて入学しました。

「祖母との関わりから平和を学びたいと思った事、そのために平和学の教授とコンタクトをしたり国内の大学を調べるなどしてみた上で、この大学が一番良いと思った事」を書きました。(予備校の先生にその論文を見てもらったら「難しすぎて分からない」と苦笑されたのですが、合格したからすべてオッケーです)。

ところが大学に入った途端に東西の冷戦は終結し、次なる世界の課題は先進国と途上国の貧富の差となっていました。私は戦争や兵器などへの興味はなく、安心で平和な社会を作りたかったので軍事・戦争関係の勉強はせずに、それならと経済開発や社会システムを中心に学ぶことにしました。卒論はネパールにおける経済援助と社会基層というテーマで、どれだけ経済援助がなされても社会構造によっては社会の発展につながらないという事をまとめました(その論文はJICAの論文コンクールで入賞する事ができました)。

卒業後は、持続可能な発展のためにもビジネスの側面からアプローチしたいと思い、卒業後は民間企業に就職し、今も人材エージェントとして微力ながら途上国における教育支援活動を行っています(一人の転職・採用で一人の子供の進学支援を行っています http://probity-gs.com/news/?p=115 )。

これから新たに手掛けていこうと考えているキャリア系の事業は貧困問題とは異なるのですが、より手触り感があり、体温を感じて自然とつながった、生命感を感じる社会に近づけるような事業にしたいと思っています。

これらの活動の源泉はやはり、子供の頃に繰り返し祖母から聞いた戦争の話が基になっています。

・社会のための個人ではなく、個人のための社会に。
・一人一人が持っている才能を最大限に生かして、人生を満喫できるように。
・良い会社に良い人材をつなぎ、よりよい社会の実現を目指していく。

戦争は体験していないのですが、祖母からリアルな話を聞く中で感じた戦時中の社会に対する違和感、これからの社会をどうデザインしていくか、ずっとその事を考えてきていたと思います。

これからも私なりの平和活動として、引き続きいろいろと動いていきたいと思います。






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