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人生は「被災」だけでは語れない

南阿蘇は地震で大きな被害を受けた。
そのため、あらゆるネタが「被災地」「被災者」のカテゴリや文脈で紹介される状況がある。

もちろん、それを1つのチャンスとして、逆境から立ち上がる加速装置として割り切って生かすができれば、それも1つの道だろう。

ただ、それはピエロである。見聞きする人にはそのままを受け止めるのではなく、ぜひとも裏側にあるその土地、その人々の本質にも目を向けて欲しい、知って欲しいと思う。

私がとても感銘を受け、またハッとさせられた言葉がある。癌との闘病生活中にブログを始めた小林麻央さんの言葉だ。

人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。

引用元『がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」』
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955

地震の被害を受けたことは、確かにその土地や人々の歴史の1ページである。ただ一方で、その土地や人々にとってはあくまでも1ページに過ぎない。本質はもっと別にあるのだ。東北、熊本と2つの地域を見てきたものとして、私は自信をもって言える。

被災の文脈だけで語るほうがストーリーとしては簡単なのかもしれないが、安直過ぎるものも多い。ぜひとも、地震からの復興の過程で表出してきたその土地や人々の本質的な魅力にもっと光が当たって欲しいと思う。

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