久保尭之

熊本地震を機に阿蘇に関わり始めて早5年目。南阿蘇を中心に、観光や地域づくりを生業にして…

久保尭之

熊本地震を機に阿蘇に関わり始めて早5年目。南阿蘇を中心に、観光や地域づくりを生業にしています。 みなみあそ観光局/戦略統括マネジャー、熊本県観光連盟/情報発信・地域連携アドバイザー、株式会社阿蘇人/副代表、株式会社REASO/取締役経営企画統括、他

最近の記事

人を消費していないか

昨今、観光業で注目されている「人に出会う旅」。都会に住む人が地方を訪れ、地方で暮らしている人々と出会い、普段とは違う価値観に触れる。都市に住む旅行者にとっては何事にも代えられない経験となるだろう。熊本地震で大きな傷を負った南阿蘇でも、そこで再起を図る人々の前向きな取り組みを見て、そして話を聞くことへのニーズは高い。 その出会いが偶発的なものであれば、お互いに気持ちよく過ごせるのならそれで良い。ただ、恣意的な企画商品として「人に出会う」「人を訪ねる」ことをするのであれば、つま

    • 人間あっての国家

      南九州移住ドラフト会議でお世話になっている日南市の田鹿さんが、地方創生におけるひずみをすごく的確に突いたエントリーを挙げていた。 ■ニュースイッチ(2019年08月17日) 「やっぱり若者は東京へ。日本の人口政策が大失敗している論理矛盾」 破たんした地方創生施策、「自治体」存続より大事な個人からの目線 定住者の生活水準を向上させるために存在する自治体であれば、定住者がいなくなれば自治体もなくなるのが普通である。それを自治体という組織を守るために定住者を確保しようとするから

      • 「地域づくり」の定義

        「地域づくり」とは何か近年、「地域づくり」という言葉が多用されるようになってきた。 ただ、その一方で、人それぞれバラバラの定義に基づいて会話がなされているように感じている。 人によって定義は様々あると思うが、「地域づくり」は『地域らしさ』『持続可能な仕組み』『共創』3つの必要条件からなるのではないか、と私は思う。 ■地域らしさ(Uniqueness)現在の日本は人口減少社会。人口を取り合う移住施策も多く行われているが、全体数が減っている以上マイナスサム・ゲームであり、全て

        • 生き延びやすくなった時代を「生きる」ということ

          狩猟社会から農耕社会、そして工業社会へと文明の進歩を経て-。 そして幾度とない争いと、2度の世界大戦を経て-。 人類は今や、大昔に比べると生きることがずっとずっと容易になってきていると思う。もちろん、今も貧困やその他の課題に直面し、生死の境目に瀕している方々がいるのも重々承知だが、社会全体でみると相当改善されてきている。 これは間違いなく先人たちの絶え間ない努力の結果だと思うし、今の時代に生まれてその恩恵に預かっていることに感謝しかない。 でも、そんな今だからこそ、「生

        人を消費していないか

          産業支援が担うもの

          私は現在、復興支援の中でも産業支援に関わっている。この『産業支援』が担うべき役割が、世の中の期待感とズレがあるような気がするため、今一度考え方を整理しておきたい。 生活支援は、生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)に表されるように、最低限度の生活を全ての人に提供する「セーフティネット」としての役割を担っている。行政やNPOが連携・分担し、セーフティネットが抜け漏れなく提供できるように活動していくことが何よりも重要である 一方で、産業支援は、大きく異なる。 現在

          産業支援が担うもの

          防災ツーリズムとは「どう生きるか」を問われる旅である

          熊本地震で大きな被害を受けた南阿蘇では、修学旅行の受け入れ回復も目指して防災教育プログラムの開発を行っている。熊本県全体では「回廊型ミュージアム」構想の下、震災遺構の保存も進んでいる。 その過程で、「防災ツーリズムとは何を伝えるものなのか」ずっとモヤモヤしてきた。 例えば原爆投下を受けた広島や長崎。原爆ドームや原爆資料館、語り部の講話を受けて、「こんな悲惨な事態を生む戦争を二度と起こしてはいけない」「原爆投下を受けて悲しい思いをする場所をこれ以上増やしてはいけない」といっ

          防災ツーリズムとは「どう生きるか」を問われる旅である

          人生は「被災」だけでは語れない

          南阿蘇は地震で大きな被害を受けた。 そのため、あらゆるネタが「被災地」「被災者」のカテゴリや文脈で紹介される状況がある。 もちろん、それを1つのチャンスとして、逆境から立ち上がる加速装置として割り切って生かすができれば、それも1つの道だろう。 ただ、それはピエロである。見聞きする人にはそのままを受け止めるのではなく、ぜひとも裏側にあるその土地、その人々の本質にも目を向けて欲しい、知って欲しいと思う。 私がとても感銘を受け、またハッとさせられた言葉がある。癌との闘病生活中

          人生は「被災」だけでは語れない

          幸せの尺度

          先日、オーストリアのウィーン大学で日本学を専攻する若き研究者からヒアリングを受けた。『地域での活動』と『幸福度』に関するものだ。 オーストリアを20〜30年先取りして高齢化・過疎化が進む日本の姿から、「どうやったら将来オーストリア人が幸福度の高い生き方を実現できるのか」を学ぶため、とのことだ。 その話自体も十分興味深いが、その中でも『幸福度』に関する話は特に興味深かった。 以前の幸福度についての調査は「家族構成」「学歴」「年収」などの項目を聞いて、それらのパラメータから総

          幸せの尺度

          note

          熊本地震後、創造的復興の現場に入ってもうすぐ3年。日々、目の前を凄まじい量の情報やアイデアが流れていく中で、それらを咀嚼しながら少しでも意義ある活動ができるよう、日々奮闘しています。 その中には、「誰かに伝えることができたこと、実際に具現化できたこと」 もあれば、「誰にも伝える機会がなかったこと、具現化するに至らなかった自分だけが知っている、考えていること」も沢山あります。 文化・文明の進歩とは、人類全体での集合知を増やしていくことです。 人それぞれが「自分だけが知ってい