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「決められない」のは、うまく行かないと知っているから

自己啓発やスピリチュアルにおいて、大抵の成功者が口をそろえて言うことの一つは

「成功すると決める」からうまく行く

ということ。

絶対に年収1億円を超えてみせる
絶対に3か月以内に会社員時代の月収を超えてみせる
絶対に半年以内に結婚してみせる

などなど

これは確かにその通りで、これまで自分自身でもうまくいったことを振り返ってみると、うまくいくという確信は無かったものの、逆に、うまくいかないことへの不安というものも抱いたことは無かった。

「うまくいく」と決めていた自覚はないが、彼らが言う「決めている」状態だったのは間違いない。不安が無いというのは、「決めている」から不安が無いのだ。正に疑っていない状態。

私の場合、具体的には偏差値38からの難関大学受験、2年で合氣道で有段者、足掛け4年かけたプロジェクトの目標達成、中国への渡航とキャリアの積み直し、中国語学習など。この辺りが、目標を具体的に定めて愚直に実践し続けてうまくいったこと。

これらは全て、始める前はどちらかというとコンプレックスの方が強かったし、目標そのものも随分途方もないなぁ…と感じていたものだった。

にもかかわらず、それでもうまくいった。

そして、こうしてうまくいくものもあれば、反対に、同様に設定した目標は同じく途方もないことであり、自分としては「成功させたい」と思っていたものでも、うまくいかずに失敗するものも多数ある。比率としては、失敗するものの方が多いだろう。

この両者の違いは一体どこにあるのだろう?

この問いに対して、ある時ふと浮かんだことは

自分の心身の深いところが”失敗する”ことを知っているから。

これは直感というべきか、いや、直感とも少し違う。直感というのは、ある程度以上の過去の体験から導き出される予感。

この”知っている”という感覚は、もっと意識の深いところにあるもののように感じる。

この感覚があると、どうしても意欲は削がれるし、仮にやる気になってみても、何か障害があるとすぐにやる気をなくす。

例えば、
「忙しくてやる時間がない」
「疲れた」
「会食・飲み会が続いて生活が不規則になる」
などなど、こうした障害。

逆に心の深いところが「うまく行くことを知っている」ものは、こうしたことは障害にならず、むしろ無意識のうちに、こうしたことにならないような行動を選択し続ける。

では、こうして心身の深いところが「うまく行かないことを知っている」のに、何故その目標にトライしてみようとするのか?

それは単に、心身の深いところの自分が

「失敗を体験してみたかった」

ということに尽きる。

”わざわざ失敗を体験したいのか?!”

と思うかもしれないけど、人間は自分にとっての向き不向きを判別・理解していくためには、とにかく体験が必要。

何かを始める前から自分にとっての合う合わないを判別・理解することは出来ないのだ。

だから、自分の素の姿に回帰していくためにも失敗は必要

大抵、何かしらに対する努力をはじめようとする動機は

”社会で名を挙げて自分が楽しく生きやすく暮らせるようにしたい”

ということのはず。だから、社会が求めること、人から尊敬を集めやすいことを志す。でも、その多くは自分にとっては合わないことであるケースが多い。

例え社会的にニーズのあることでも、人から尊敬を集めやすいことでも、あなたに合わないことは続けられないし、続けても疲れるだけだし、うまくいかない。

でも、それはあなたが落伍者だということではなく、他にやるべきこと、他に自分を活かせる仕事・場所・役割があるということ。

だから、「決められない」ことを

・自分は意志が弱い
・決められない
・覚悟がない

と卑下するのではなく、もしかしたら

「うまく行かないことを、自分の心身の深いところが既に知っている」のかもしれない、という視点も併せ持って、柔軟に姿勢・態度・方向性・行動を変えていって頂ければいいですね。

その上で、うまく行かないことの見切り時をしっかり見定めてください。見切り時を定めると、却って最後は頑張れたりするものです。

その最後の頑張りが、実を結ぶこともある。
だから人生は面白いんですね。

無題

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