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企画書が苦手な理由

 文章を書くのは好きだけど企画書は苦手だ。

 これをやろうという衝撃とともに超ざっくりした計画を作って動き始める。しばらくして他人を巻き込もうとするのだが、この時に企画書を書くことになる。

 この企画書、初めはわくわくする企画を伝えようと書いているのにいつの間にか「これのどこが楽しいんだろう?」と思うような企画書ができあがる。
 なぜそうなるのかは長い間疑問だった。
「企画書を書くとなんでもつまらなくなる問題」、企画に乗ってくれる人のイメージや企画の意図を書いているうちに本質とかけ離れていく。終いには「活動が詰まらなくなるすべての根源は企画書だ!」なんてことを言い出す人まで出てくる始末。
 赤の他人に企画を説明するには企画書を書くしかないけれど、その企画書を書いているうちに、企画の根源的なおもしろさがどこかに消えておまけの部分の魅力だけ伝える文書ができあがる。これでは読んでいる方がやる気が起こらない。スマホを持つメリットを説明されて電卓の機能を説明するようなものである。
 企画書が詰まらなくなる原因、それは企画の本質的な部分を書いていないからで、その本質とはわくわくだ。どんな企画にもわくわくが入っている。少なくとも企画を立ち上げた人間にはわくわくの気持ちが存在している。(忘れてしまう事もあるけど)そのわくわくを記録しておく必要があるのに、企画書には「楽しいから」とか「わくわくするから」みたいな小学生の作文みたいな事は書いてはいけない暗黙のルールがあって小難しい言葉を使いたがる。
 企画書の世界はかしこまっている。なぜこの企画がウケるのか?を理屈で説明しないといけない。
 企画を実行してその企画に巻き込まれる側はどうだろう?
 そんなに脳をフル回転させて巻き込まれているわけではない。なんとなく楽しそう、友達が行くから、好みの異性がいるから、人間なんてこんなもんだ。もっと正直になろうぜと、

 パソコンに山のようにストックされた企画書を見てふと思った。

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