マインドフルネスとアート鑑賞のちょっといい関係、またはロダンの「接吻」がすごいという話

 横浜美術館で開催されている「ヌード NUDE —英国テート・コレクションより」、行ってまいりました。

本展は、世界屈指の西洋近現代美術コレクションを誇る英国テートの所蔵作品により、19世紀後半のヴィクトリア朝の神話画や歴史画から現代の身体表現まで、西洋美術の200年にわたる裸体表現の歴史を紐ときます。

 お言葉に大げさなことなく、パブロ・ピカソにヘンリー・ムーアにシンディ・シャーマンにと大御所ズラリで本当に充実していて、ヌードという題材に対してあらゆる角度からの取り組みがなされている西洋美術すごいんですが、特に目玉のロダン作の「接吻」がすごかった!1900年にアメリカのコレクターからの依頼で制作され、エロすぎるので展示のときに布かけられた事件を経て、1955年にテートコレクション入りといういわくの作品。ロダンは好きだけどほぼ鋳造の作品しか見たことなかったので、その意味でも楽しみにしてたんです。30分くらいかけてゆっくり見させてもらいましたが、作りが複雑過ぎてどこから語っていいかわからない状態…以下に気づいたことを列挙しますと

・身体のデフォルメがかなり入っている。男の人の手がでかい、腕が長いなど。空間を充実させるのと、奥行きを生むためと思われる。(cf. セザンヌ 赤いチョッキの少年
・どこから見ても見えない部分がたくさんある。そして見る方向ごとに違う要素が視覚に入るようになっている。例えば正面から見ると女性と男性の螺旋的な絡み、その間の空間。左から見ると男性の側面、深く腰掛ける身体と台座の幾何的関係。後ろからだと男性の背中、背筋の作り込み。右からだと女性の背中と男の手のゴツさの対比。だから見る方向ごとに違う彫刻に見える。(c.f. 龍安寺の石庭)
・でけぇ。潰されそうな圧力。正面から見ると奥側に重心があるはずなのに、なぜか向こうからこちらにせり出してきてるんじゃないかと感じる。
・テクスチャのコントラストがきいている。人体の肌理の細かさと、台座のノミ痕あらわな粗削。また手はかなりリアルに彫り込んでいるのに、顔は表情が読めないくらいぼかされているなど、パーツごとに抽象度もコントロールされている。それらが破綻なく共存しているのがすごい。
・四角を感じる。大理石のでかい直方体から削り出したんだろうな、というのが後からでもわかるようにできている。(そうなっちゃったじゃなくて、意図的に痕跡を残している気がする)
・題材がダンテ「神曲」にある悲愛で、物語に関連する本を男性像が持ってるんだけれども、輪郭がぼかされていてそれとなくほのめかすように彫られてる。ストーリーに作品のイメージが絡め取られないような工夫。

 ハイパーセクシー男女の濃密な絡みなんですが、作品の構造はそれを組み込んでさらに複雑に絡み合っていました。こういうのを鑑賞するときに、見たものを言語的に理解すると間に合わないというか、脳みそのメモリがリークしちゃいますので、情報をそのまま感じ取ることが大事だと個人的に思っています。いわゆるマインドフルネス的な態度ですね。美術鑑賞を心を落ち着かせるため、リラックスの一貫と捉える人は結構いると思うけど、個人的にはその逆にマインドフルネス的脳みそのトレーニングの結果、こういう美術が鑑賞しやすくなることもあるんじゃないかな、と思います。
 ちなみに個人的な鑑賞術としては呼吸を一定に保つこと、歩いたり視線移したりの速度をゆっくり変化させること、体から余計な力を抜くことを意識してます。そうするとまず脈拍が落ち着いてきて、脳みその中が静かになり、最後に目が見えてる情報だけを伝えてきてくれて、それに関連した記憶が、浮かんでは消え消えては浮かびするようになる。そうやって作品が自分の脳内ネットワークの中に、色んなつながりを持って定着してくるんですよね。で、上に書いた気づきのようなのは後から思い出して言葉にすればいい。そうするとさらにしっかり定着して、また別の作品を見たときに「浮かんでは消える」記憶の一部になる。自分の血肉になるというか。

 ただ本当に優れた作品って一回見ただけじゃわからず、だから何度見ても楽しめるわけで、色々書いたけど勘違いしてる部分もあると思うし、また行ってもうちょっと脳みそに焼き付けておきたいな。展示としてもとても興味深いものでしたので、ぜひぜひ皆さんも足をお運びくださいな!6/24までです!

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