見出し画像

#15 PERFECT DAYS_おっさん映画メモ(ひとり遊び)


はじめに

「PERFECT DAYS」という、役所広司主演の映画を見てきました。

過去におっさんのひとり遊び、というテーマで、ひとり映画について、取り上げてみました。


この映画を見るきっかけになったのは、2024/2/9の日経記事「定年後は意外と楽しい」 脱・会社が促すひとり消費(ヒットのクスリ)」

記事の中で、「いま、映画では孤高の生活を楽しむトイレ清掃員の日常を描いた「PERFECT DAYS」が人気を集める。」という一文があり、観てみたいと思ったのがきっかけです。
※ネタバレありますのでご注意ください

PERFECT DAYSのストーリーとメタファー


この映画は東京のトイレ清掃員として暮らす平山の日常を描いた作品です。日本とドイツの合作で、WIM WENDERS監督の作品。

ひたすら主人公の心象風景を淡々と流していく形です。このような映画のスタイルは私の好みのようで、時々無性に観たくなってしまいます。

平山の一日の流れは以下のとおり。

起床 → はみがき → 洗顔 → 若木へ水やり → 着替え → 缶コーヒー購入(必ずBOSSカフェオレ。白いやつ) → 紺の軽トラで渋谷区へ → トイレ清掃 → 午後に帰宅 → 銭湯に一番乗り → 地下鉄駅の近くにある居酒屋でチューハイとご飯 → 帰って本を読みながら寝る→・・・ という流れ。これが、延々と続く。

淡々とした時間の流れの中でも、いくつかの気持ちの盛り上がりというか、そういうものはやはりあります。自分の姪(観ている時は、娘と勘違いしていた)との再会。妹(観ている時は、妻と勘違いしていた)との再会。仕事仲間の女友達からの突然の頬キス(これはおそらく好意を持たれていたのだと思います)。通っているスナックのママに対する恋心。

自分自身も思い返せば、いろんな気持ちの浮き沈みの中で生きています。毎日毎日変わらないように見えて、そんなことはなくて少しずつ変わっているのです。

繰り返しの多い映画でしたが、出てくるシーンの中でもコアとなるイメージとして、木、影、夢がありました。


平山はトイレ掃除の合間にある神社の境内に通い、そこで木の赤ちゃんみたいなものを分けてもらうことを、神主さんから許可をもらっているようで、時々いただいて、それを自宅の1部屋を使って大切に育てています。

何のメタファーなのかよくわからないですが、木は友達のような存在として描かれていたように思います。

平山が古本屋で買って読んだ本も、幸田文「木」でした。ちなみに、古本やカセットテープもたくさん出てきました。音楽もオシャレでした。



影も繰り返し繰り返し映画中で出てきて、何かを表しているんだろうなということはわかりました。わかったんだけれども、何を表すモノなのかはよくわかりませんでした。途中で後半でスナックのママの元夫役(三浦友和)と影踏みをするシーンもある。

その元夫はがんが転移して余命が短くなり、それで元妻のスナックのママに会いに来て、何かあって(うまく行かなったか?)やけ酒を飲むと言うシーン。

「影って重なったら濃くなるんですかね。そういうこともわからないまま死んでいくんだな」

と、言っていました。人生というのは何かを知るにはあまりに短い、ということなんだろうと思います。

影という、自分に密着しているような存在ですら、わかることは難しいんだと。そういうことが言いたいのかなあと思いました。影といえば、村上春樹でよく扱われれるメタファーです。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド。なんだか、映画全体を通して村上春樹の小説を読んでいるときの感覚に近いものを感じてました。




この映画は毎日毎日の繰り返しの中で描かれていて、寝ているシーンは夢としてモノクロの映像が出てきます。その中でその日あった人の顔や影や木や昔の思い出の声や音というものが出てきます。過去の出来事を、反芻しているような気がしました。

私自身はそんなに毎日も夢なんて見ませんが、頭の中では自分が覚えてない夢っていうのが流れていて、自分の頭の中の記憶を再構築しているのかもしれません。

印象に残ったところ


スナックのママの元夫(三浦友和)のセリフ「影って重なったら濃くなるんですかね。そういうこともわからないまま死んでいくんだな」が印象に残ったセリフの1つ目。

もう1つは平山のセリフで、平山が自分の姪に自分の妹とうまくいかなかった原因を説明するシーン。

「世界はいろんな世界に分かれていて、そしてそれぞれの世界はつながっているように見えるけれども、実はそうではないんだ。自分の住む世界と妹の住む世界っていうのは違ったんだ」

というようなセリフでした(うろ覚えですが)。

自分が今見えている世界というのは、他の人から見ると全然違っていて、存在しないかのように見えるかもしれない。そう思う時が、割にたくさんあります。

小世界のようなものを皆それぞれに持っていて、それらが重なりあったり、重なりあっているように見えて実は離れていたり。そういうものなのではないかなと思う。

平山の日常の中は、基本的に穏やか。幸せそうに見えるところも多々ありました。トイレ掃除の合間に空を見上げて、にっこりと笑ったり。銭湯で、お湯につかって、気持ちよさそうにしたり。居酒屋のマスターの「おーつかーれさーん(手振りつき)」の一言に、癒やされたり。日々を楽しんでいるように見えました。

でも、観終わってから、ほんとにそうだったのかなと言う気がしています。日経記事にあったように、孤高の生活を楽しんでいたのでしょうか?本当に心の中も、にっこり微笑んでいたのでしょうか?

最後のシーン、平山が車を運転しながらずっと笑い泣きしていました。5分くらいノーカット。笑い泣きしながら映画が終わっていました。見応えのある、圧巻の演技でした。

平山はなぜ元々裕福な家庭で育ったのにトイレ清掃をやるようになったのか。描かれていない過去と、日々向き合いながら過ごしていたように見えました。

まとめ



映画を観終わって思うのは、自分自身の人生後半を後半戦に差し掛かっている中でどう楽しく生きようかな?ということです。

子ども達もだんだん大きくなってきて、少しずつ手がかからなくなってくる。どうやって今後の人生を楽しんでいこうか。どういう遊びをしていこうか。平山は一見楽しそうに見えたけど、実際どうなったんだろうなと思います。

書かれてないところはたくさんあったけれど、想像する余白がたくさんあり、そういう意味で面白い映画だったなと思いました。何回も見直す人がいるのも納得の映画でした。

お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?