六華絶唱

昔から、私には謎の第六感がある。そんなこと言うと凄い特別感を出しているようで気恥ずかしいが、多分事実。

例えば人生の岐路に立たされた時。今までで経験したその選択肢は、受験、とか就職、とかそんなもんしかないから全然、経験値の少ない人間なのだけど、そういう時、いつだって心に不安がなかった。誰もが今後の人生を決めることに迷い、不安になり、誰かに相談し、苦悩し、眠れない夜を過ごす。そこから、いつだって無意識に立ち去ることが出来た。
実はここにもちょっと引け目があるのは、また今度。

人生で初めてこの感覚を知ったのは、高校受験真っただ中の、15歳の冬。
その時僕は、遠ければどこでもいい、という安易すぎる発想で、自宅から離れた、自分の成績では全く及びもしない進学校と、とりあえず入れさえすればなんでもいいという理由で自分の成績よりはるか格下の滑り止めを受けることにした。
その時だって自分の周囲の学生にとっては、進路選択は人生の一大事だったし、重要な事だったから、皆悩んでいた。
言ってしまえば僕は、ギャンブルをしていた。そこで進学校に行けるか、落ちるか。勝敗はどうでも良かった。だから一端に塾にも通ったが、勉強時間なんて普通だった。ただこれは、自分にとっての人生の岐路ではない。その確信が初めからあった。

その時期の僕は、物理的な力に固執していた。

誰もが夜、机に一人向かう中、腹筋、背筋、腕立て伏せ、懸垂、親が仕事で居ないことをいいことに、ランニングをする。同級生が引退と同時に押し入れにしまい込んだ竹刀と素振り用の木刀をむしろその時期に手にして、誰もいない森(どの街に住んでも人気の少ない森を探す謎の犯罪者すれすれのスキル)に夜な夜な繰り出し、一人森の中で木刀を振るい、鍛錬を繰り返していた。オーバーワークもいいとこである。学校と塾、それ以外の時間はすべてこれに当てた。

どの学校を選ぶことで今後の進路が決まるかとか誰と一緒に学校に通い、どういう人間関係を築くか、とか、そんなことに一切の興味がなかった。その時、説明はできないけれど、物理的な肉体の力、それが僕の求めるものだと、感覚的に知っていた。

そして、その日は来た。
その日も僕はブレザーとネクタイを外し、ワイシャツとウインドブレーカーの下だけ履き替え、竹刀袋を担いで、森に来ていた。
薄雲が空全体を覆い、晴れてはいたが風は指の感覚を消すほどに冷たかった。
普段通り誰も来ない広い森の中を走り回り、1000本の素振りをし、いつも休憩所としている大樹の幹に寄り掛かる。顔は上気し、頭に血が上り、掌はひりひりとしながらも冷たく、ワイシャツは肌にくっついていた。ぼんやりと大樹を見上げ、白い息を吐いた。何をやっているんだろう。その時初めてそう思った。

その時の感覚は本当に筆舌に尽くしがたい。この文章だって全くすべてを伝えられる気がしない。

耳に入る音が、一瞬、すべて消えた。呼吸は荒く、全身の火照りは収まらない。世界に、ただ一人。冗談でも比喩でもなんでもなく、本当にその通りの感覚だ。

森の中に、轟音が響き渡った。バラバラと、凄まじい音と圧力が、枯れ葉と、地面と、樹々の幹を穿った。豪雨。それが最も近い音だ。音と、風圧に打ちのめされる中、必死で思考をかき集めた。そして、身体が一切濡れていないことに気付く、地面が湿っていないことに気付く、髪の毛から水が滴っていないことに気付く、これは、雨じゃない。雪だ。
自分の肌の熱で溶けかけている結晶を見て、知る。やがて轟音は過ぎ去り、呼吸は収まっていった。その間、多分10分もない。

無上の感覚だった。全身は冷め始めているのに、喜びが収まらなかった。誰もいない虚空に向かって、大きな咆哮をした。

この音は、この圧力は、僕以外誰も知らない。その時、世界は確実に僕だけを世界から隔絶して、それをして見せた。歌ってみせた。全身が喜びに震え、開放感に満ち溢れ、全ての思考が消え、打ちのめされながら、ここに、生きていることの喜びを感じた。偉そうに聞こえるかもしれない。ただこの時、僕には超越感があった。恐れも、不安も、迷いも、全て消えた。

世界は、確実に生きていて、大声で歌っている。世界自体に思念があり、そのすべてが、一瞬で小さな僕の身体の上に降り注いだ。
そのことを、誰も知らない。誰も掴んでいない。誰も説明できない。
俺が、その時その世界の全てを一人で知り、きっと誰にも共有できない感覚を掴んでしまったことが、たまらなく嬉しかった。

それから、その感覚は都度都度僕の前に現れた。前述したとおり、人生の岐路と思われるような場所で。その後僕は他の同級生に比べて大して勉強もしなかったくせに、ギャンブルに勝ち、進学校へ足を進めた。大学受験の前も、就活を辞めると決めた時も、そうだった。
その選択自体は、僕にとって意味を持たなかった。
その選択をする前に、無上の感覚が勝手に僕を連れ去っていた。
そして、僕はその人生の岐路を選ぶ前に、その場所へ行く、という選択を無意識に出来るようになった。思いつき、閃き、あるいはそのすべて。

そこに行くことは、むしろ、人の輪の中から外れていくこと。それはもう知っている。様々な人々が一様に感じる巨大な思念から外れることは、もしかしたら孤独、孤立を選ぶことなのかもしれない。色んな人にこれを説明するとき、僕は失踪癖があるんだ。そう答える。だからきっと寂しがっているのかもしれないと誤解されることもきっと、あると思う。

嘘ばっかりだ。本当の自分は、孤独も、孤立も全く恐れていない。人の輪から外れることで、世界の側が自分を断絶してくれることの喜びを知っているから、寂しさなんて少しも感じていない。

けれども、これを書いているということは、そういう事なんだと思う。これは僕の秘密だ。そして、この秘密を独り占め出来なくなってきているのが、僕の今の姿だ。

今、この世界は僕やあなたが生きていることを、喜んでいる。
言葉を発し、考え、歩むことを本当に祝福している。あとは、それに気付くだけなんだ。

この文章は、世界に対するラブレター、そして、絶唱する、無上の讃美歌だ。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。