友人であることに払う代償

あれはたしか、いつだったかなぁ。
Facebookが死ぬほど流行った頃か。
良くある話には違いないのだろうけど、Facebookが広まってゆくにつれて全く交流のなかった地元の高校、中学時代の同級生から友達申請が来ることが増えた。
ま、あんまし人付き合い悪いのもあれだな、これがここからの関係構築に繋がる、マークザッカーバーグもそう言っている事だし、ちったあ世の中の変化に加担してやるか程度でポチポチ軽い気持ちで承認していた。
そのうち7割は疎遠。当たり前か。リアルの人間関係をネットに置き換えたところでそんなに変わりゃしない。いつだって毎日通う職場とか、学校とか、そういう所で得た人間関係の方が単純に話す時間は長いし、しょうがない。そんなもん。

残り3割は積極的だった。もちろん残り3割は当時、凄く長い時間を共有した仲間だった。何度か飲みにも行ったし、泊まりにも来た。夜通し思い出話したり、やっぱり楽しい。

彼は残り3割の例外だ。
どの時代にも、一言だって喋った事はない。だけど、友達の友達繋がり、仲のいい友人が全て、彼と繋がっており、近しいけど離れている。そんな関係。
だから彼とは3人で飲みに行って初めて話すようになった。Facebookのプロフィールなんて真っさらに近い分、リアルで会った時、携帯を出されないからという理由で、少しだけ好感があった。

彼は所謂、意識高い系だった。
話の中に頻りに"起業したい"というワードが出てきたし、今はバイトだけど(3.11後の仙台で、内定切りを喰らっていた)上京して、やりたいようにやるつもり、そんな話ばかりしていた。現実にイイネボタンはないから、聞いてやる事が承認だった。

一応、相談ぐらいはのるよ。そう言った。事業計画は?誰とやるのかは?初期費用は?そんなことズケズケ聞くのは否定的かもしれない。でも相談にのる、ってそういう事。彼もその事をわかっていたようで、前のめりで話をしてくれた。

世界を変えたい。

居酒屋でそんな話もこぼした。付き合った人の話もした。もうすぐ上京する話もした。それなりに盛り上がった。
なのに違和感があった。彼は、何のために世界を変えたいのだろう。
大まかに言えばそんな事だが、当時はもっと小さい事だった。あまり酒を飲めない事、仕事終わりなのに疲れたとか言わない事、自由に暮らしたい、旅って良いよねといいながら、東京に憧れる事、人との繋がりを連呼する事。内定切りが辛いとか言わない事。付き合った人の事を、それでも感謝してると言い切る事。

生活が、見えない。彼は本当にFacebookのページのまま、まっさらな友人から動かなかった。

月に一度ぐらい、連絡をしているうちに、遂に彼が上京してくる事になった。とりあえず遊びに来いよ。そう言われてのこのこ遊びに行った。
広い部屋だった。2LDK、バストイレ別、そして引っ越したばかりの部屋には不釣り合いな、40型の液晶テレビ、ブルーレイ。
しばらく近況を話しているうちに、釣り、の話になった。自分にとってはただの例え話で、好きでも嫌いでもない、その程度の話に、彼はやたら食い付いて、じゃあ今から、カジキマグロ船で釣ってるクルージングのやつ見せるよと言いだした。

浅黒い健康的な中年の男性が、イェーイとか言いながら、晴れた空の下、多くの仲間達とカジキマグロを釣っている映像だった。サングラスかけて、ビールとか飲みながら、高価そうな釣竿を使って、高価そうなウェアを着て。

どう、この人達、自由に世界中で釣りに行ってるんだよ、スゴくね?

正直な話、困惑した。自由と釣りは結び付かないし、彼が釣りの話を熱心にするのも、結び付かない。
釣り自体のクオリティの話ではなく、只々、世界と自由を推すのも分からない。

こんな事、してみたくない?

いや、特に興味ないかな。

その時は咄嗟にそう返した。でも事実だった。カジキマグロにも、クルージングにも、興味はない。
でもそれは、お前も同じ筈だったんじゃないか?

その時はそれだけで彼の部屋を後にした。
それ以降だ。彼のFacebookのプロフィールが追加され始めて、アイコンが変わった。
変わった柄のスーツを着崩し、目なんか悪くないのに、どことなく頭がキレそうに見える眼鏡、そして、微笑む姿。全て彼の印象と繋がらない。

その理由は、投稿を遡って判明した。楽しそうにスーツ姿で何かのセミナーを受けている画像、その背後に、よく見かけるけど、決して表立っては出てこないロゴ。渋谷の一等地に高いビルを構える、その企業のロゴが。

月一回の連絡が、年一回になった。年一回の連絡が数年に一回になった。近所まで来たから、飯でも行こうよ。帰り道送って行ったが、滞在するには程遠い豪邸だった。

そのうち、スマホの容量が足りなくなって、遂にFacebook自体をアンインストールした。
僕は遂に、彼と友達でいる代償を一度も払わず別れた。飲み屋の割り勘じゃない、そうじゃない。
彼を救う必要が、ないという事に気づいた。きっとそれは残酷な事だと今は思う。

今、この記事を書いているが今以てFacebookは入れていない。
マークザッカーバーグは、良い事を教えてくれた。
自分の容量を超える友人関係を、対価を払ってようやく成立する友人関係を、僕は、持てないのだ。

きっと僕は冷酷なのだと思う。だってお前、昔は名前すら、呼ばなかったじゃないか。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。