見出し画像

ストリートで言葉を打ち出す #わたしの執筆スタンス

だいすーけさんの企画に参加させていだだきます。

というのも、だいすーけさんの記事で昔書かれていた僕の印象は"感情爆裂型"なのである。
この記事を書くのにあたって、投稿者さん達の記事を一通り読んだ。無論、だいすーけさんの記事も読んだ。

真逆、あまりにも真逆過ぎる。
なので、むしろ物事には選択肢が多い方が良い、やり方には多数の方法があって良い。その観点から書く事にしました。

1.誰に向けて書くのか

コレ、適切ではない。
僕のnoteを街として捉えた時の書き方は、路上だ。
渋谷だったらセンター街、原宿だったら竹下通り、上野だったらアメ横だ。
とにかく、家じゃダメだ。落ち着いた部屋の一室からじゃ、ダメだ。外に出て、街を歩くガキどもに訴えかけるように書く。これが基本形。出来るだけ不自由がいい、出来るだけ安心感がない方が良い。
あとはリラックスタイムを避ける事。整理された文章を出したい訳ではないから、深夜の夜更かしで目が冴えたまんまの、寝付けぬ中で必死になって紙に書きなぐるような文章が良い。

読者に対して思うのは、ざわつかせたいという気持ちだ。読み物としてなら、優しい気持ちになったり穏やかな気持ちになったり、さめざめと悲しい気分になった方が、精神的には良いだろうし、実際ハートが集まるのはそれだ。
僕のアプローチは真逆だ。強い言葉を使い、強い語彙を羅列し、一方的に撃ち出す。少し前に、小冊子企画で書いた文章にクマキヒロシさんが書いてくださったように、剣を構えるのと同じようにペンを走らせていると、そういう事なのだろう。

2.小説、創作について

今年に入り、創作や小説が、進んでいない。個人ルールは変えないつもりだが、今までより少し難しい事を考えている。
頭から出る語彙ではなく、皮膚で感じるものを書くこと。
進んでないから成果はゼロだ。

ちなみにもう耳にタコが出来るほど言い放っている個人ルールは、恋愛について書かない。以上だ。

3.エッセイについて

エッセイと言われるジャンルが多いのは多いが、正直これも適切じゃない。
僕のエッセイのテーマは、そこから何本も枝を付けている。例えば、ラップエッセイ(.featシリーズ)、お酒エッセイ、男性向けエッセイ、酔っ払いエッセイ。エッセイなんて言葉を使うこと自体割とおこがましい。
最近はこれを決意表明の為や、自分への強い誓いのような形で使っている。他のnoterさんを登場させるときは、出来るだけ面白おかしくを心掛けている。

4.なぜ言葉を選ぶのか

僕の記事の言葉は強い、語気が強い、文章の圧力が強い。
メインターゲットは男性だ。あと若いガキども。
僕の文章を読んで、安心など一ミリもしてほしくはない。自分から行動しなければ何も変わらない、強くならなければ、踏み出さなければ、そういう風に思ってほしい。自己正当化の言葉は持ちたくはない。
割合いつも女性読者がついてくれるのは想定外だが、本来のターゲットは男性だ。心を昂らせてほしい。燃えていてほしい。そして我が身を切り刻んで先へ進んでほしい。そういう事だ。

僕は文章にそこまで重きを置いていない。例えば書くこと以外に、武力行使や権力、威圧で未来を変えられるならば、そちらを取る。
悪いが僕自身は文章をたくさん読みこんできたから書くことに至った経緯は持っていない。物事を書き換えていくことに、武力以外のものが必要だから、そうするのだ。合法化されればそちらを取る。

嫉妬はある。
間違いなく僕は美しい言葉を使うことが出来ないし、美しい過去の経験などない、ひたすらに地べたを這いつくばって、人生を破壊し続けてきた経験しかない。美化もできない。美談にもできない。そして、その言葉についてくるものは、誰もいない。
noteの世界は美しい花々で彩られている。
僕はそこに行かない。ゴミだらけの荒れたストリートで吠え続けるような文章を書く。

結局感情爆裂型の記事になってしまったが、どこにでもいる30代の、おとなしい人である。書くことや未来について悩むことはいつもだ。
だからって立ち止まっているわけにはいかない。毎日は続く。
僕の記事は、ほっと一息じゃなくていい。
記事を読んだ後、急いで煙草を投げ捨てて、靴紐結んで走り出してほしい。空き缶を踏みつぶして、先へ進んでほしい。
穏やかな時間は、愛する人と紡いでほしい。
人は一人ではないが、何かと戦うときは一人だ、悪いが絶対一人だ。

"やりたいことは、一人でもやれ"

そういう時に足が止まらないように、ストリートで叫び続けることにした。
スキはいらない。本当に届いた人の"スキ"は奪い取るもんだ。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。