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なぜ生きるのか?

今日、インタビューがあります。
内容は「人生の意味について」。
テーマがでかすぎるでしょ。笑
この場をかりて、簡単に考えをまとめておきたいと思います。
あくまで私個人の考えです。

人生の意味についての問いとは、つまり
なぜ生きるのか?
という問いであると思います。
もちろん人の数だけ答えがありますが、私の場合は人生そのものに意味なんてないと考えています。
もっと言えば、生まれてきたことに意味はないと考えているのです。
人生とは無意味。
こんなこと書くと、メチャクチャ冷たい奴みたいですが。笑
なぜそう思うかというと、生まれる前に何の選択もしていないからです。
生まれる場所。
生まれる性別。
生まれる環境。
生まれる容姿。
何一つ選んでいません。
何一つ意味をもたずにスタートさせてきました。
だからこそ、
生まれる意味
そのものも無意味だと考えているのです。

ただし、ここで勘違いしたくないのは
無意味とは無価値ではない
ということ。
人生は無意味だからといって無価値なのではなく、むしろその逆で、とても価値のある尊いことであると考えているのです。
強いて言えば、
無意味とは無条件である
ということ。
生まれてきたことは意味をつけるまでもなく、ただそれだけで尊い。
人生は意味がつけられないくらい価値がある。
そのように感じているのです。

仏教に「無価(ムゲ)」という言葉があります。
値のつけられないほど貴重なという意味です。
私たちのいのちは、先祖のいのちそのもの。
父母が2人、祖父母が4人、曾祖父母は8人、、、、
このように数えていくと、
10代さかのぼると1024人。
20代さかのぼると約100万人。
これだけの数のいのち、人生を紡いで誕生した私たち。
まさに無価の人生を生きているのです。

私の実家の裏には、ご先祖様のお墓があります。
20基ほどでしょうか。
中学生の時に曽祖母の葬儀でお墓に移動した際、改めてそこにある墓石の数に圧倒されました。
「こんなにお墓があったっけ?」
もちろん、何度もお参りをし見慣れたはずの墓石です。
しかしその時、中にいるご先祖様の今は亡きその命・生涯に初めて思いを馳せたのです。
20基ほどの墓石のなかにいるご先祖様。
「これだけの数の命が紡がれ、私が生まれたんだ。」
お墓参りを通して改めて自分の命の重みを実感したのです。
そして、その時
「生きることに意味なんてないのでは?」
と強く感じました。
「生きる意味なんてなくても、これだけ沢山のご先祖様のお陰で生まれてきたことは無条件に尊いことなんじゃないか」と考えたのです。

大切なのは、
「なぜ生きるのか?」
ではなく
「どう生きるのか?」

思い通りにならない人生。
意味なんてつけられない尊い人生を、どう受け入れて生きていくのか。
今やるべきことに向き合う姿勢が問われているのです。