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幼少期から箱根駅伝までを振り返る(中編)

前編の続きになります。
まだ前編を見ていない方は、そちらを見てからの方が時系列としてはわかりやすいと思います。

ここからは、前編以上に自慢話になります。
不快にならなそうな人だけ、続きを読んでみてください。

優秀すぎた中学生

オール5

まず陸上の話をする前に、
学力についてですが、小学校から塾に通っていたおかげもあり、勉強も校内では上位レベルでした。
負けず嫌いだったので、テストはしっかり点数を取りにいってました。

この頃から文武両道は意識していて、成績も気にしていました。塾にも通っていたおかげで中1はオール5(9教科×5=45)、中2は43、中3は44でした。苦手な音楽や美術がセンスがなくても成績が取れるような評価制度だった運の良さもありました
(音楽と美術の先生ありがとう)

美術に関しては、自分でもよくわからないぐちゃぐちゃな絵を描いて『ビッグバン』てタイトルつけたら、賞取って、駅に飾られちゃったりしてびっくり
芸術って難しい…


当時の成績は申し分無しって感じですね
中学までは頭良かったんですよね…中学までは…
このおかげで早実に合格できたので、勉強しといて良かったなって思います。
塾に通わせてくれた親に感謝(少しさぼってたことは墓場まで…)

走れば走るほどタイムと結果が出る1年目

そして、中学校から新たに始まるのは…部活動

小学生で長距離の得意さに気づいたから、陸上部に入るのか!?
と思いきや、我が中学校には陸上部はありません。
(弟がいたころに陸上部が創られ、現在は学校の部活で最多人数らしい)

てことで入ったのはサッカー部。
小学校から続けていたためとりあえず入りましたが、サッカーのセンスはそんなになくて、試合には出れても活躍できるほどじゃないなと感じながら過ごしていました。

陸上は大会前に希望者を募って一定期間練習して大会に出る、というシステムでした。

そんな形で参加した1年目の陸上大会は
支部大会大会新記録で優勝
県通信3位
県総体優勝
関東大会2位
県新人戦優勝
ジュニアオリンピック6位
と走るたびに自己ベスト更新しながら
全国6位にまでなってました。
このころが1番陸上が楽しかったです。

駅伝も市の大会で区間賞取って優勝しました。
順風満帆すぎる1年目です。

サッカー部からバスケ部に転部

順風満帆だった1年目にとある事件が起き、
中2からバスケ部になりました。

中1の時の新人戦で、サッカーの支部新人戦準決勝と陸上の県新人決勝が被ってしまい、陸上を選んだことがあり
その日の部活は負けてしまいました。

そこから顧問の先生との考えが合わなくなってしまい、大会が被ふ場合はユニフォームをメンバーにエントリーしてもらえないということになりました。

中学サッカーの総体や新人戦はトーナメント戦で長期間毎週のように行われるため、どこかしらで陸上とは被ってしまいます。

もしかしたら、実力があれば1回来れなくても今後もユニフォームは渡してたかもしれませんが、揉めたくもなかったので辞めることにしました。

バスケ部にした理由は、バスケの顧問が400mでインターハイ出場していて理解があり、バスケも楽しそうだったからです。

結果的にはサッカーとバスケを経験できたことで、体育に困らなかったし、運動神経良いねって褒められたし
教育実習の授業がバスケで、
お手本のシュートを1発で決められてかっこつけられたから
転部してよかったなって思ってます。

1秒の重みを知った中学2年

中2になってからは、バスケが楽しくてバスケに没頭しながら片手間に陸上の練習をしていました。

中2から共通種目になり3年生とも戦わなくてはいけなくなりました。当時の全中標準は4'10"50。

前中出場を目標に大会に出ましたが、
県通信の結果は4'11"、県総体の結果は4'13"でした。県通信に関しては3位まで関東大会出場できますが、3位と0.8秒差の4位でした。

他にもジュニアオリンピックの選考会も1秒以内の差で2位で出られず、優勝して出た人は優勝してました。

この時に1秒で人生変わるんだなあと感じました。

中2は関東全国大会をあと一歩のところで逃したり
県駅伝前日にインフルエンザになったり
噛み合わなかったなって感じの1年でした。

0.1秒の悪魔と関東・全中出場

そして、1年が経ち中学3年になりました。
ラストイヤーということで
中3は1500mと3000mで全中出場を目標にしてました。

しかし、支部総体前に学校体育で肉離れをしてしまい絶望
支部総体はテーピングぐるぐる巻きでとりあえず出場
県大会にはなんとか間に合わせて、出場は出来ました。

結果は4'10"54。

意外と走れたのですが
ここで大問題が起きるのです。
全中標準は4'10"50です。今回は4'10"54

去年1秒の重み知ったんじゃないのかよって感じですよね。
知ったんですよ、知ったうえでできなかったんです。それが陸上なんです。1秒の悪魔が存在するんです。なんなら今回は0.1秒の悪魔

ただ、運よく県通信は1500mよりも3000mの方が出場者が多くて、3位以内に入り関東大会は出場できました。
そしてラストチャンスの県総体、再び1500mに出場。
結果は4'08"台でなんとか全中出場できました。

関東・全中の結果はあえて伏せておきましょう。
今後の陸上人生で苦しみ続ける暑さ問題があったということだけ伝えておきます。

自分なりの気温の得意不得意とホルモンの影響の考察があるのでそれはまたいつかします。

恩人の一言で早実受験

そんなこんなで受験シーズン到来。

の前に、夏の全中が終わったころに、高校どうしようという問題が浮上しました。

千葉県で陸上が強いのは市立船橋と八千代松陰ですが、
どちらも通うとなると毎日始発です。
朝が大の苦手な私にとってそれは地獄のような日々…

さてどうしよう

となっていたところに陸上クラブのコーチから早稲田実業受けないかと提案が。

それは、小学6年の大会後の優勝インタビュー(このことは前編に記載しています)がきっかけで、コーチはずっと早実を考えていたらしく
7年計画で早稲田で箱根に出ようと言われました。

その時に思ったことは、
「早稲田かっけー、東京の学校かっけー、早稲田で箱根出てー」
って感じで、あとは勢いで早実を受験することを決めました。
コーチがずっと勉強も大事だぞって言ってたのはこれのためかと後々気付きました、感謝しかないです。
色々不安はありましたが、無事合格して入学できたのでめでたしめでたし


合格が決まってから、受験ムードの学校でやんちゃしてたらめちゃくちゃ怒られました
それもいい思い出


まとめ

今回は自慢話が多かったわけですが、
良いところを切り取っただけなので
3年間もあれば悪いこともたくさんあります。
陸上に限らず、辛かったことやうまくいかなかったことだらけです。

良いも悪いも今は全部いい経験だったなと思います。

特に色々頑張ったおかげで、選択肢が広がったことは自分にとってとても大事なことだったし
これからの子供達も同じように選択肢を広げることはしてほしいなと思います。


さて、止まらない自分語り
次は高校生、大学生時代の話


そういえば…

昨日から早実&早本合同合宿に参加しています。

9年前に生徒として参加した合宿に、コーチとして参加するのは色々感慨深いなと思いつつ
あの頃自分が知りたかったことや、知ってたらもっと良くなってたなと思うことを生徒に教えていこうと思います。

今回の合宿では、ミーティングや個人面談等もやってチーム作りも1から行っています。
高校生って難しいなぁと思いつつ、それも楽しみながら頑張ります。


それでは、また

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