もっともっと書かなきゃ
2年前の私の事。
私は地元が大好き。
結婚前に住んでいたところより、学生の頃過ごしたところより、少女時代を過ごしたところより、幼い頃父母と暮らしたところより。
私は今住んでいる地元が好き。
念願だったタウン情報フリーペーパーのライターになり、情報誌のボリュームを増やし、同時に読者や支えてくれる人も増えた。
うれしかった。
毎日充実して、友だちも増えて、人と会う機会も多かった。
スマホにはたくさんのメール、メッセージ、LINE、、、その対応で忙しく楽しかった。
興味深い取材や、興味がないことも知るほどにわくわく感が抑えられなく勉強しながらの毎日だった。
そして得たものは、ライター兼編集長、事業本部長の肩書。
私はこれが欲しかったのか。
それからがたがたと、もろく崩れていった。
給与未払い、出資金を丸取りされ裁判まで、判決は捲し立てる経営者側に軍配が上がった。
この件に関しては、また思いを綴っておかなければと思うが、今はその時期ではない。
落ち込むこと約一年半。
支えてくれたのは、主人はじめ家族、少なくとも贅沢をしなければ日々の生活には困らないし、自分の楽しめる時間とある程度の自由をもらえたのは家族のおかげ。
クラウドワークスなどで、仕事もぼちぼち。
と思っているが、ストレスフリーの生活を心がけているのでどうでもいいや、と思うことの方が多い。
幸せだけど楽しいのかな?
腹も立たなきゃグチもない
そんな生活。
フリーペーパー編集の前は、地元の新聞社編集部勤務だった。
主に校正を担当。
社説のようなコラム欄を書くことも、私は書くこと、自分の思いを伝えるのが好きなのだ。
アンチな意見もあるが、共感する人が評価してくれることが何よりうれしかったのではないか。
時々自分に問うてみる。
「書くことが好きなんだよね、思いを共有するのが好きなんだよね、この地の素晴らしさを知ってもらうのが好きなんだよね」
お遍路さんを勧めてくれた友人に感謝している。
noteに綴るお遍路さんの事は、取材でいいアングルをねらって、カメラを構えるときめきがある。
気づいたことをメモにとるプロだった頃の習慣も忘れていない、後で読み返すことに苦労する文字の羅列が愛おしい。
デスクで(今はリビングのデスク)写真の処理をしている時のウキウキ感はなににもかえがたいよろこび。
画像を見ながら、臨場していた時間を思い出しながら、メモを噛み砕き綴ることの楽しさ。
私、書くことが好きなんだよね。
お遍路さんで、心が美しくなるなんて、まだまだだ。
無の境地になれるなんて、もっと先かもしれない。
でも今、精力的に取り組むことのできる宿題をもらい、少しずつ宿題をやっつけている感じかもしれない。
観音さまの姿を見て、どう感じるのか、何を思うのか、私の表現方法で表されているのか。
観音さまの、本質や来歴などを学習して文章が書けるのか。
読者の目に入った時に、共感が得られるのか。
宿題は、解答欄を丸写しではいけないと思っているから、私の思い、表現で私を大好きって思ってもらえたら最高だ。
悔しかったこと、辛かったことはないものにしている。
ぐずぐず根暗な私の文章は恥ずかしすぎる。
人やもの、体制の批判もどうでも良くなっている。
大好きな地元。
大好きな景色、匂い、空気感、旨味、音が伝わる文章を書きたい。
そして失ったものが多かった時期を良い踏み台にして、芳醇な私の文章になればいいなと思っている。
最近の私は、とても
いい人
になっている。
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